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#51 『太田雄貴 二十歳のエスプリ』
主人公 フェンシング選手/太田雄貴(おおた・ゆうき)
1985年11月25日生まれ(22歳) 
滋賀県出身

小学3年生から父の影響でフェンシングを始める。1995年の少年全国大会で優勝を飾り、以後多くの大会を総なめ。平安高校時代には、史上初のインターハイ3連覇という快挙を成し遂げ、2002年には17歳という最年少記録で全日本選手権優勝。2004年アテネ五輪へ出場し日本人最高の9位を記録。2006年のアジア大会、2007年の全日本選手権でも優勝を飾った。キレのあるアタックを特徴とし、その実力は「日本フェンシング史上最高の才能」と呼ばれるほど国内屈指である。北京五輪でメダル獲得を目指す。

※2006年6月25日 初回放送
※2008年6月22日 第1回再放送

第一章・瞬

中世以降、騎士たちが、命をかけて刃を交えながら、洗煉を極めてきた鋼の剣――大切なものを守り、名誉を守るため、威信をかけて、その切っ先を振るい合った――。
フェンシング――その発祥は中世ヨーロッパ。戦場で騎士は、厚い鎧に身を固め、棍棒のような重い剣を振りかざしながら闘った。やがて戦場に大砲や銃などの武器が登場すると、剣は護身用として、或いは決闘用として、細身に軽く改良が加えられ――近代になると、スポーツとして発展して来た。
しかし、現在でも、フェンシングに貫かれているのは、あくまで騎士道の精神。エチケットとフェアプレイが重んじられる競技である。

日本では、馴染みの薄いこのフェンシングで、世界と渡り合っている若きホープがいる。――太田雄貴、現在20歳。わずか17歳にして全日本選手権を制覇。続く世界大会を転戦して、好成績をおさめ、2004年アテネオリンピック代表に選抜。日本人過去最高の9位となった。そして、同じ年のワールドカップでは、日本人として初の優勝。今年のワールドカップでは接戦の末、見事に銀メダルを獲得した。

全日本代表チームの合宿――太田は、高校2年生の時から、常に代表に選ばれ続けている。
太田は、3種類あるフェンシングの種目の中で、最も競技人口の多い『フルーレ』を専門としている。試合の駆け引きはスピードが速く、初心者には、どの瞬間にポイントが入ったのか、容易に見分けがつかない――。

競技は、細長い『ピスト』と呼ばれるエリアで行われる。攻撃は“突き”のみ。先に“突き”が決まった方にランプが点灯し、ポイントが加算される。ワールドカップなどでは、先に15点先取した方の勝ちとなる。
攻撃で有効なのは、首から下の「胴体」。背中を突いてもポイントとなる。500g以上の力で、14/1000秒以上突くと加点される。切っ先は、直径5mmほどのバネ式スイッチになっており、相手を突くと、電流が流れる仕組み。剣を伝わった電流は、身体に通した線を通じて、『電気審判機』へ。
そして、ルールの中でも重要なのが、『攻撃権』の存在である。この『攻撃権』を得た方の選手しか攻撃することができない――。先に攻撃を仕掛けた選手が『攻撃権』を得る。防御する側が、相手の剣を払ってよける動作をすると、『攻撃権』は入れ替わる。この『攻撃権』をめぐる“一瞬の応酬”が、フェンシングの醍醐味なのである。

1秒間に1000コマ撮影できる超高速度カメラの映像で“剣の応酬”を解析してみる。相手選手から仕掛けはじめた『攻撃権』が、剣を振い合う毎に入れ替わり、双方ともに一進一退の攻防が繰り返されている――。そして最後は、相手の大きく開いた胴体に、すかさず太田の一突きが決まった。

太田の身長は170cmと低い方。外国人選手との対戦では、リーチが短く、不利なはずである。ところが太田は、世界とも互角に戦っている。その秘密はどこにあるのだろうか。

太田の同級生で、ライバル同士として、数々の試合を戦ってきた日本代表の千田健太選手は太田をこう評する――「剣の速さでは世界でナンバーワン」。
太田の剣さばきは、世界トップレベルのスピードがある、と云われている。フェンシング歴8年、インターハイ団体で全国制覇したメンバーのひとりだった小松睦人選手と、そのスピードを比較してみる――小松選手が1度突く間に、太田は2度突いている。

太田が外人にも負けないと豪語する技をスーパースロー映像で見てみると――相手に剣を払われたあと、手首を使って剣をしならせ、小さな動作で巻き上げるように相手の切っ先を払い、同時に“突き”にかかっている。
同じことを、先ほどの小松選手にもやってもらった。
相手の剣に払われると、同じように剣を巻き上げる動作にかかるが、肘から回すので動きが大きく、突きが一瞬遅れる。両者を比べてみると――太田の方が動きがコンパクトで、無駄な間がなく、しかも相手の胴を深く確実に突いているのがわかる。
太田は、剣の“たわみ”を十二分に利用して、手を最小限にしか動かさない。これが、太田の剣さばきのスピードを、さらに速いものにしているのである。

“剣さばきのスピード”の他にも、太田には世界が瞠目する、速攻の武器がある。『ファーント』と呼ばれる、フェンシングの基本的な攻撃の速さである。
前進しながら、腕を伸ばしきって目標を突く。ハイスピードカメラで検証すると相手が引くより速く前に踏込んで、突くのが確認できる。比較のため、小松選手にも『ファーント』をやってもらった。動き出しは、まったく同じタイミングだが――大きく前へ踏み出す動作は、太田の方が、断然速い。
しかも、踏込んで突きの動作に入る時、太田の姿勢はまったくブレず、しかもタメの動作がない。重心移動がスムーズで、正確なのである。

太田の場合、腕をいっぱいに伸ばして『ファーント』したあとも、重心が揺るがず、体勢が安定しているので、次の動作に移るのもスピーディーで、受け身にも、更なる攻撃にも、自在に変化できる。
さらに、太田は、攻撃を確実にポイントにつなげる高度な“技術”をもっている――!
それは、「しっかり突くこと」。腕をいっぱいに伸ばし、肩を動かすのではなく、肩胛骨だけを前に出して、さらに剣を深く突き出すのである。それが、スピードのある攻撃で、確実にポイントをあげるための技術だ。

そして、太田には、さらなる驚異的な能力があった――!
日本のフェンシング界を牽引する若き剣士太田雄貴。フェンシングは、ほんの一瞬の間に、相手と剣を交えながら、攻撃や防御を繰り返す競技。如何にして相手の“剣の筋”を読み、駆け引きに持ち込むかが、勝負なのである。
太田は、相手の剣を受けたその瞬間に、攻撃に転じる能力が群を抜いている。「他人より剣が見える。だから次に突く動作までの時間が短い。」と太田は自らを分析する。
だから、動作攻撃を仕掛けられた瞬間、直径わずか5mmの相手の剣先が、自分のどこを狙ってくるのか、太田は瞬時に読み切るのである――。この卓越した“剣を読む力”のために、太田が得意としている技がある――相手の「背中」を、突くのである。

太田は、剣を交えながら、背中を突く“流れ”に持ち込んでゆく。
相手がファーントで仕掛けてきたところを、太田は剣を巻き上げるようにして受け――上がった剣をおろす動作で、不意に相手の背中を突く。或いは、こんな“流れ”も作りだす。相手が踏込みながら突いてくるのを軽くかわし――攻撃権が移ったところで、切っ先を下げて、下から突き上げ、相手の肩の辺りを狙う――相手はセオリー通り、それを巻き上げるようにかわし、双方とも剣が上がった姿勢になる。相手が体勢を直しても、太田は剣を上げた姿勢のまま、胸の辺りをガラ空きにする。相手がすかさずそこを突いてこようとしたとき、太田は剣を振り下ろし、一瞬速く背中を突くのである。
「相手が叩きに来るところを逆にすかして突く。そういう相手との心理戦が一番楽しい」と太田は語る。
そんな駆け引きを、わずか2秒あまりの間に行うのである――!

太田は、相手の“剣の筋“をあらかじめ研究し、その剣の動きと心理を読み、“流れ”を導き出して一瞬の“隙”を見出す。そして、相手の視界の外から、不意に背中を突く、という技をやってのけてしまう。『バランス』のよい安定した姿勢と剣の『スピード』、そして相手を自在に巻き込む『読みの力』が、太田を向かうところ敵なしの若きホープへと押し上げているのである。

第二章・覚

全日本代表チームの合宿に、地元のフェンシングチームの子どもたちが合同練習に訪れている。日本ではまだマイナー競技であるフェンシングの普及のために、太田たち代表選手は胸を貸すことを厭わない。子どもたちの真剣なまなざしを見ていると、自分がフェンシングに夢中になり始めた頃を思い出す――。
太田は、練習試合の相手も引き受ける。昔、自分が小学生だった頃も、全日本選手に練習台になってもらったことがある――。幼い頃から、何でも一番でなければ気が済まない子供だった――。

幼稚園の頃の運動会を写したホームビデオが残っている。鉄棒が得意だった太田少年は、逆上がりが連続で何回も出来ることをアピールしたかった! ――もっともその後は、かなり目が回ったようだが。

フェンシングと出会ったのは、小学校3年生のとき。高校時代、選手だった父に勧められて、地元のクラブに入った。習い始めは、あまり気乗りがしなかった――。ところが、経験半年で出場した地元の「少年フェンシング大会」で、太田少年は次々に対戦相手を破っていった。そして、見事に優勝してしまった。
さらに、その年の少年全国大会でも優勝を果たし、いきなり日本一。太田少年は、急にフェンシングが大好きになった。それからというもの、学校から帰ると、すぐに剣を持ち、父を相手に剣さばきの練習に打ち込んだ。
「(家が狭いので)手のレッスンばっかりだった。手の速さはそこからきていると思う」と太田は言う。

小学生で、国内タイトルを総ナメにすると、中学からは、父の母校でもあるフェンシングの名門校に進学。年の離れた先輩相手に毎日稽古を重ねると、中学3年間は、負けなしの日本一を続けた。中学3年生のときの初の海外遠征でも、本場の少年たちを向こうに回して勝ち進み――見事に優勝。
高校へ上がった時点で、すでに「別格」の実力を持っていた太田は、1年生でインターハイを制覇。毎日がフェンシング一色だった。
「フェンシングにとってマイナスになるようなことは一切しない子だった」と当時の先生も言う。
毎日練習を重ねれば重ねるほど、自信がわいた。結果が面白いように着いてくる。その頃の太田は、万能感で満たされていたに違いない。

ところが――やはり彼にも、試練は訪れた。突如見舞われた、坐骨の剥離骨折――痛くてフェンシングの構えがとれなくなった。坐骨剥離骨折は、手当のしようがない。安静にしているしかなかった。骨折は治っても、痛みが長引いた。剣は握れるが、痛みをかばった動きでは試合に勝てない。それまで破竹の勢いで来た太田は、初めて挫折というものを味わった――どっぷりと浸かっていたフェンシングと、少し距離が出来た……。

「フェンシングからしばらく離れたい」と太田は思った。

勝てなくなり、早々に試合に敗退すると、今度は他人の試合を横から見ていた。観客のひとりとして、脇で真剣に試合を見たのは、これが初めてだったかもしれない。そんなふうに距離を置いてフェンシングを見つめていたとき、太田は、自分の心の中に何か芽生えるものを感じていた――。

「他人同士の試合を見る機会が増えた。それまでは、相手の動きを見ずに剣をふるっていたが、相手の剣を見てから対処しようと考え方が変わった。」と太田は振り返る。

これまでは、自分の剣の才覚で勝ち抜いてきた。自らの腕を鍛え、磨き上げると、相手が追従できなかった。
しかしそれでは、本当のフェンシングではない――と太田は思い始めた。騎士道から生まれたフェンシングは、人と人が、精一杯に、死力を尽くして闘う競技。剣を通して、まるで対話するように闘っている人の方が、圧倒的に勝っている! 道筋が見えると、太田のフェンシングが変わりはじめた――。

傷も癒えた頃、ひと回り大きく進歩していた太田は、17歳で全日本選手権の決勝にコマを進めた。
しかし、相手は何度もチャンピオンに輝いている強豪。試合は一方的に進み、大差をつけられて10対2。とても勝ち目はなかった。
「初めて決勝でテレビに映るのに10対2では恥ずかしいと思った。開き直るしかなかった。」と太田は言う。
一瞬にして欲が消えてゆくと、太田は初めて体験する感覚に包まれた――。相手の動きがまるでスローモーションのように、ゆっくりに見えてくる。
「あのとき初めて、スポーツ選手がよくいう“ゾーン”という感覚に入った。あの日を境に、コンスタントにあの感覚が出せるようになり、大人にも負けなくなった。」と太田は語る。
“無心”の境地――相手と自分が生み出している試合の“流れ”に乗って、導かれるように剣を振るってゆくと、太田には次々と、突けばいいポイントが、見えた――。
そして結果は、奇跡的な大逆転で優勝! 高校2年生、史上最年少の日本チャンピオンの誕生に、フェンシング界が沸いた! ジュニアチャンピオンからの飛翔――。日本のフェンシング界を牽引する立場となった太田雄貴の快進撃がはじまった。

第三章・挑

その日、太田は、愛用のフェンシングの道具を携えて、最も信頼を寄せる人の元を訪ねた。フェンシング用具のマエストロ坂口武己さんの工房である。剣は消耗が激しい道具。定期的な調整が欠かせない。
坂口さんは、使い込んだ剣を手にしただけで、その選手の微妙な要求まで察して、繊細に調整してくれる――。一流選手にとっては、心強い味方である。

17歳で日本一に輝き、世界大会でも何度も上位入賞を果たしている太田だが、なぜか、あの17歳の時以来、全日本チャンピオンのタイトルを手にしていない。
「試合をやるまでは、相手を殺す気で頑張ろうと思っているのに、ちょっとリードしたりするとふと気がぬけてしまったり、反対にちょっと離されるとあきらめてしまったり……。その辺がメンタルの弱さ。技術的にも体力的にも充実しているので、あとは気持ちの面で充実しさえすれば絶対に負けないと自負している」と太田は表情をひきしめる。

精神的な面は、肉体の充実から育まれる――その方針の下に、現在、太田は週に3度、筋力アップのトレーニングを取り入れている。
「2試合目から6試合目位までは、いいパフォーマンスができる。だが7試合目から10試合目になると、足の疲労が表れ、息も上がってしまう」と太田は言う。
課題は下半身の強化。スピードのある“突き”を繰り出すとき、踏み出した足には、およそ700kgもの力がかかるという。それに耐え、姿勢を安定させるためには、強い下半身の筋力が必要なのである。そしてその強い筋力が、持久力を生む。

フェンシングを始めてから、太田が本格的な筋力トレーニングに取り組んだのは、意外にもこれがはじめてだ。
松田トレーナーは、「始めはマズイと思った。オリンピック選手の体力テストで、筋力は下から数えた方が早かった。でも反射神経はトップ3。センスだけでやってきた。」と当時を振り返る。
天才的なセンスに基礎体力が加わり、自信が深まって、太田はもうひと回り大きく、生まれ変わる時期を迎えている……。

そんな太田を、日本フェンシング教会強化副委員長の江村コーチはこう見ている――「10年〜20年に出るか出ないかという選手。もっともっと世界の強い選手たちと剣を交えて、自分の力を確信して、世界のトップになれる。」

これまで、国内の試合には照準を合わせてこなかった太田は、最近、その姿勢が変わってきた。たとえそれがどんな小さな試合でも、全力で挑もう――。発祥の頃のフェンシングは、負けは即、死を意味していた。だから負けのあとには、道はないのである――。投げ出したくなるような試合でも、最後まで食いさがって勝つ。そうやって全力で苦難を乗り切ったとき、何かをつかめるという予感がしている。

「自分が今ありたい姿というのは、『どの試合も全部勝つ。世界でも日本でも。』――そんな選手。絶対負けないという自信をもてるような選手に、僕がなりたい。」と太田は強く語った。

太田雄貴。フェンシングという“道”の先に人生の片鱗が見えはじめた男――。
 
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