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セパタクロー/奥千春(おく・ちはる)
1977年生まれ(28歳)
埼玉県出身
3歳から水泳を始め、8歳から地元の陸上クラブチームに所属。
幼い頃から運動神経抜群の少女として知られる。中学・高校はバレーボール部に入部。関東大会を目指し練習に励むが、予選で破れ夢は叶わなかった。
その後、スポーツに関わる仕事がしたいと日本体育大学に進学。セパタクローと出会う。始めて1年で日本代表選手に選出され、1998年第13回アジア競技大会において6位入賞。2002年第14回アジア競技大会では日本初となる銅メダルを獲得。さらに昨年の世界選手権大会でも3位入賞を果たし、日本セパタクロー界に大きな貢献をもたらした。
今年12月に行われる第15回アジア競技大会において金メダルを獲得すべく、現在、厳しい練習に励んでいる。
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第一章・可動域
華麗なる"蹴り技"の乱舞!ボールを介した、迫力の格闘技!
アジアの風土で洗練されたこのスポーツ、名を『セパタクロー』という。
アジア各地にあった"蹴まり競技"を1960年代、国際的に統一。『セパ』はマレー語で"蹴る"、『タクロー』タイ語で"ボール"を意味する。キックとヘディングでするバレーボールだと捉えれば判りやすい。
使うボールは、籐を摸したプラスチック製で、重さおよそ170グラム。試合はバドミントンと同じ大きさのコートで行い、ひとチームは3人。
バレーボールのようにローテーションはなく、サーブを行う『サーバー』、トスをする『トサー』、アタッをクする『アタッカー』と、それぞれが専門で担当している。
コイントスで先攻を取ったチームがサーブするところから試合開始。ボールは3回以内のタッチで相手コートに返す。足や背中を使ったネット際のブロックもOK。3回以内であれば、一人の選手が連続してタッチしても良い。
強いレシーブをヘディングで受けたりするので、バンダナを巻く選手もいる。アジア大会ルールでは、3セットマッチで、先に2セット取った方が勝ちとなる。
セパタクローの見どころは、なんといってもアクロバティックなアタックにある。高い位置から打ち下ろす『ローリングアタック』や、相手に背中を向けて蹴る『シザースアタック』などがある。
これらの華麗なる大技が次々と繰り出され、観衆を魅了するのである。
切れ味鋭いこのキックを見せる、日本が世界に誇る名アタッカー、奥 千春。
セパタクロー歴10年。躍進めざましい日本女子チームのエースとして、2002年アジア大会銅メダル、また昨年の世界選手権では、チームを3位へと導いた、トッププレイヤーである。
その実力はずば抜けており、男子チームでプレーしても充分通用する、破壊力のあるアタックを繰り出す。
周りは、奥について「日本のセパ界に絶対必要な人。日本は勿論、世界でもトップレベル」「2002年に銅メダルを取った、奥選手の要因というのは非常に大きい」と語る。
奥が、華麗に繰り出すアタックの特徴を一言でいえば、それは、「速さ」。レシーブが入っても取れない。アタックの速さが世界のトップレベルなのである。
彼女の武器のその桁違いのスピードは、コースは読めても、レシーブの体勢すら、取る間を与えないのである。
相手コートに高速のスマッシュを打ち込む、奥のローリングアタックを解析してみよう。
比較のため、競技歴7年の日本代表選手・矢島歩さんにも協力してもらった。
矢島さんボールの速さは、時速43キロ。続いて、奥は、なんと時速62キロ!19キロもの差があった!
およそ3メートル先の相手コートに、奥のアタックは、桁違いの速度で突き刺さってゆくのである。
このスピードを、奥はどのようにして生み出すのか?1秒間に1000コマ撮影できる超高速度カメラの映像で、二人のアタックを比べると、ボールを捉えたときの、上半身の体勢がまるで違っているのが判る。
奥は、踏切と同時に上半身を開き、その腰のひねりを利用して、蹴り足の回転速度を上げている。ボールは高い位置で捉え、全体重を乗せるように蹴り抜いてゆく。
一方、矢島さんは、踏切の時に開いた上半身を、足を蹴り出すと同時に閉じていってしまい、足の振りだけで、ボールを弾き飛ばすように蹴っているのである。
横位置から撮影したスーパースロー映像で見ると、奥は、体が落下する力を、そのままボールに乗せて、フォロースルーを行っている。
矢島さんの場合は、落下の途中でボールを捉えてはいるが、弾き返すのみで、体重を乗せたキックにはなっていない。
奥のローリングアタックは、格闘技の上段回し蹴りのように、体のひねりと落下運動を巧みに利用し、そのパワーを効率よくボールに乗せることで、速度と破壊力を生み出している。
しかし、奥が繰り出すアタックは、ただスピードが速いだけではない。
奥は、相手チームのフォーメーションを読み、必ず、誰もいないエリアにボールを打ち込んでいる。
奥が相手のシフトの死角を見極め、そこに正確にボールを落とした場面を撮ってみると、相手がサーブを打つとき、そのあとに選手がどのようなフォーメーションになるかを推測し、画面右側に上がったトスを、相手の背後に、正確に落としていることがわかる。これが、世界屈指のアタッカー、奥 千春の技である!
奥は驚くほど正確に、狙った場所へボールを打つことが出来る。
コントロールが必要なとき有効な『シザースアタック』で、その精度を見る。コート後方に籠を置き、それを目がけて5球のアタックを打つという方法だ。
奥は5球中3本命中。外したものもごくわずかな差だった。矢島さんは5級中1球命中。方向性は合っているが、コントロールの精度は、少しアバウトだった。
奥は、一体どのようにコントロールの精度を高めているのだろうか?スーパースロー映像が、その秘密を捉えていた。
二人のシザースアタックを比べてみると、奥はボールから目を離さず、狙った方向に正確に足の甲が向くように振り上げて蹴っているのである。
ほんの一瞬の判断で、高速で正確なアタックを打つ、日本の名アタッカー・奥 千春。
しかし彼女はもう一つ、世界に誇る名アタッカーとしての"秘技"、彼女が独自につかんだ、神技のようなテクニックがあった。
トスが上がり、アタックを打つとき、相手はネットの前で、身を挺してブロックをしてくる。このブロックをかわさなければアタックは相手コートに入らない。しかし奥は、ブロッカーが目の前に立ちはだかり、身体で止めに来るのをサラリとかわして、アタックを決めてしまう。
奥は、相手側から見ると、まったく同じフォーム、まったく同じタイミングで、まったく別の方向へとアタックを打ち分けてくるのである。
吊したボールを左右に打ち分けてもらって、その技術の詳細を検証すると、左方向へと打つとき、奥の足は、膝も足の甲も、左側へ向いている。逆に、右方向へ打つときは、膝と足の甲が右側に向いているのである。同じ位置からジャンプしても、ボールを打ちたい方向に、的確に足の甲を向け、打ち分けているのである。しかし、相手側からは、一見して奥のフォームは同じに見えるため、彼女がどの方向にアタックを打ってくるのか、見当がつかない。
この技術を可能にしているのは、奥の持っている類い希な身体能力である。
「奥は、股関節周りの可動域が広いことによって色々な打ち方が出来ていると思う。可動域とは柔軟性の事。色々な方向に足が動く事が出来る。」とコーチは語る。
奥は、練習の始めと終りに、入念な股関節のストレッチを欠かさない。
柔軟性とは、足を開いたときに、ただ前に倒して、胴がくっつけばいいというものではない。足を開いたときの可動域の理想は180度くらい開いて、尚且つ、腰が前に入る形で前方に倒れる事。そして縦にも広げられて身体の補正力が良くて、そのまま左右にくるくる出来ると良い。
セパは8割が柔軟、と言われるくらい、身体が柔らかくないと出来ないのだ。
同じフォームでジャンプし、膝と足の甲を、狙った方向に向けるために、奥は、股関節から足を回していた。
この股関節の広い可動域が、相手に悟られず、ボールを自在な方向へと打ち込むことが出来る、世界レベルのテクニックを支えていたのである。
鍛え抜かれた身体能力で、奥が独自に探り当てた、『スピード』と『正確なコントロール』。この武器が、セパタクロー日本女子の強さの秘密なのである。
第二章・180度
日本が世界に誇るエース=奥 千春は現在、選手兼コーチとして、日本女子セパタクロー界を背負っている。
埼玉県川越市。奥 千春は1977年、この町で生まれた。
幼い頃から、運動神経は抜群の子供だったという。
3歳ではじめた水泳では、コーチに見込まれて選手育成コースに抜擢。小学生のとき、市のマラソン大会に出場すれば、2年連続で優勝。駅伝に出れば、埼玉県で一位と、常に群を抜いた。
中学の頃はバレーボールに熱中。すぐにメキメキと頭角を現し、高校はバレーの強豪校に進学。1年生でレギュラーを取り、2年生からはキャプテンを務めた。
しかし、バレーボールはチーム競技。自分ひとりでは闘えない。勝てると思っていた関東大会の予選で敗退し、スポーツでは初めての挫折を味わった。
悔しかった・・・どんなにやってもダメなんだ・・・いっぱい練習してもダメなんだ・・・と奥は当時の心境を語った。
将来は何かしらスポーツと関わりのある仕事がしたいと、日本体育大学に進学。そこで、奥の人生を変える出逢いが待っていた。
大学では、バレーボールとは別のスポーツをやろうと考えていた奥は、そこで偶然、セパタクロー同好会のチラシを手渡された。
『あなたも日本代表を目指そう!』
そう書かれていた。
はじめてセパタクローを見て、そのボールを蹴らせてもらった。しかし、ボールは足にかすりもしなかった。
奥にとって、セパタクローは一番最初にやって、うまくいかなかったスポーツだった。びっくりした、衝撃が走ったという。スポーツ万能のプライドが傷つけられた。
奥はムキになってセパタクローに取組みはじめる。
大学で授業のない時間は、ずっとボールを蹴っていた。体育館でも、自宅でも、朝6時に起きて、自主的に朝練を行う熱の入れようだった。
ボールが足で自在に操れるようになる頃には、セパタクローに夢中になっていた。
そしてなんと2年後には、女子日本代表選手の一人に選ばれ、セパタクローでは最高のステージである『アジア大会』に出場するまでに成長していた。
しかし、そのときの日本女子は、国際大会の経験も少なく、参加8ヶ国中6位と、大敗を喫した。
チームは意気消沈。
だが、ひとり奥だけは、まったく違う手応えを感じていた。
強豪国には、1セットも獲れずに負けたが、自分のアタックは思っていた以上に決まったのだ。
トスさえ上がれば、自分のアタックで勝てるかも知れない。世界は、案外近いのではないか?
1998年のアジア大会が終った時点で、すぐに2002年の釜山を意識したと言う。まだバンコクから日本に帰る前に、奥の頭はすでに切り替わっていた。
奥は、4年後のアジア大会に照準を定め、上位入賞を誓った。
そんな奥の前に、障壁が立ちはだかる。チームのメンバーが定まらない。絶妙なトスを上げてくれるトサーがいなかった。
そこで奥は、『トスを選ばない』という一大決心をする。
どんなトスが上がろうと、自分のテクニックでカバーして、アタックを決める!それには大変な数の、技のバリエーションを身につけなければならなかった。
アルバイトでお金を貯め、単身タイにも渡った。そこで一流選手たちに教えを請い、自らの技を広げる。
奥の武者修行は2ヶ月に及んだ。
これまでもずっとそうしてきたように、奥は夢中になって自分を鍛え上げていった。それが日本女子チームを、世界の強豪チームへと引き上げることに繋がる。
その鍵を握るのは、決定力のあるアタックだった。
日本代表選手のベトナム遠征のとき、調子を上げていた奥は、不思議な体験をする。
練習前にストレッチをしていると、暖かい気候で身体がほぐれていたためか、ふいに180度の開脚が出来るようになった。すると、足が思い通りに動くようになり、アタックのコントロールが自在になったのだ。
面白いようにアタックが決まる。
奥は、アジアの一流選手たちがよく言っていた、「セパタクローは8割が柔軟」という意味が、はじめてわかった。
帰国後も、奥は熱心にストレッチを続けた。
こうして4年間で、奥は世界でもトップクラスの選手に成長していた。
迎えた2002年アジア大会――
日本は、初のメダル獲得をかけて、ライバル・韓国との一戦に臨んだ。
第1セット、奥のアタックが炸裂。21対13の大差で日本チームが先取。
続く第2セット。韓国も粘りを見せて19対18の接戦。そこで奥が流れを引き寄せて、マッチポイント。日本はネットにあたるサービスエースを取り、韓国にストレート勝ち。
奥は、4年前に自らに誓った通り、悲願のメダルを獲得した!
奥が、今までで一番大きい大会で、一番自分達の力が出せた試合であった。それで勝てたというのがすごいうれしく、頑張ってきて良かったと思えた。
それは、セパタクローと出逢って、6年目の冬のこと。
スポーツ万能だった奥が、はじめて日本を代表して世界と闘い、手にした栄冠だった。
第三章・脚光
日本の女子セパタクロー界を牽引するエースアタッカー・奥 千春は、普段はフリーターである。マイナースポーツのセパタクローには、スポンサー企業もなく、競技を続けるためにはアルバイト生活を送るしかない。奥は朝から入っていた焼肉店のアルバイトを終え、車で1時間半かかる亜細亜大学まで、練習に向かう。
メダルを獲得した後も、選手の大半が、フリーター生活を余儀なくされている。就職はしたいが、遠征や合宿の度に休みはもらえない。
奥は、常に安定した、余裕のある生活をしたいと言う。月に5万しか稼げないと、やはり普通の社会人の様に固定給で、安定した生活だったらいいと思うときがある。でも自分が好きなことをやる為に、自分が好きでそうしているから、仕方が無い・・・と語る。
夕方、練習場所に到着。午後6時までの1時間半だけ、ここのセパタクロー部と一緒に練習をさせてもらっている。
タイでは、小学校の授業に組み込まれているセパタクローだが、日本では、サッカーやバレーボール経験者が、大学からはじめたというケースが多い。大学でもたいていは同好会のため、体育館を確保するのに苦労している。
集中していると、すぐに時間が経ってしまう。後片づけをし、また車で2時間以上かけて家路につく。家にたどり着いた時は、午後9時を回っている。
現在28歳。アルバイトとセパタクローに明け暮れる毎日を、ご両親は、どう思っているのだろうか?
奥の母親は、同じ学年の子たちが、結婚したり、赤ちゃんが生まれたりしているので、そっちの方の幸せも考えてもらいたいという気持ちがあるという。でも、頑張っているので見守るしかないのだと語った。
奥は、この生活にとくに不満は感じていないという。頭の中は、常にセパタクローのことで一杯だ。
そしてまた今年の暮れには、大きな目標が控えているのだ。
3月8日、神奈川県。この日から、日本女子代表選手の第1回合宿がはじまった。
今年12月に開催される『2006年アジア大会』における、女子日本代表の目標は、ズバリ『金メダル獲得』である!
合宿期間は4泊5日。
選手たちはアルバイトをしながら自費で参加しているので、長期間の合宿が出来ない。そのため、短期集中の合宿を暮れまでに5回行い、調整をする予定だ。
選手兼コーチでもある奥は、自分の練習をしながら、若手選手の育成にも尽力しなければならない立場だ。
この合宿で、チームとして強化すべき課題を聞くと、レシーブ力だと言う。
タイやベトナムなどの強豪国は、サーブのスピードが速く、これまで日本チームは、サービスエースで点を取られてきた。
この強豪国に勝つためには、サーブを拾い、アタックを決めなければならない。
そのための特訓が取り入れられた。
テニスラケットで思いっきり打たれたサーブを受ける練習である。しかし、このスピードに馴れない選手たちは、苦心惨憺。
動体視力を養い、ボールのスピードに馴れて、レシーブに繋げてゆく。レシーブできなければ、試合は成り立たないのである。サーブを受け、トスが上がれば、日本チームには、奥が居る。
奥も、打点のもっと高いアタックへの改造に挑戦している。ブロックに阻まれない、高いアタックを打ちたい。
日本チームが、がむしゃらになって金メダルを目指すのには、もう一つ理由がある。
成績を収めないとメディアでも取り上げてもらえる機会がない。成績を収めたらそういう機会も増えるのではないかと、まずは成績を収めてから普及に繋げていく、という奥の願いだ。
とにかく脚光を浴びて、セパタクローを取り巻く環境を変化させたい。
日本のエースとして懸命にチームを背負ってきた奥も、今年29歳となる。今のままでは、限界がある。
タイなどは特に若い選手が多く、どんどん入れ替えも激しい。そういうのを見ていると、自分は年齢を感じると言う。でも、奥は、チームの1勝に貢献したい、もっとセパを知りたい、まだまだうまくなりたい、もっとやりたいプレーもあるのだ――と語る。
セパタクローの楽しさを、一番判っている自分たちが世界の舞台で活躍すれば、もっとたくさんの人に知ってもらえるだろう。
奥 千春は、金メダルを獲得することで日本のセパタクローを変えようとしている!
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