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画家/山口晃(やまぐち・あきら)
1969年生まれ(36歳)
群馬県出身
1996年東京芸術大学大学院美術研究科絵画専攻(油画)修士課程修了。
1997年東京・ミヅマアートギャラリーにて開催されたグループ展「こたつ派」に参加し、一躍注目を集める。画面の細部にまで張り巡らされた巧妙な仕掛けや遊び心、高度な描写力は海外でも高く評価されている。2001年には第4回岡本太郎記念現代芸術大賞優秀賞を受賞。近年ではアーティストのCDジャケットや、書籍の挿絵、パブリックアートなども手掛けており幅広い制作活動を展開中。現代美術界において、今最も活躍する作家の一人である。 |
第一章・時空
壁に掛かるその絵は、目を凝らすよりも先にまず耳を澄ます方が鑑賞の仕方としては正しい……!
そこかしこからザワザワと街の騒音が聴こえてくる気がするからだ。
鳥の目の高さから、たなびく雲ごしに見える絵の中には、さまざまな人間たちの日常の様子が垣間見える。
まるで金比羅山(こんぴらさん)の参道の光景のように、背負子に揺られる老婆の隣では、階段も登る最新鋭の車いすの老人。女子学生と一緒にいるのは、前髪も初々しい若侍と……。
この絵の中では、過去と現在とちょっと先の未来が超然と混在しているのである。
天地を貫く大きな階段の周縁に時代を超越した人々の日常がユーモラスに描かれている。まるで世間を封じ込めたような、得も言われぬ不思議な絵画である。
この絵の作者は、現代アート界で注目を集めている画家・山口 晃。彼の作品はいま、完成前から予約が入るといわれるほど人気が高い。
実質的にデビューの個展となった東京でのグループ展の時から、飄々としたユーモアあふれる作風と確かな表現力が高く評価され、その異才に注目が集まった。活躍のフィールドは瞬く間に広がり、人気アーティストのCDジャケットから雑誌の表紙など、画壇を飛び出してさまざまなジャンルにまで及んでいる。
発売された『作品集』には、初期の代表作となった作品で新しい東京のランドマークとして鳴り物入りで建設された『ITの牙城』と、その周辺の街の鳥瞰図がある。遠い昔、そこにあった建物と現在の光景とSFのような未来図が、ユーモアの接着剤で混然一体となっている風景画。
また、付録にはルーペが添えられており、ページをめくったら絵の中を自由に散歩して下さい――という暗黙のメッセージが込められている。大和絵絵巻によく使われた『吹抜屋台(ふきぬけやたい)』と呼ばれる屋根や天井などを省略する手法を壁に応用して描かれたデパートの内部――江戸時代から、近代、現代の庶民が思い思いに買いものをしている。その一人ひとりの生活の背景が透けて見えてくるような、精密な描写に思わず引き込まれてしまう。
山口は創作の拠点を東京の古い寺町に構えている。学生時代に住んだ家賃3万8千円のアパートが気に入って、今はアトリエとして使っている。
ここが、携帯電話もメールアドレスも持たない現代の絵師の仕事場だ。
現在取りかかっているのは、次の個展に向けて制作している、東京・芝界隈の鳥瞰図。衝立にキャンバスを張り、屏風絵ふうにしている。この絵は、ビルの展望台から撮った写真を参考に描かれている。
画面の隅に薄墨のような色を入念に乗せ終えると、今度は気になった真ん中あたりの彩色に取りかかる。山口は、ほとんど下描きをせずに下から上へと一気に描き進むという。10日ほどで輪郭線を描き終え、ゆっくりと色を塗りはじめる。しかし、山口の絵は決して写実的な風景画ではない。一度、頭の中取り込まれた現実の風景が、山口の中で虚構と綯い交ぜになって作りかえられ画面に現われるのである。
山口は"のっぺりしたもの"への反発だと語る。写真で見ると東京の街並みはそれなりの美しさはあるが、ビルの形がつまらない……、そこで自分が街を作り直してやる……と思った。傲慢かもしれないが東京に対する山口なりの愛着だった。
山口が愛着を持って造り直した、東京・芝界隈の風景――。
山口は、鳥瞰図に大和絵伝統の雲霞(くもかすみ)を配している。これが独特の遠近感を感じさせるが手前と奥の縮尺はほとんど同じに描かれている。
西洋画が発明した遠近法は、遠くに行くに従って物を小さく描くという我々の目に映るのと同じ距離感で描写する方法である。そこに光の加減や色の濃淡と空気の揺らぎなどを付け加えて近くと遠くを描き分けている。日本の大和絵の鳥瞰図は、下が手前、上にゆくに従って遠くという約束事の中で描かれ、上下の縮尺は同じ大きさに描写される。そこに鬱金色(うこんいろ)にたなびく雲や霞が描かれ、上空から見ている印象を加えることによって奥行きを感じさせる。
山口は、この大和絵の技法を採用した。写実をするのではなく、あくまでイマジネーションで描いている山口にとっては、この画法が自分の作風に一番合っていると思ったのである。
さらに山口は、もう一つ大和絵の伝統的技法を取り入れている。それは黒い線で、物の輪郭を描く画法である。
日本の物語絵巻などの大和絵は、墨書(すみがき)と呼ばれるいわば絵の制作主任が、墨で輪郭を描き助手がその指示に従って色を塗るという、『塗り絵』のような手法で描かれていた。そのために黒い線が残ったのである。クッキリと物の形が縁取られたため、西洋画のように影を描く必要のない独特の情感漂う絵画世界が育まれた。
山口は自分の絵にこの技法を取り入れることで、街や人などを描きながら写実的にならず、空想が混在しても自然に見えるスタイルを獲得したのである。いかにも画ならではのマジックだと山口は語る。
これら数々の大和絵の技法を取り入れながら、山口の使っている画材はキャンバスに油絵具である。それを淡く塗って、日本画のおもむきを醸し出す。
また、手軽にぼかしの効果を出すことも出来る。
大和絵の伝統的な画法を取り入れながら、独自のスタイルを確立した山口 晃。その絵には山口の、胸に秘める思いが、込められていたのである!
現代アートシーンの注目画家・山口 晃は、よくアトリエのある寺町界隈を散歩している。お気に入りは、時代が積み重なったような佇まい。
山口が描く街の鳥瞰図には、一昔前までは確かにそこにあった『練兵所』や新しく建ったビルの裾に古い建物が壊されずに残っている。
「ただでさえ、古いものを壊した東京の街……、新しくのっぺりした、面白くないものが出来るよりは、ちょっと古いものが残っていた方がいい……」という山口の気持ちが絵ならではの気楽さで表れている。
古いものを跡形もなく消してしまうことへの憤りは、学生時代から山口のモチーフだった。
風景を根こそぎ変えてしまうことへ怒りは、山口の絵の中に巧みに描き込まれている。大規模再開発でガラリと変化した街は、周辺の佇まいまでどんどんと浸食し留まるところを知らない。
『ITの牙城』には電気が必要だろうと、専用の原子力発電所まで山口は描き添えた。
この絵に描かれている、お江戸日本橋。現実の『日本橋』は、高速道路に覆われている。
しかし、山口の描く日本橋は、高速道路の上をおおらかにまたいで広重の『東海道五十三次』に登場した人々がのどかに往来している。
古いものが消し去られず、新しいものと共存している山口の世界では、人間たちも時空を超えて共生している。
そんな世界では、甲冑を着た武士がカノン砲の照準を合わせていてもさほどの違和感がないのである。
たとえ、馬の足にオートバイのマシンが組み込まれていても――。
いよいよ、絵の仕上げにかかる――。
山口は、しばらく東京タワーを見詰めていたが、おもむろにパレットに朱色を溶きはじめた。
薄墨の風景に、朱(あか)が入った――。
人はよく知っている風景に興味をいだくものである。絵の中心を成す東京タワーには現実的な彩色を施すことにした。
鳥の視点から眺めた、東京・芝界隈の絵図。雲を配することで浮かび上がってくる遠近感。現在と過去と未来が、混然と混じり合っている不思議な街。かつて、そこに存在した建物から生えてきたような、天空に伸びる東京タワー。
すべては、山口の頭の中に拡がっていた世界。
第二章・気持ち
注目が集まる山口のもとには、最近講義など絵の制作以外の依頼がよく舞い込んでくる。『平成の絵師』、『現代アートの旗手』、『次世代を担う新鋭』と、山口
晃を形容する枕詞は多々ある中、本人は自分のことをいつも『お絵かき少年』と称している。
ものごころついたときから、鉛筆を握って思いのままに絵を描いている子供だった。他の男の子たちのように走り回るのが苦手で小学校から戻るとすぐに机に白い紙を広げて空想の翼を自由気ままに羽ばたかせていた。
山口少年のキャンバスは、新聞広告の裏。日曜日には特にたくさん入って来るので待ち遠しかった。得意なのはガイコツの絵。心の赴くままに手を動かすと、なぜかいつもガイコツをひねり出していた。
そんなお絵かき少年が、青春時代を通じてずっと心を痛めていた事があった。
それは、高度経済成長のさなか小さな頃から慣れ親しんだ風景が信じられないスピードで変わっていってしまうこと。町の風情が消えて、再開発の区画整理がされてゆく。とても許せなかった。まるで見知らぬ他人に大事な思い出を土足で踏み荒らされているような憤りを感じた。
ある文章との出逢いが、その思いを加速させた。高校の教科書に載っていた、評論家中村光夫の『「移動」の時代』。日本は明治以降、一番新しいものを外国から受け入れ、日本の古い技術を捨ててきた。日本の文化さえも捨て去られる運命にあるのではないか。
町の風情だけでなく文化もなくなってしまえば日本は日本でなくなる! 何とか食い止めなければならない! 山口青年は思い詰めた。
2浪してまでどうしても東京藝術大学に入りたかったのは、ここが日本文化に対して一番影響力があると信じていたからだった。大和絵の伝統文化をむさぼるように学び、現代絵画の中でどう息づかせてゆくかを真面目に考えた。
そうして大学1年の時に描き上げた、最初の作品。西洋画のキャンバスと油絵具を使って、歴史の中に息づいている日本の伝統と魂を描く! 鼻息荒く創りあげた、西洋と日本の、文化の融合! まさに山口にとって、渾身の一作!
しかし、評価はさんたんたるものだった……。
認められなかったのは、自分の表現力がまだ未熟だからだ。そう思った山口は、技術を身につけるために幾枚もの大和絵を模写して研究を重ねた。
しかし、2年生が終り3年生になっても山口の悲壮な意気込みはちっとも人に伝わらない。気づくと絵に取組むのが苦痛になっていた。生まれてはじめて、絵を辞めてしまおうかと考えている自分がいた。なんだかとても悲しい気持ちだった。
ふと、荷物をほどいたあとのクラフト紙が目に入った。こんな紙をみつけては、お絵かきをしていた頃の気分が甦る。何も考えずにペンを走らせると、ガイコツを描いていた。ずいぶん久しぶりのことだった。
夢中になってお絵かきをした。少年の頃と同じ顔をして……。
もう、文化の融合なんてどうでもよくなった山口は、授業の課題にお絵かきしたガイコツの絵をそのまま提出した。 そうすると、先生から落書きかと言われるかと思いきや割と気軽に楽しんでくれたという。それでちょっと気を良くした山口は、こっちの路線でもいいのかと思い始めた。
気負いが取れて、山口は心のままに絵を描くという原点を取り戻した。下描きもなしに絵を描いている途中、たくさん学んだ大和絵の日本的なイメージが面白くなってきた。それを油絵にしてみようと取組んだのが卒業制作となった。
飛鳥時代の建物の上に、天平時代のお寺を載せて描いた。その上には鎌倉時代の寺院。さらには安土桃山の甍(いらか)と時代を地層のように積み重ねて載せてしまう。思想を表わす表現としてはイイ線だと思った。
それならば、参詣する人々もそれぞれの時代の人を一堂に会してしまおう! 新しい時代が、古い時代を駆逐してしまうのではなく、みんな一緒に共存している光景。絵画だから出来るマジックだ! アイディアはあとからあとから湧いて出た!
山口の絵のスタイルが定まってきた。持ち前のユーモアを発揮して、イメージのままに楽しく描いてゆく!
大学院を修了するとき、学生時代の集大成と銘打って描いた6枚からなる連作には、現在の山口に通じる特徴の原型が現われている。
新進画家・山口 晃の誕生だった。
第三章・間
山口が、仕事の準備を始めた。にわか作りの机の上に絵の道具とゲラ刷りの原稿を広げる。
今、土曜版の新聞連載のエッセイに挿絵を描く仕事を引き受けている。まず、今週分の原稿をじっくりと読む。
二度目に読む時はアイディアが浮かんだ箇所にスケッチを描いてゆく。漠然と浮かんだアイディアを、構築してゆくのが大変な作業だ。
紙に枠の線を引き――。
さらにイメージを細かく詰めてゆく。
あとは一気呵成に描く。勢いを削がないように集中して、まるで職人絵師のように。
職人仕事としての絵は、注文してくれた人の想像を、少ぉし、上回るように。これが元祖・山愚痴(やまぐち)堂の心得。
山口は、アトリエのある地元の神社の注文で一枚の絵を描いた。今日はそれを届けにやってきた。
神社がこの地に移って300年を祝う大祭を知らせる掲示板用の絵のデザイン。これも職人絵師としての仕事。
自分の作品づくりのかたわら、まだまだ仕上げなければいけない注文仕事が溜まっている。画家と職人絵師としての狭間でこれでいいのかと考えてしまうこともある。しかし、鉛筆を握り、紙に向かうとすぐに夢中になって絵を描いている。
「絵を描いていて幸せならいい……」と語る山口。細く、長くお絵かき少年でいたい。
息抜きは、散歩――という山口 晃。
永遠のお絵かき少年として、人を愉しませている男。
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