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体操選手/冨田洋之(とみた・ひろゆき)
1980年11月21日生まれ(25歳)
大阪府出身
8歳から大阪のマック体操クラブで体操を始める。
高校1年生の時にビタリー・シェルボの演技に魅せられてから、めきめきと頭角を表し、インターハイ2連覇。特に1998年は、高校選抜・インターハイ・全日本ジュニアの3冠を達成し、ジュニアのトップに登りつめる。
2001年全日本で初の個人タイトルを獲得。2002年NHK杯、2002年全日本、そして2003年NHK杯でトップの座を確保し、日本のエースとしての地位を築く。体線が美しく、瞬発力・筋力・脚力など総合力に優れ、2003年の世界選手権では個人総合3位となり、世界トップの仲間入りをする。
アテネ五輪では団体最終種目・鉄棒の最後の演技者として登場し、見事「伸身月面宙返り」の着地を決め、団体総合金メダルを獲得。
2005年は競技の審査方法が変わり、加点枠が広がるという厳しい改正にもかかわらず、11月に行われた世界選手権メルボルン大会で男子個人総合チャンピオンとなり、日本人としては31年ぶりの快挙となった。
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第一章・操る
その寡黙な男は気負ったふうもなく、ただ淡々と請け負った仕事を仕上げるために、舞台中央に向かった。
この瞬間、日本男子体操チームは団体金メダルを勝ち取った!
かつて日本の体操陣は、世界の頂点に君臨していた。
特に男子団体は、1960年のローマオリンピックから1978年の世界選手権まで10連覇を成し遂げるという黄金時代。
世代ごとに登場したスター選手が牽引役となり、安定した好成績を収めていたのである。
そんな”体操ニッポン”も、1995年の世界選手権を最後に、団体のメダルはゼロ。長い混迷の時代に陥っていた・・・。
2004年アテネオリンピックは、体操王国ニッポン復活の狼煙となった!
男子団体の金メダル獲得は実に28年ぶり。中でも進境著しい冨田の活躍は、日本選手たちの奮起を促した。
そして昨年11月の世界体操選手権大会。冨田は、体操六種目すべての得点を競う『男子個人総合』で日本人21年ぶりの優勝。真の『体操の世界王者』となったのである。
あれから4ヶ月。”世界王者”は、出身大学の練習場で、ひとり黙然と技の基礎練習を繰り返していた。
体操競技の『技』は、まさに日進月歩で進化している。体操ニッポンが最強を誇っていた34年前のエース笠松の平行棒は、今から見ると実にシンプルである。得点は9.70。
2004年アテネオリンピックの時の冨田の平行棒。難易度は格段に上がっているが、得点は9.775。
かつての『ウルトラC』は、今では高校生でもこなすようになり、現在は『F難度』の争いになっている。高得点が得られる超高級難度の技を如何に見せるかが、競技の趨勢である。
しかし体操の元々の理念は、体を健やかに保ち技の正確さと美しさが第一義だったはず。稀代のオールラウンダー・冨田は「派手な技をするだけならサーカスと変わらない。美しくなければ体操ではない」と言い切っている。冨田の考える技の美しさとは何か。彼の演技に、それがハッキリと現われている。
例えば、鉄棒の最高難度の技・コールマンを見ると、冨田は飛んだ瞬間から足をピタリと閉じ、動きには寸分の無駄もない。この合理的な体の動きこそが、冨田の言う『美しさ』である。
冨田は常に『美しい体操』を目指して演技をしている。そんな彼の技の美しさを生み出しているのは、類い希な筋肉の質であるという。
筋肉の動きを捉えやすくするために、冨田にはシャツを脱いでもらい、平行棒の演技をしてもらった。
1秒間に1000コマ撮影できる超高速度カメラの映像で、その動きを検証してみよう。
まずは倒立の姿勢から足を振り下ろす、勢いに乗って屈んだ姿勢となり、爪先までまっすぐに伸ばした足を抱えて回転。2回転したところで足を放し、上体をひき起しながら着地する。この一連の動作を『美しく』するために、特に冨田が効果的に使っている筋肉がある。それは、盛り上がった大きな背筋である。
腰を90度に曲げてバランスを取り、その姿勢から下半身を背筋で引き上げて、綺麗な倒立姿勢に移行させている。さらにこの冨田独特の背筋は、回転技の時にも、大きな役割を果たしているのだという。
背筋で体をより小さく折り曲げることによって、回転の速度が速くなり、次の動作に移るまでの間に一瞬の余裕が生まれる。
この”一瞬の余裕”は、冨田にとっては大きな”心理的余裕”に繋がり、一つひとつの動作を美しく、確実にすることに、気持を向けることが出来る。この場合も、背筋で素速く下半身を引き上げ、さらに体を小さく折り曲げて回転の動作を始める。体が、よりコンパクトになると回転が速まり、余裕が生まれて、演技の隅々まで神経を行き届かせることができるのである。
背筋を使ったこの”技術”は、体操競技六種目のあらゆる『回転技』の中で生かされている。
また、つり輪とあん馬の二つの競技では、冨田の類い希な筋肉の特徴が、遺憾なく発揮されているという。
つり輪では、上半身のすべての筋肉が、大きくパワフルであることが要求される。それに対してあん馬は、最低限の腕力で、無駄のない旋回運動をしなければならない。必要とされる筋肉が極端に違うため、つり輪とあん馬は、得手不得手がハッキリと分かれやすい競技なのである。しかし冨田は、双方とも得意種目だという。
スーパースロー映像で見ると、使っている筋肉の状態がわかりやすい。
つり輪では、上半身の筋肉は太く、すべてがフルパワーで使われている一方、あん馬をしているときは、筋肉はとてもしなやかで細く見える。
冨田は筋肉が柔らかい。力を入れるときは100%力が入って、しっかりと硬い筋肉になる。小さい運動であるあん馬は、通常、背中についている羽根のように張り出した筋肉が、腕にあたって邪魔になる。しかし、冨田の背中の筋肉は柔らかく、腕があたるとつぶれるので邪魔にならないのである。
そして、つり輪の時には、背筋全体に力が入り、硬くなって体を支えることができる。それぞれの競技に合わせて、冨田の筋肉は、表情が変わるのである!
冨田の体をケアしているトレーナーの大川さんは、彼の筋肉を「日本人ではまずいない筋肉の質」だと語っている。
核にある筋肉はしっかりあって、その上に大きい筋肉がついている。持って生まれた天性の筋肉の質。それがオールラウンダー・冨田の体操を作りだしているのである。
さらに冨田には、世界を陶酔させる技があった!
それは”倒立”。360度、どこから見ても真っ直ぐな一本の線になった、世界で一番美しいといわれている倒立である。
手から足の先まで、体の関節がすべて一直線上に並んで、バランスを保っている。これが世界を陶酔させる冨田一流の技。
倒立は体操競技すべての基本。六種目をつぶさに眺めてみると、すべての競技に倒立の姿勢は組み込まれている。この倒立が要所要所で美しく決まれば、演技全体に秩序とメリハリが生まれる。
そして倒立が美しく決まっているときは、体に力を入れていないのだという。冨田の理想的な美しい倒立は、演技中に力を抜く瞬間を与え、余裕を生み出すのである。
さらに冨田の倒立は、その姿勢のみならず倒立にいたる『流れ』の美しさも評価されている。スピードのある回転の直後に、まるでストップモーションのようにピタリと止まって倒立を決める。このシンプルな動きの中にいくつもの技が使われている。
素速いスウィングからの倒立は、足の爪先を垂直の位置でピタリと止め、行き過ぎることも修正もない。一直線になった体が振り子の原理でスウィングし、足の爪先が真上に向かって昇ってゆく。垂直に近づくにつれ、ブレーキがかけられ、頂上でピタリと止まる!
何度やっても、まるで印でも付いているかのように、同じ位置でピタリピタリと止める。真上がどの位置かを、体感で掴んでいる。
ダイナミックな動きから、急に動きを止めて世界一の倒立を決める。その『体操の美しさ』に、観客は魅了される。
無駄な動きが微塵もなく、体のすべてを合理的に操っているので、とても簡単なことをやっているように見える。実はこれこそが、美しい体操の極意だと冨田はいう。
冨田は、持って生まれた類い希な筋肉と、体操の基本を成す美しい倒立を武器に、六種目すべてを完璧にこなすオールラウンダーとして、完成された美しい体操を目指すのである。
第二章・姿勢
普段の冨田は、ともすれば、そこに居ることに気がつかないくらい静かに、ひとり黙々と練習に明け暮れている。
冨田が体操に出逢ったのは8歳の時。地元の体操クラブに入ったのがキッカケだった。そこは、多くのオリンピック代表選手やメダリストを輩出した名門クラブ。才能豊かな選手たちと、指導者たちが集っていた。
ここの方針は、幼い時から基本となる技を徹底的に反復練習すること。冨田も、倒立や大車輪などの基本技を、とうに出来るようになった後も、延々と毎日繰り返していた。
たくさんの一流体操選手を育て上げた名伯楽・城間晃コーチは「体操に必要な筋力やセンスは基本技で磨いてゆく。時間はかかるが一番確実な育成法だった」と語る。
コーチは素質を見極める時、まず体型を見た。手足が長く頭の小さな子は伸びる。選ばれたのは冨田ではなく、同級生の鹿島丈博だった。
見立て通り、鹿島はメキメキと頭角を現し、大活躍をはじめた。そのとき冨田は練習場で、まだ基本技を黙々と繰り返していた。
高校は体操の名門校を選んだ。そこでも冨田は、基本をただひたすらに反復していた。もう出来ているように見える技も、自分自身が納得ゆくまで、黙って繰り返していたという。
そんな時、部室に置いてあったビデオを何気なく見ていた冨田は、ある選手の演技に目を奪われた。バルセロナオリンピックで6個もの金メダルを獲得した、旧ソ連合の選手 ビタリー・シェルボ。全身に神経の行き届いた美しい基本技。『静』と『動』の間の取り方と、技の流れ。爪先までピタリと揃える倒立。
冨田の体の中を電流が走り抜けた。これぞまさに理想型だった!基本を繰り返す練習は間違っていなかった。シェルボのようになりたい。冨田の中に明確な目標が見えた!
冨田はその日を機に、手つかずだったC難度の技を覚えはじめる。美しい体操を見せる選手として、選手権大会を目指そうと思った。8歳の時から培った基礎があったため、技の習得は早く、完璧に出来るようになった。いつも練習場の隅にいた冨田に、突如注目が集まりだした。
冨田の快進撃が始まった!
高校の2年3年と、インターハイ2連覇。全日本ジュニアも制し、大学に進むと99年学生チャンピオンとなる。次のシドニーオリンピックを狙える選手として有望視された。
しかし!演技中、左膝を故障した冨田は、日本代表選考会に落選。オリンピックへの道は、そう簡単なものではなかった・・・。
冨田は、プレッシャーに打ち克つため、技の完成度をより一層高め、心に余裕を持つことを自らに課した。
結果はついてきた。オールラウンダーとして六種目すべてに磨きをかけ、国内三大大会で優勝。翌年、初めての世界選手権では、個人総合銅メダルに食い込んだ。冨田はアテネ行きを確実にした。世界の趨勢が各種目ごとにスペシャリストを投入して、メダルを狙うという方向に傾いている中、冨田はあくまで、オールラウンダーとしての姿勢を貫いていた。
迎えたアテネオリンピック。冨田は、その安定性を買われ、4種目で日本の最終演技者に選ばれた。そして見事にその役割を果たし、1976年モントリオールオリンピック以来28年ぶりに、日本男子団体に金メダルをもたらした。
シェルボに憧れ、大技ではない、正確で美しい体操を目指した冨田は、いつの間にか圧倒的な安定感を獲得し、世界選手権で念願の個人総合金メダルを奪取。体操 世界王者の座に就いたのだった。
第三章・揺らぎ
アテネでの男子体操団体、最終演技。大きなミスさえなければ金メダルは確実という場面。
冨田はある作戦を立てた。決勝に臨むにあたり、予選のとき行った演技を一部変更しようというものだった。
閉脚シュタルダーからE難度の一回半ひねり。それを決勝では、閉脚シュタルダーからB難度の半ひねりと、二段階低い、やさしい技に変えたのである。
このわずかな変更が、冨田に心理的な余裕を与え、演技全体を完璧に仕上げることが出来た。
『演技の構成』は、選手にとって、とてもデリケートな問題なのである。しかし、新しく実施されるルール改正は、この『演技の構成』を根本から揺るがすほど大きなものだった。
これまでのルールでは、満点は10点。技の難度にしたがって得点が加算されてゆく方式。審判が、その技の完成度や正確性、演技の流れや美しさなどを判定して、最終的な点数が決まっていた。
新ルールの大きな変更点は、10点満点という上限が撤廃されてしまうこと。得点が加算される方式は変わらないが、難度の高い技を重ねた選手の方が断然有利になる。最終的に、何点あたりが勝敗のポイントとなるのか、まったく読めないので、出来るだけ得点を稼ぐ『演技の構成』を考えるしかない。
得点の高い大技よりも、美しさを優先し、完成度を追求してきた冨田にとっては、今回のルール改正はとても不利になる。
得点を稼ぐためとはいえ、難度の高い技を連発することは、体力の限界を超えてしまうので出来ない。配分を考えた『演技の構成』を立てると、演技時間はどうしても今より長くなってしまう。冨田のようなオールラウンダーの場合、六種目すべてがそうなるので、負担は六倍である。
それでも冨田は、あくまで『個人総合』にこだわるのである。
冨田は現在25歳。体操選手としてはピークを迎える年代だ。今回のルール改正は、肉体的にも精神的にも大きな試練となるだろう。しかし冨田は、磨き上げた技の美しさと確実性にものを言わせて、この難局に正面から挑むつもりでいる。
冨田洋之。自らの肉体を美しく操って、人生の美学を追究する男。
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