ピアニスト/舘野泉(たての・いずみ)
1936年生まれ(69歳)
東京都出身身
1960年東京芸術大学を首席で卒業。1964年よりフィンランド・ヘルシンキ在住。2002年、ステージ上で脳溢血で倒れ、右半身不随となる。2年余の闘病生活を経て左手での本格的な演奏活動を開始し、音楽の新境地を開く。
日本と北欧5カ国をはじめ、世界各国で行ったコンサートは3000回を超え、リリースされたCDは100枚近い。幅広い層の聴衆から熱烈な支持を受けている。
2006年4月より、舘野の為に書き上げられた作品を発表するピアノリサイタルの全国ツアーが予定されている。
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第一章・五指
それは左手の五本の指が謳い上げる抒情詩。ピアノから溢れだす神秘的な旋律が空間を満たしてゆく。
コンサート後は、舘野 泉のリリシズムあふれる演奏に感激した聴衆が楽屋を訪れる。
ピアニスト歴46年。フィンランドを拠点に世界の舞台で活躍してきたが、4年前ステージで倒れて、右半身不随となってしまった。以来、左手一本による演奏会を行っている。この左手だけの演奏が観客を心から酔わせるのである。
ピアノは、左側に低い音、右へ行くに従って高い音の鍵盤が8オクターブ分、全部で88本並んでいる。鍵盤の中心で分けて、左手と右手がそれぞれの領域を受け持つ。楽譜も上の段が右手、下の段が左手の担当。両手が同時に別の動きをしながら演奏することを前提に考えられている。
舘野は左手一本で、どう弾きこなすのだろうか?
舘野は低音部の和音を弾くとすぐに左手を移動させ、高音部のメロディを弾きにかかる。楽譜の上下の段に書かれている音符を省略することなく弾いているのがわかる。
では、伴奏と旋律のそれぞれを舘野はどのように弾きこなしているのだろうか?
舘野は、五本の指を二つのグループに分けて右手と左手の役割を分担していたのである。親指と人さし指が主に右手が担当する旋律のパート。残りの指が主に左手が受け持つ和音のパート。
しかし、どうしても左手一本では出来ないことがある。それは、ひとつの音を長く伸ばしながら同時に次のメロディを弾く部分である。ピアノは音を伸ばす時、鍵盤を押え続けなければならない。両手なら左手で鍵盤をずっと押さえながら、右手でメロディを弾くことが出来る。片手でも手を開いて指が届く範囲なら不可能ではないだろうが・・・。片手では届かないパートをどうやって弾いているのか?
こんなとき舘野が手で押える代わりに活用しているのが、足で踏む『ペダル』である。このペダル捌きが、流れるような旋律を生み出している。
一番右の『ラウド‐ペダル』は、踏むと弦を押さえている『ダンパー』という装置がすべて持ち上がる。通常『ダンパー』は、鍵盤を押した部分だけが上がり、鍵盤を放すと弦を押さえて音を止める。『ラウド‐ペダル』を踏んで鍵盤を押すと、開放された弦は響き続け、他の弦にも共鳴が広がる。
この『ペダル使い』には特に決まりというものがなく、演奏者の感覚で使い方が工夫されている。
舘野は、このピアノの機能をうまく利用していた。低音の弦を響かせ、メロディの調べを包み込んでゆくのである。
低音部を強く弾いて同時にペダルを踏み、低い音を長く響かせておいて旋律の部分を弾く。ペダルを踏んでいる間は弦が開放され、音は響き続けている。低音部を強く弾き、同時にペダルを踏んで響かせ、その間に旋律を弾く。
舘野は、右手を使えないハンディキャップの部分をこのペダル使いで克服した。
スクリャービン作曲の作品に左手一本で弾くために書かれたものがある。
以前から左手一本で弾くピアノ曲は数多く存在していた。つまり”左手のピアノ音楽の世界”があることは、昔から音楽家たちも気づいていたのである。しかし”左手のピアノ音楽”が発展したという歴史は、これまで記録に残されていない。その為、大体のピアニストや評論家は、不器用な左手を訓練するための練習曲だと思っていた。
そんな中、ピアニスト歴46年の一流演奏家である舘野が『左手のピアニスト』として歴史に登場したことで、単なる「左手の練習曲」だと見過ごされていたこれらの作品に魂が吹き込まれ、新たな芸術性に光が当てられている。
舘野は、この『左手の音楽』を左手の演奏でしかできない”まとまったうねり”が出来るところに良さが有ると捉えている。
左手の演奏でしかできない”まとまったうねり”とは、いったい何を指しているのだろうか?先ほど紹介した『左手のための曲』の演奏で、それを解き明かしてみよう。
ピアニスト平原あゆみさんの両手の演奏と舘野の左手の演奏。二人の”音の差”を『波形グラフ』を使って比べてみる。
同じ曲で、見事に違う二つの波形が現われた。両手で弾いた場合の波形は、平坦な形。左手で弾いた舘野の波形は、大きく3つの山が出来ている。つまり舘野の左手の演奏は、音がいくつかの”うねり”となって流れてくるのである。
その秘密は、この『ラウド‐ペダル』の使い方にあった。
舘野は、低音をペダルで長く響かせながら、そこに高音の旋律を乗せて、波形に現われた”山”を作っていたのである。
左手一本で演奏することになった舘野が、苦心の末に編み出した音のうねりを生み出す独自の”演奏法”である。
舘野が奏でる神秘的な『左手の音楽』の世界。その真髄は、さらに奥深いところにあった!
リリシズムを奏でる、左手のピアノ詩人・舘野 泉が、コンサートで好んで弾く曲のひとつに音の数が少ない作品がある。
音の数が少ないこのゆっくりした作品について、舘野は「速くたくさんの音を弾くのは自然に出来てしまうが、ゆっくりな音楽というのは、どの音をどれだけしっかり響かせて、どれだけニュアンスを持って謳うかという難しさがある」と語る。
ゆったりとした曲は音の数が少なく、楽譜には二分音符・四分音符・八分音符しかない、
左手のためのこの曲の演奏の中にこそ、舘野 泉の真髄がある。
やはり、最初は判らなかった・・・と語る舘野。単音で音が繋がって・・・なんて不器用なんだろうと思いつつ弾いていたが、そのうち、『音が生きてきた』と言う。
舘野が見出した『生きた音』。それはいったいどんな音なのか?
まずはじめに、「生きた音」を発見する前に戻って楽譜通りに弾いてもらった。次に、「生きた音」を発見した現在の演奏。同じ箇所の演奏だが、音楽の表情の違いがはっきりと判る。舘野は両手で自在に操っていた音が半分に減ってしまってから、1音1音と対話するように丁寧に音をたぐり寄せた。すると、はじめはただの音符に過ぎなかった音が、謳い出したのだという。これが舘野が奏でる、リリシズムあふれる音楽の真髄である。
一流ピアニストが、左手一本になったことで発見した『左手の音楽』。聴衆は今、音楽史上はじめての豊かで奥深い世界を体験しているのである。
第二章・渇望
叙情のピアニスト・舘野 泉は、数奇な人生を辿ることとなった。
1936年、チェリストの父とピアニストの母という、音楽一家に生まれた舘野は、ごく自然に音楽の道を歩みはじめた。1960年、東京藝術大学を首席で卒業。古典から現代音楽まで広いレパートリーを携えて、世界各地で精力的に演奏活動をはじめた。その後、フィンランドに移住。フィンランド人の妻をめとり、一男一女をもうけた。音楽家としても充実した日々を送っていた。
そのアクシデントは、デビュー40周年記念コンサートの時に起こった。最後の曲も終盤に差し掛かった時、突然、右手が利かなくなってきた。違和感は加速し、ついにはまったく動かない。それでもなんとか最後まで曲を弾き切った。拍手に送られて、ステージを去ろうとした時、舘野は床に崩れ落ちた。脳溢血だった。
右半身不随。体の半分が凍り付いてしまったように動かなくなった。ピアニストとしての時が止まったまま、無為な日々が2年も続いた。
友人たちは励ましのつもりで口々に言う。「あの曲を弾けばいい、ラヴェルの『左手のための協奏曲』があるじゃないか」そのたびに舘野は感情的になった。「ぼくの60年を捨てろと言うのか!」みんなが、ピアニストとしてはもう終りだと言っているように聴こえた。5歳の時から弾き続けていた、膨大なレパートリーを捨てるなんて出来るはずがない。それは舘野にとって空気のようなものだ。まるで息のできないような渇望感の中で、舘野はあえいでいた。
絶望に瀕していたときヴァイオリニストとなっていた息子が、留学先から見舞いに訪れた。そして帰りしなある楽譜を黙ってピアノの上に置いていった。戦争で右腕を亡くした友人のピアニストのために、イギリスの作曲家が書いた左手のための曲だった。左手を鍵盤の上に置いて、ピアノを響かせた・・・。
舘野はピアノの前を離れなくなった。ピアニストとしての目の輝きを取り戻し、左手のための楽曲に取組んでゆく。そこには、長いキャリアの中でも気づかなかった、豊かな『左手の音楽の世界』が広がっていた。
舘野が豊かに奏でる『左手の音楽』に、世界の作曲家たちが触発された。舘野のために書かれた新曲はわずか2年で10曲に達した。これはクラッシック界では異例の数だった。
作曲家・末吉保雄さんも舘野に刺激を受けたひとり。舘野のための新しい曲を作りあげた。とても不思議な仕上がりになった。エンディングは、単純な音がずっと並んでいる。1音1音が謳っている、舘野が示して見せた神秘的な『左手の音楽の世界』が溢れだした。
第三章・豊饒
この日、舘野はあるコンサートに臨む。一度は絶対に弾くものか!とかたくなに拒んできた、ラヴェルの『左手のための協奏曲』。左手の楽曲としては世界で一番有名でありながら、これまであまり演奏されたことがない曲である。舘野はこの夜、左手のピアニストの第一人者としてこの楽曲の”スタンダード”を創りあげる。
前売りは完売。開場時間になると観客が押し寄せた。期待はとても大きい。普段はコンサート前に緊張することなどなかった舘野が落ち着かない様子。
そして、幕は切って落とされた。舘野の顔に、満足の表情が浮かんでいた。はじめは受け入れ難かった”左手のピアニスト”になったという現実が、今は誇らしい。こんなに豊かな音楽に出逢うことができた。
舘野 泉。左手で未知の扉を押し開き、豊饒なる音楽を掴みだした名ピアニスト。
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