BS-i | 超・人
トップページ 番組紹介 過去の放送 掲示板 プレゼント お問合わせ  
過去の放送
#41 『松本明慶 八百年の伝承者』
主人公 仏師/松本明慶(まつもと・みょうけい)
1945年生まれ(60歳)
京都府出身


平安・鎌倉時代の天才仏師、運慶・快慶の流れをくむ「慶派」の継承者。
17歳のとき、4歳年下の弟の死をきっかけに仏像を彫り始め、19歳で大佛師・野崎宗慶に弟子入り。以後43年間仏像彫刻一筋に打ち込む。
1991年「大佛師」の号を拝命。
1999年、約11年の工期を経て、木造では世界最大級の大仏(鹿児島県最福寺・弁財天像)完成。2005年4月、新潟県中越地震で被災した山古志村村民の復興の心の支えにと、同村の杉の倒木で地蔵菩薩を制作し寄贈。仏像制作の工房・アトリエを持ち、弟子を抱えるのも難しい仏師の世界で40人もの弟子を率いる。北海道から九州まで全国の寺院に数多くの仏像を納めている稀代の仏師。

第一章・迎える

京町家からは、平安の昔から職人が紅殻格子(べんがらこうし)の向うで仕事をする音が聴こえていた……。槌打つ響きが心地よく漂ってくる京都・洛西の山里に800年の伝統を今に伝える職人が工房を構えている。仏像を造る仏師たちの仕事場である。
親方は、不世出の天才と注目され鎌倉時代に出現した名仏師=運慶・快慶の再来と称されている当世の大佛師。名を松本明慶という。
運慶・快慶ら一派は、名前に『慶』の文字がつくところから「慶派」と呼ばれた。松本明慶は、この流れをくむ当代の慶派である。

現代では、随一の大仏の作り手としてこれまでに十体もの木造大仏を建造。また、震災で傷ついた新潟県山古志村の復興を祈って、地震で倒れた村の木から童地蔵を彫り上げるなどの仕事も手がけ、芸術家でも宗教者でもなく、人に拝まれる仏像を造る職人として40年余り精進してきた。

松本明慶の手による仏像は、全国各地で人々に慈しみの心を与えている。作風は、とても絵画的でノミで彫り上げられた仏像であることを忘れてしまいそうなほどの「質感」と「表現力」を兼ね備え、なめらかな木肌の表面は、ノミ一本で削られたものでサンドペーパーは使われていない。大小数10種類のノミを使い分けて、こまやかな細工を施してある。
「羂索(けんざく)」とよばれる不動明王の持つ縄も本物と見紛うばかりの質感が漂う。鬼子母神の裾に取りついている子どもたちは、手に手に柘榴の実を持ち、その種の一粒ずつが今にもあふれ出しそうに細かく描写されている。

肌身離さず持って歩く小さな仏像。
仏の身の丈は、ほんの1センチ8ミリほどである。
人の心を捉えて放さない仏像の美しさには、800年の昔から口伝で伝承されてきた奥義が隠されていた――。

仏像には秘伝のバランスというものが伝わっており、人間に比べて手が長く造られている。仏様はすべてのものを包み込めるようにと指先が膝に届くほど長いのである。

仏師のからだの中には、いにしえよりの伝統が血脈のように流れている。
松本明慶が受継ぐ驚異的な伝承技術は、『一木造り』と呼ばれる一本の木片から仏像を彫り上げる技である。下絵も描かず、木の中心線を引くだけで、無造作にノミを入れてゆく……。
『粗彫り』と呼ばれる仏像の姿が明確に見えるまで彫り上げる工程に要する時間はおよそ1時間。ここからさらに『中彫り』、『仕上げ彫り』と工程を重ねて、完成に至るまでは5日から1週間ほどかかるという。

実在感を追求した松本明慶作の仏像。まとった布地の柔らかさ……、今にも身動きにつれて揺れ出しそうな装飾品……、ところどころ裏側にノミを入れ、装飾品を浮かせている芸の細かさ。決して、パーツごとに彫って組み合わせるのではなく、すべてを一本の木材から設計図もなしにノミだけで彫り上げてゆくのである。着物の生地の織り方にも整合性を持たせている念の入れよう。これが松本明慶の研ぎ澄まされた技である。

いにしえから、大黒天の姿で伝承された仏師の技術を当世に受継いだ松本明慶のさらなる凄さを我々は目の当たりにすることになる。仏像を造る材料となる木材を見詰める眼差しにこそ、彼の真骨頂があった!

仏師・松本明慶が、工房の裏山の小径へと我々をいざなった。そこには仏像の材料となる木材が保管されている。話していると松本明慶は不思議なことを口にしはじめた。
「木、なんていうのはそれだけでも仏さんが宿っているものですからそれに自分がどう手を加えさせてもらうか……という事ですね」。
木の中に仏が宿っている! 松本明慶の目には、どのように仏の姿が見えているのだろうか?

一本の白檀の木から『一木造り』で彫り上げられた金剛力士像。置いてみるとこの金剛力士の
腕は、台座の横幅からはみ出している。
しかし、斜めに像を傾けてみると……、完全に一本の木から掘り出されているのが分かる! 
松本明慶の目には、木の中に見事に金剛力士像が見えていたのである!

明慶は「木の塊の中から、精一杯の色んなポーズをされた仏様が自分の手元に出てこられます」と語る。
木と話すと自分の中でどんどんイメージが湧き、勝手に手の方がどんどん動いていってしまうのだ。

この一寸角の木の中にも仏が棲んでいると松本明慶は彫りはじめた。そうして、松本明慶は身の丈一寸の仏様を現世に迎え入れたのである……。

第二章・宿す

仏師・松本明慶が仕事をする音。ノミを小槌で打つ音は実は生まれた頃から聴いていた。京都洛中の職人町に生まれ育った明慶には、この音が子守歌代りだった。明慶こと松本勝明が、仏師を志したのは17歳の頃。可愛がっていた四つ下の弟が病でこの世を去ったのが動機となった。弟はまだ13歳。余りにも早過ぎる死だった。やり場のない悲しみを若い勝明は持て余した。仏はいったいなにを思ってこんなむごいことをするのか……!

勝明は手近にあったノミと木材を使って一心不乱に仏像を彫り始めた。木材が無くなれば、流木や電柱の廃材や擦り切れた下駄までも使って彫った。彫り続けている時は平静な心でいられた。彫りに彫った仏像は、2年間でおよそ300体。部屋は足の踏み場も無いくらいだった。そして、19歳になった勝明は、そのありったけの仏像を持って、ある老仏師を訪ねた。

野崎宗慶。
「慶派」の流れをくむ最後の仏師だった。

82歳の宗慶は、勝明が持ちこんだ仏像を一目見て弟子入りを認めた。宗慶にとっては2人目の弟子だった。師匠と弟子は一対一で向き合いノミを振るった。800年にわたる伝統の秘技を手渡す、深く静かな日々だった。しかし、師弟の濃密な時間はまる1年でふつりと途切れた。師匠・宗慶が他界する。勝明は、まだ20歳になったばかりだった。

師匠は宗慶ひとりと決めた勝明は、その後ひとりで師の教えを胸に黙々と仏像造りに没頭した。
しかし――何も変わらなかった……と言う。
30歳の時、周囲から慶派を継ぐよう勧められ『明慶』を名乗り、修行を重ね、年齢を重ねるうちに光明がひらけるように一つのことが見えてきた。それは、自分の為に彫るのではなく人の為に彫る事。仏像が持つ力、仏像が持つ意味を全て自分が全て把握して、それを全て自分に乗せていかなければ、仏像の役目は果たさないのだ。

……それが判ったとき、仏師・松本明慶の心の目が開く――。

材料となる木の中に仏が宿っているのが見えるようになった。仏様に対する自分の思いやそれを拝む施主の希望も考え、それを全部叶えられるだけの技術を織り交ぜていったら勝手に見えてきたのだと言う。師匠と向き合った濃密な1年間で授けてもらったものが絡んだ糸がとけるように理解できた。

松本明慶はその後、数々の名作を生み出してゆく――そして齢60を迎え、松本明慶は新たな境地を見出した。それが像に現われている――。
「仏心」――仏の心とは何か。
「仏というのは基本的に人間の中に宿っているもの……。だとすると、仏はどこに一番住みたがるのだろう? と考えたら、『赤ちゃん』だと思う」と語る明慶。赤ちゃんは、3歳までに全ての親孝行をしているといわれる。だから仏心はその中にあるのではないだろうか……。新たに命を授かって、この世に迎え入れられた、赤ちゃん――。その姿には無限の可能性を秘めた未来が宿っている。赤ちゃんは、仏様が作った真新しいもの。だから明慶の造る仏像の手や足は、赤ちゃんが大きくなったような質感なのだ。赤ちゃんの愛情は、無償……。汚れを知らない強さもある。それは東西を問わず、宗教を問わず、どこの民族でも大事にされる。明慶が描き出す至福の浄土では、慈しみの眼差しで見守る菩薩様の周りで大勢の無垢な子どもたちが何も恐れず伸びやかに遊んでいるのだった……。

第三章・十年

松本明慶は、その技術と経験において木造の大仏を造ることが出来る日本でも指折りの仏師。現代の第一人者である。

松本明慶の工房では長い間取組んでいた大きな仕事が仕上げの時期を迎えていた。
大仏の制作――。若い弟子たちと共に、数年の歳月をかけて手がけてきたものである。

今日は躰と顔の部分を試しに組み立ててみる作業の日。明慶を中心に弟子たちがそれぞれのパートを受け持ちチームで制作を進める。巨大な大仏は、多くの角材を組み上げてゆく『寄せ木』の技術を駆使して造られている。樹齢数100年という木々を巧みに貼り合わせて、ノミでなめらかな曲線に削りだしてゆくのである。気の遠くなるような工程を経て、向う500年は保つ大仏を造っているのだという。いくつもに分かれた檜の部品を寸分の隙間もなく貼り合わせて組み上げてゆく『寄せ木造り』。10分の1のこの模型は、謂わば三次元の設計図である。模型の体積を千倍にした実物は6年の歳月をかけて造られてきた。

明慶は、弟子たちの身体の中にその技術を蓄積させながら後世に残る大きな仕事を仕上げてゆく。
500年後の仏師に平成の仏師たちは、確かな名人の仕事をしていたと言わしめるために。さらに、松本明慶はこの10年で果たさなければならない大きな役割を意識しているのだという。

還暦を迎えて、あと10年は弟子の為に生きよう――。

40人の弟子を率いて当代の慶派として大きな仕事を手がけている松本明慶は、いま自分の持っているすべてを弟子たちに伝え授けてゆくと決心している。かつて1年の間で800年の秘伝を教え授けてくれた我が師のように……。

明慶の目標は、「ネクストワン」。いつも全力投球していると、前の作品よりも、いい作品が出来る。
前の作品よりいいものが出来ない人というのは、謂わば自分の力を全て出し尽くしていない人。
「技術の『摘み並べ』をするのではなく、技術の『積み重ね』をしたい――」と言う。
松本明慶。800年の伝承を背負って、ますます精力的に走り抜く、当世の大佛師。
 
BS-i Panasonic ideas for life