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タップダンサー・HIDEBOH 心魂を踏む
主人公 タップダンサー/HIDEBOH〜火口秀幸(ひぐちひでゆき)〜
1967年生まれ、東京都出身


日本を代表する若手NO.1タップダンサー。ダンサーである両親の元に生まれ、6歳からタップダンスを始める。22歳で渡米し、グレゴリー・ハインズとの出会いをきっかけに、彼の師であるヘンリー・ルタンに師事する。
そこでブロードウェイスタイルの白人タップと怒りや感情を表す黒人タップに日本の和を融合した「Funk−a−Step(ファンカステップ)」を新しいパフォーマンスとして確立すべく、追求を続けている。
2003年、北野武監督主演映画『座頭市』に出演。タップシーンの振り付けを担当し、国内にとどまらず、一躍海外からも注目を浴びる。
現在はリズムパフォーマンスユニット「THE STRiPES」を結成し、従来のタップダンスのジャンルを飛び越えたステージで年代、性別問わず熱狂的なファンを生み出している。

第一章 陶酔

なかなか手に入らない、プラチナチケットをゲットした幸運な1000人の観客たちがスターを待っている。
待ちわびるのは、ナンバーワン・タップダンサー=HIDEBOH(ヒデボー)率いる「THE STRiPES(ザ・ストライプス)」。
心臓の鼓動にも似たリズムを刻む、リズム・パフォーマンスグループである。

HIDEBOHの一日は、自宅近くのリハーサルスタジオに向かうところからはじまる。
靴底に金属のチップを貼り付けてあるタップシューズを履いた途端、HIDEBOHの身体は楽器になる。
いい演奏ができるように、身体はいつでも鍛えておく必要があり、練習は毎日2時間。ステージ前は6〜7時間も続く。

HIDEBOHの必要最低限動きで踏むタップのスピードは驚くほど速い。

また、どんな曲でもアドリブでタップが踏めるというので、少し意地悪をして、難しい曲を用意してみた。「いぬのおまわりさん」「結婚しようよ」「雨の慕情」。HIDEBOHは見事に曲に合わせてタップを踏んだ。身体の中にリズム感が浸みこんでいるのだ。

HIDEBOHは後輩たちにタップの指導もしている。レッスン中に最も強調しているのは「いい音を出す」ということ。良い音と悪い音。その差は、どのように生まれるのか? 靴底の金属チップがあたる瞬間、すなわち音が生まれる瞬間をスーパースローカメラで捉えてみると、チップの部分だけがタップ台に当たっているのがわかる。チップの当たり方で音に差が生じるのだ。
クリアな音を出すため、身体をほとんど宙に浮かせている体勢で、チップが一番いい音を出すポイントを精密なコントロールでタップ台へと当てる。
何気なく見えるステップでも、つま先のチップを当てた直後に一瞬遅らせて、かかとのチップを当てたりしている。音を重層的にして、奥行きをもたせるためである。
「いい音」への探求は、ステップのテクニックだけにとどまらない。彼はチップで踏み鳴らすタップ台の材質も吟味し、材質によってステップも変える。普段好んで使っているのは、楓の板だ。

今年の全国ツアーのフィナーレを飾る大阪公演。HIDEBOHは、会場に到着するなりステージのタップ台のチェックをした。ステージに敷きつめられたタップ台には、「いい音」をつくり出すある仕掛けがされている。その仕掛けとは、タップ台の下に仕込まれた「マイク」である。台の上で踏み鳴らされるチップの音に、下のマイクが捉えた低音をミックスして、より厚みのある音を出すように工夫されているのだ。

HIDEBOHの耳が感じた「いい音」を、忠実に観客に届けるために、スタッフは技術の粋を結集する。耳がつくりあげる、いい音への追求。それに応えて常に進化する、卓抜したタップテクニック。HIDEBOHの飽くなき探求が観客を陶酔の渦に巻き込んでゆく!

第二章 Who am I

その日、HIDEBOHはこころの故郷へと向かった。向かった先は、父の代から通い詰めていた、ボードビリアンとエンターテイナーたちの街・浅草。

HIDEBOHこと火口秀幸(ひぐちひでゆき)は、1967年、東京・世田谷に生まれた。両親とも、ショービジネスの世界に生きるエンターテイナー。父・火口親幸(ひぐち・ちかゆき)は、ボードビルのステージに立つタップダンサーだった。父のステージを間近に見ながら育ったHIDEBOHは、父の奏でるタップの響きとリズムに憧れ、6歳の時から、父の主宰するダンススタジオでレッスンを受け始める。父と同じ道を歩み始めた、若きタップダンサーの誕生であった。

親幸は、独学でタップダンサーとなった。大学生のころ観た映画『雨に唄えば』に衝撃を受け、その後の人生を決めてしまったという。見様見真似からタップをはじめ、日本のジーン・ケリーを目指して精進を重ねた。そして、努力は実を結び、ボードビリアンとしてさまざまなステージで、タップダンスを披露した。しかし、タップダンスはその頃、ステージの合間を埋める添え物扱いだった。 タップダンスだけのステージで、お客さんを魅了したい! 映画でタップを踏みたい! それが、親幸の願いだった。しかし、時代が追いつかなかった。父は悲願を果たせないまま、ステージを去ったのである。

父のあとを継ぎ、プロのタップダンサーとして歩み始めていた息子・秀幸は、最高峰の技術を身につけるという野望を抱いて、単身でタップの本場・アメリカへと渡る。目指したのは、ショービジネスの頂点・ブロードウェイ。きっかけは、映画『タップ』。たまたま来日していた主演のグレゴリー・ハインズに会うことができ、一緒にタップを踏み、シューズにサインをもらった。その時、未来の目標がはっきりと見えたのである。

HIDEBOHはグレゴリー・ハインズの師匠のヘンリー・ルタンに入門を申し込む。その情熱が通じ、およそ1年に及ぶレッスンが始まった。ヒーローと仰ぐグレゴリー・ハインズを育てたヘンリー・ルタンのステップを、HIDEBOHは完璧に習得していったのだ。
しかし、技術は完璧に身につけたが、満足が得られない。

自分はいったい何者なのか? なぜタップを踏むのか? 帰国後、HIDEBOHは自分探しを始め、そしてたどり着いたのが自分を育んできた街・浅草だった。そこには、自分のこころに刻み込まれた街の音があり、人々の声が聞こえ、そして日本人が営々と受け継いできた日本のリズムがあった。
そして、HIDEBOHは、アメリカで問われた言葉、「Who are you?」に対する、ひとつの結論を導き出した。2001年のライブ『Who am I』。これが、彼なりの答えだった。

HIDEBOHが完成させたステップ。それは、父から学んだスタイルとアメリカで学んだステップ、さらに本来自分自身の中にあったリズムとを融合させた、いわばHIDEBOHが生きてきた人生そのものをステップにしたものである。世界の誰も踏んだことがない、オリジナルのステップ。彼はそれを、Funk-a-Step(ファンカ ステップ)と名付けた。

第三章 原点

Funk-a-Step。それは、自分は何者かと考え抜いたHIDEBOHが、自身の人生を投影したオリジナルのステップ。日本人タップダンサーとして表現したアイデンティティそのものだった。

そのHIDEBOHのFunk-a-Stepに、いち早く興味を示した人物がいた。映画監督・北野武である。自らもタップを踏む北野はHIDEBOHのタップを絶賛し、準備中の映画『座頭市』にHIDEBOHを登用したのである。映画のファイナルを飾る、躍動的な祭りのシーンの振り付けと出演をHIDEBOHに託した。時代劇の設定の中で、スクリーンいっぱいに、わらじのタップを踊るHIDEBOHのFunk-a-Stepがあふれた!
父が成し遂げられなかった夢、映画でタップを踊ることは息子の代になって、ついに叶えられたのである。

一歩一歩、着実に目標をクリアしながら進化を続けるタップダンサー・HIDEBOH。彼が次に模索している、新しい境地は、タップに見えないタップという謎めいた命題である!

たとえばそれは、ただ歩いているだけのタップ。ただ足を運んでいるように見えていた一歩の中に、細かなステップが、隠れてさりげなく打たれている。タップに見えないタップ、ステップに見えないステップ、技巧を見せつけるのではなく、表現としてのタップを追求すること。その極意は、親子の原点でもある映画『雨に唄えば』の中に息づいていた。

驚異的なタップダンステクニックもつHIDEBOH。彼が次に目指すステージは時を越えて残ってゆく、シンプルに洗練された世界なのだ。
 
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