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競輪/山崎芳仁(やまざき・よしひと)
1979年生まれ(26歳)
福島県出身
小学生の時に、父に連れられていった地元いわき平競輪場で吉岡稔真選手のレースを見て、競輪選手に憧れる。競輪選手になるには脚力が必要と、陸上部に入部し、中学でも自転車の為に陸上を続ける。高校は、自転車の名門校・私立石川高校に進学。高校時代は自転車競技の中距離で活躍し、全国選抜ロードレース40キロで優勝、アジアジュニア大会においても優勝を果たした。
2003年7月、23歳で競輪デビュー。デビュー後は、一着を量産。
2004年6月、レインボーカップで決勝に進出し、S級特進を決める。
その後も着実に実力をつけ、2005年12月、次世代を担う競輪スター選手の登竜門 ヤンググランプリで優勝。さらに、今年2月に行なわれた東日本一位を決める東王座戦でも優勝し、目覚しい活躍で、今、最も注目される若手選手である。 |
第一章・意識
それは、風が渡る大きな"擂り鉢"の中。
大気を切り裂いて、猛スピードで疾走する競技用自転車に人々は夢を乗せる――。
鐘の音を合図に、9人の選手たちは激しく加速しはじめる。
全身の筋力を爆発させ、死力を尽してゴールへとひた走る日本生まれの自転車競技――それが『競輪』である。
その競輪界で、いまもっとも注目されている若手の選手がいる。山崎芳仁。
去年の暮れ、次世代を担うスター選手への登竜門『ヤンググランプリ』で見事に優勝。今年初めには、東の日本一を争う『東王座戦』でも優勝を果たした。
破竹の勢いで優勝をさらう山崎の「強さ」を他の選手たちは、「山崎さんの後ろにいても、抜ける気がしない」「どんどん加速して抜きにいけない」「パワー、脚力、先行逃げ切り、まくりのスピードが全然違う」と評している。
トップスピードがずば抜けて速い山崎。勢いに乗る"新星"がいま目指していることは、毎年12月に行われる1年の最高峰のレース『KEIRINグランプリ』を制する事!
――山崎は、純粋に競輪界の王者となることを目指している。
標準的なレースは、1周およそ400メートルの『バンク』と呼ばれるコースを5周、およそ2000メートル走り順位を争う。
最初はレースの模様を読み合いながら、遅いペースで一列になって進む。一番前を走ると、スピードが上がるにつれ多くの「風圧」を受けて不利になるため、スタートから3周は『先頭員』と呼ばれる先導者が先に走って、風圧を受ける役割を果たす。
ラスト2周、先頭員が退くと、レースはにわかに動きだす。ゴールに向けて、ポジション争いが白熱する。そしてラスト1周半『ジャン』と呼ばれる鐘が打ち鳴らされると、スピードも駆け引きもラストスパートがかかるのである!
ずば抜けたスピードが武器の山崎の「勝ちパターン」は2つ。
ひとつは『まくり』という戦法。
はじめは風圧を受けないように先頭集団の後ろについて走り、3コーナーから4コーナーにかけて、外側から一気にライバルを抜き去り、1着でゴールを切るというもの。
もうひとつは『先行逃げ切り』。
ジャンが鳴ると、力一杯踏み込んで集団の先頭に立つ。ラスト1周、そのまま一度も先頭を譲ることなく、1着でゴールインするというパターンである。
いずれも、先頭に立った瞬間から大変な風圧を全身に受けながら、追い落としを狙う後続の選手を抑えてレースを先導しなければならない。それには、トップスピードを長く保ち続ける「持続力」が必要である。
そして山崎の強さの秘密は、まさにこの「持続力」なのである。
山崎の持続力は、いったい何処から生まれるのか?
山崎の走りと、山崎と同期の坂口卓士選手の走りを比べる。1秒間に1000コマ撮影できる超高速度カメラの映像で、そのフォームの差を検証してみた。
トップスピードで走る山崎は、身体がピタリと静止していて、まったくブレていない。
一方、坂口選手は、力一杯ペダルを踏み込む時、上体がわずかに左右に傾き、頭も揺れている。ヘルメットについた穴を見ていると、それが顕著に判る。
この、まったくブレのないフォームは、山崎の強さである「持続力」にどんな影響を与えているのだろうか?スポーツ運動生理学の観点から、山崎と坂口選手のフォームの分析を依頼した。
訪ねたのは、研究テーマとして『自転車のペダリング運動』などを手掛けた、順天堂大学大学院の形本静夫教授。
さらに元・競輪選手の松本整さん。
松本さんは、現役時代から「スポーツ動作研究」に取り組み、30歳が選手のピークと言われる競輪の世界で、45歳にしてG1レースで優勝するなどの実績を持っている。
専門家は、2人の走りをこう分析する。
坂口選手は、横の動きが多く、トップスピードの時、上半身が左右に揺れてしまう。そのため身体を傾けた時にパワーが左右に分散してしまい、すべてのエネルギーが自転車を前に進める「推進力」に繋がってゆかない。
しかし山崎は、身体がブレないため、すべてのパワーがスムーズに自転車に伝わり速いトップスピードを実現する。そしてロスがないため、トップスピードを長く持続することができるのである。
では山崎はどうして、ブレずに走ることができるのだろうか?
山崎は、ブレないように意識していると言う。「自転車のペダルを力一杯に踏む」――という意識ではなく、「身体がブレないように」と意識していることが、結果的にロスなく、自転車にスムーズに力を伝えることに、繋がったのである。
横の角度から見てみると全身の筋力をフルパワーで使っているにもかかわらず、山崎のフォームは、ごく自然体に見える。
背中の力をうまく使って自転車に力を伝えていることが、このフォームから見えてくる。山崎は、腕から背中、腰、そして足の筋力を連携させて自転車に効率よく全身の力を伝え、スピードのある"走り"を生み出していたのである。
トップスピードに達した時も、身体がブレない山崎のフォーム。それがエネルギーのロスなく自転車にスピードを乗せ、持続力を発揮できる彼の強さの秘密だったのである。
いま競輪界でもっとも注目を集めている新鋭、山崎芳仁。
彼の武器は、弾丸のようなスピードとトップスピードを長く保つことができる持続力である。
しかし競輪は、タイムを競うものではなく着順を争う「勝負の世界」。スピードと持続力だけでは勝つことができない。そこには高度な"駆け引き"が存在する。
今年3月、山崎が『先行逃げ切り』で勝ったレースを題材にして、彼の"意識的な駆け引き"を見てみる。
『ジャン』が鳴り、山崎は外から集団の先頭に立つ。ラスト1周、山崎はこのまま先頭を維持するため、時速70キロ近いスピードの中で風圧を一身に受けとめて走る。2位以降の選手は、山崎の後ろについて風圧をよけ『まくり』に出ることもできたはずである。しかし山崎がそれを許さなかった――。
山崎が先頭に立ったあと、5番手を走っていたゼッケン7番オレンジの選手が外から加速し、まくろうと狙ってきたが、結局追い抜くことができなかった。
実はここで山崎は、テクニックでまくりを封じたのである。
本人の解説は、ラスト1周を先行して走るとはいえ、体力が持たないのですべてを全力疾走している訳ではないという。
では加速するときと、余力で走るときをどう配分するのだろうか?
それは、サドルを見ているとわかるという。加速している瞬間は、サドルが半分以上見えている。
ラスト1周で、山崎が先頭に立つ。2コースを回った辺りで、オレンジの選手がまくりをかけて迫ってくる。そのとき山崎は全力で踏み込んで加速し逃げた。
そして、まくりをかけてくる7番オレンジの選手を、脇の下から見て確認していたと言う。7番オレンジの選手がまくってきたのを見て、加速で封じた山崎は、彼が自分の後ろにピタリと付いたとき、力を緩めたのだと言う。
脇の下から見て、相手が内側に下がったのが見えたタイミングで加速するのをやめた。内に入るとまくってはこない――。
「風圧」を引き受けて先頭を走る山崎の後ろで後続の選手は、謂わば有利なポジションからまくりをかけたにもかかわらず、結局ゴールまで山崎の前に出ることはできなかった。
そんな爆発的なトップスピードと、身体をブレさせないフォームが支える驚異的な持久力、そして緩急自在な勝負感を武器に持つ山崎芳仁――。
注目の新鋭は、これからの競輪界を揺るがす"台風の目"となる予感を孕んでいる!
第二章・階段
今年早々、東日本のチャンピオンを争う『東王座戦』制覇――と、ビックタイトルをものにして順当にトップへの階段を駆け上っている、山崎芳仁。
彼の頭の中は、常に競輪のことでいっぱいだ。
福島県いわき市。山崎は、この自然豊かな町に生まれ育った。
家から車で5分の場所にある競輪場には、小学校の頃から通っていた。競輪好きだった父が、休日ごとに連れてきてくれたのだ。
仕事が多忙で、なかなか話もできなかった父とずっと一緒にいられるのが、競輪場での時間だった。
そして、小学校6年生のとき。山崎少年は、その競輪場で運命のレースを見た。後ろにいた黒の選手が突如、矢のようなスピードでグングンと先頭に迫り、たちまちトップに躍り出ると、そのままゴールを駈け抜けたのである!
流星のようなその選手・吉岡稔真は、その日から山崎少年のヒーローとなった!それが、競輪選手になりたいという夢の芽生えだった。
高校は、数々の名選手を輩出した自転車競技の名門校に進学。しかし、ここの自転車部はロードという長距離競技が主で、短距離を競う競輪とは別のものだった。
自転車部を指導する名伯楽・鎌田弘史監督は、部員に一日200キロ走行のノルマを課していた。はじめは、競輪とは違うことに違和感を感じていた山崎は、それでも素直に黙々とノルマをこなし、自転車競技に必要な基礎体力を身につけていった。
――そして、花を咲かせた!
高校男子40キロのロードレースで日本一となり、続いてアジアも制して、たちまち注目を集める選手へと成長した。
しかしロードレースで期待されていた山崎は、卒業後は競輪選手を目指すと宣言。そんな山崎に鎌田監督は、ある人物を引き会わせた。
現在も現役の競輪選手・添田広福さん。添田さんは、競輪学校を目指す少年たちのための私塾『夢道場』を主宰して、後進の指導に当っている。生徒たちそれぞれの持ち味を考え、計画的な練習メニューが組まれてゆく。
これが念願の競輪!山崎は、水を得た魚のようにいきいきと練習に取組んだ。
山崎は、指摘された課題の「スピード特訓」を繰り返した。競輪は、短距離のスプリント競技。トップスピードの速さが、勝敗に大きく影響を及ぼす。ここ一番の瞬発力は武器になる。
課題に取組むときの山崎は、凄まじい集中力を発揮した――。
その甲斐あって、競輪学校1次試験の実技は問題なくクリア。ところが山崎は不合格となってしまった。以降なんと4年連続、学科で不合格!
浪人の4年の間、山崎はひたすらスピード練習に明け暮れた。
添田コーチが運転する車の後ろのドアを開け、加速する車のあとを懸命についてゆく。これなら風圧がほとんどかからないため、より高いトップスピードを求めることができる。ペダルを猛烈なスピードで回転させる感覚も身につけられる。さらに、バイクのタイヤを引きながら全力で走る苛酷な練習も繰り返した。
この4年間の特訓は、期せずして山崎の競輪選手としての特質を徹底的に養う結果となった。
22歳。5度目のチャレンジで競輪学校へ入学。1年間の養成期間で自分の持ち味に磨きをかけ、卒業レースでは準優勝の成績を収めた。
2003年、念願のデビューを果たし、3ヶ月後には初優勝を手にした。デビュー当時の山崎は、得意の「まくり」で次々に勝利を収めていった。
競輪選手は、成績によってランク分けされる。競輪学校卒業直後の新人は、一番下のA級3班。
レースの結果で半年ごとに昇級してゆき、最高位はS級1班となる。S級選手は、全競輪選手の中のわずか2割。成績が悪ければ容赦なくA級に落ちる。
山崎は、デビューから1年でS級特進を決めるレインボーカップで決勝に進出。得意のまくりで、早々とS級に上がった。
ところが、S級になって初めてのレースで、山崎はその怖さを思い知ることになる。
ジャンが鳴って、山崎は得意のまくりをかけたのだが、先頭集団を追い抜くどころか、山崎はすべての選手に追い抜かれてしまい、結局最下位でついて行く結果となってしまった!
山崎は、新たなレースの仕方を身につける必要に迫られてしまった。まくりでは勝負にならないのなら、先行で飛び出して逃げ切るしかない。
競輪はタイムトライアルではなく着順を競うものなので、先頭に立って他の選手を制すれば勝負に勝てる。培ったトップスピードは、最後の直線で爆発させればいい。
問題は、どこで先頭に飛び出し、如何にして追い抜かれない駆け引きをするか――山崎は練習のときも常にレースを想定し、後続の選手の呼吸や思惑を読みながら、スピードに緩急をつけてゆく駆け引きの練習を積んだ。
練習は、すぐに結果となって現れはじめた。
山崎は、S級の錚々たる選手たちを向うに回して、先行逃げ切りのレースを展開させてゆく。そしてトップスピードの速さを生かした、緩急の駆け引きでレースを制するようになった。
現在、山崎芳仁はS級1班。レースに出る度に、勝負勘に磨きをかけてゆく――。
第三章・試行
朝まだき――山崎は毎日欠かさず、早朝練習へと向かう。
まだ車の往来もほとんどない早朝が、練習をするのには丁度いいのである。
早朝練習には、いつもお父さんがつきあってくれている。
山崎が競輪選手になったことを一番に喜んでいるお父さんは、いまでも最大の理解者である。
S級選手となった山崎。最初は競輪選手になることが夢だった。しかし夢をかなえた今は、更に頂点を極めて年末グランプリでの優勝が現在の目標だと言う。
その年の王者を決める、頂点のレース『KEIRINグランプリ』。その出場キップを争うG1レースが、今年12月、地元『いわき平競輪場』で開催される。
流星のように優勝をさらったヒーローと同じバンクで勝って、年末の『KEIRINグランプリ』への出場を決めたい。そのためには、いまの競輪テクニックに更なる磨きをかけなければならない。山崎には現在、取組むべき課題が見えていた。
それは、ペダリング。
トップスピードになったとき、理想的なペダリングが出来ていないような気がする。その不安が、なかなか拭えない――。
山崎は、ペダリングに関して教えを請うために、京都にやってきた。ある大先輩に会うためである。
元競輪選手・松本整さん。現在ジムを経営している松本さんは、現役時代から有効なペダリングの研究などを続けており、理論を自分で実践し続けてきた。
その結果、45歳にしてG1レース優勝という、快挙を成し遂げた。その「松本理論」は現在、競輪界の最新理論として学ばれている。
まず、山崎は、松本さんに「ペダリング診断」をしてもらった。そして、診断結果が出た。
時速30キロで走行しているときは、右足・左足ともに一番効率の良いポイントでペダルが踏めている。理想的なペダリングである。
しかし、トップスピードに近くなると、一番効率の良いポイントで踏めていないという診断結果である。
このペダリングのズレを改善するための矯正器具を松本さんは示した。それは楕円形のギアである。
楕円形のギアを自転車に装着して練習すると、ペダルに力を加える適正なポイントが体感でき、学べるのだという。
福島に戻った山崎は、さっそく矯正ギアを取付けて練習を行っていた。
ギアは楕円形なので、力を入れずに回転させることが出来る向きと、力を入れて踏まないと回せない向きがある。この力を入れて踏むポイントが、本来ペダルを強く踏むべき正しい角度なのである。これを何度も体感し癖をつけると、ギアを通常のもに戻したあとも、強く踏むべき角度が判るようになるという寸法である。
意識を集中させて、脳に感覚を刻み込んでゆく――
山崎は、常に自分で感じた"課題"に取り組みながら、自分の「競輪」を改造してゆく。よりよい競輪を極めるために。
競輪とはなんなのか?の問いに、競輪がなかったら、人生がつまらなかったと山崎は言う。競輪があって、いま自分がある――。クビになるまで、走り続ける――と語った。
山崎芳仁――二本のタイヤの上に人生をのせて猛スピードで駈けてゆく、男。
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