
 |
 |
飛板飛込選手/寺内 健(てらうち・けん)
1980年8月7日生まれ(27歳)
兵庫県出身
小学5年生から飛込を始め、中学2年生のときに高飛込で日本選手権優勝。以来、日本の飛込界のトップを走り続けている。1996年アトランタ五輪に出場し、最年少ながら高飛込で10位。その後、シドニー、アテネと3大会連続五輪出場し、シドニーでは高飛込5位・飛板飛込8位、アテネでは飛板飛込8位と連続入賞、好成績を修めている。
2001年世界選手権で飛板飛込3位となり,世界選手権飛込競技で日本に初のメダルをもたらした。また、同年の東アジア大会では強豪の中国を破り優勝。美しい姿勢が持ち味で、世界トップクラスと高く評価されている。現在、北京五輪でのメダルを目指し、その技に磨きをかけている。
|
※2006年8月13日 初回放送
※2008年7月6日 第1回再放送
第一章・2秒
時計の秒針が、目盛を2つ刻む、その間に、競技は雌雄を決する――。選手は、この2秒間の"印象"に、すべてをかけて臨むのである――。
飛板飛込。しなる板を力一杯に踏み込み――、その反動に乗って、空中高くジャンプ――、躍動的で美しい回転を見せ――、水中に静かに消えてゆくまでの得点を競う。
ダイビングには、2種類の競技がある。一つは、固定されたコンクリートの台から飛び込む『高飛込』。そしてもう一つは、バネのきいた板から跳ね上がって飛び込む『飛板飛込』である。
高い台の上から水面へと落下してゆく高飛込に比べ、飛板飛込は、板の使い方やジャンプ力など、高度な技術力が求められる。計6本跳んで、その合計得点で順位が争われる。
採点のポイントとなるのは……? 飛板上の、助走の『姿勢』――、跳躍の『高さ』――、空中姿勢の『美しさ』、そして、入水の『スムーズさ』である。
中学生で日本選手権に優勝して以来、日本の『飛込界』を牽引しているのがこの男。――寺内健。
その"演技の美しさ"は、世界が目を見はる。高さのある、ダイナミックなジャンプ――、美しい"空中姿勢"――、そして"ノースプラッシュ"と呼ばれる、水しぶきのほとんど上がらない『入水』は、世界トップクラスである。
16歳で、アトランタオリンピック日本代表に選出され、「高飛込」に出場。以来、オリンピックには3大会連続出場し、日本チームのエースの大役を果たした。シドニーオリンピック以降は、飛板飛込に専念。アテネでは8位に入賞した。
14歳のときから12年間、日本の飛込界をリードしてきた寺内健。その、世界と渡り合う強さの秘密は、どこにあるのだろうか?
「自分の見せ所は、踏み切ってからの高さ」と寺内は言う。スプリングボートと呼ばれる『飛板』を踏み切ってからの"高さ"――。寺内の"高さ"を他の選手と比べてみると――。そのピークは、頭2つ分、寺内の方が高い。
同じ条件の下、なぜ他の選手より高く跳べるのだろうか?
「高さを出すのに必要なのは、板の先端にしっかり乗ること」と寺内は言う。飛板飛込は、弾力性のある『飛板』を使いこなすテクニック次第で、勝負のほとんどが決まるとまで云われている。飛板はプールに1.5m突き出したジュラルミン製。歩く度に、上下に大きくしなる。その中でも、もっとも反発力が強い先端に乗れば、より高く跳ね上がることが出来る……。だが、先端10cmに乗るのは、オリンピックに出場する選手でさえ至難の業なのである。
先端を狙う寺内の足運びを、小型カメラで捉えてみた――。
踏み切った寺内は、飛板の先端10cmのエリアを見事につま先で捕まえた……! 「何となくではなく、攻めて板の先端に乗る」と寺内は言う。"攻める心"で、飛板の"先の先"を狙っている……!
1秒間に1000コマ撮影できる超高速度カメラの映像で、寺内の飛板を捉えるテクニックを検証してみた。
最初の踏み込みの反動を利用して、高く飛び上がる――。そして、狙い澄ましたように、つま先で飛板の先端にピタリと降りた。
世界のトップ選手にとっても至難の業である"先端を捉える"感覚について、寺内はこんなふうに話している……、「板を掴む感覚が重要」。"板を掴む"という、この寺内独自の感覚に、何やら秘密がありそうだ……!
演技を捉えた映像をスローモーションで検証してみる。
飛板は、選手の助走の瞬間から上下に大きく揺れはじめる。板の反動を、効率よくジャンプに活用するためには、板が下がってゆく瞬間に踏込むのがベストタイミングである。反対に、上に上がろうとしている板の上に乗ってしまうと、力が相殺されて、高く跳び上がれなくなってしまう。
では、寺内の場合はどうか? スーパースロー映像は、彼の驚くべき精密なテクニックを捉えていた!
寺内のトライ。助走から踏込んで、最初のジャンプ――。飛板がまさに下がろうとしている瞬間に板に着地していた! 板の反動をもっとも効率よく生かした使い方で、頭上高く跳び上がっていたのである! 何度跳んでもらっても、的確にベストタイミングで板に降りてくる――! 「つま先で、板が戻ってくるタイミングをコントロールしている」のだという。
寺内は、飛板がしなるタイミングを、つま先で板を掴むように踏むことで、コントロールしていたのである。
板を踏み切るとき、つま先で板を掴むようにして、身体と板の動きを"同調"させているのだという……。そのため、着地のタイミングは、測ったように、板が下へたわもうとする瞬間と一致する……。
板の動きをコントロールするという、その足の裏を見せてもらった……。
足の裏は、長い時間を掛けて研ぎ澄まされた、寺内の感覚を支える"センサー"の役割を担っている……。「足で板を掴む」という感覚で、自在に飛板のコントロールをし、最大限の反発を利用して高く跳ぶ寺内健。その驚くべき身体能力が、さらに彼の『演技』の精度を高めていた!
飛板の反動を最大限に利用し、高くダイナミックな演技を見せる、寺内健――。
彼の空中姿勢の美しさは、世界から高く評価されている。飛込の空中姿勢には、3つの型がある。身体を真っ直ぐに伸ばして跳ぶ『伸び型』、膝を抱えて回転する『抱え型』、身体を腰で折り曲げて両足を揃える『えび型』。中でも『えび型』はもっとも難易度が高く、得点も高い。世界のトップクラスの選手でも、完璧な『えび型』は極めて難しい。
トップクラスといわれる飛込選手たちの演技を、検証する。最初の選手は、膝が曲がってしまっている。また、次の選手は、足と身体の間に、すき間が出来ている……。
では、寺内の演技を検証してみる――。
ピンと伸びた足と身体は、隙間なく美しい姿勢で回転している。――これが世界と闘う寺内の"武器"である! 美しい空中姿勢を可能にしているのは、この寺内の身体の柔らかさ――。練習の前の入念な柔軟体操は欠かしたことがない。肩も、足の指先までも、柔らかい。世界の代表選手たちが、わざわざ演技を見に来るという、寺内の空中姿勢の美しさは、この"身体の柔軟さ"から生み出されている。
さらに、美しい空中姿勢をコントロールしているのは――。強靱な"腹筋"である。
ピンと伸ばした下半身を、腹筋で、素早く上半身に引きつける。オリンピック日本代表選手の中でも、寺内の腹筋量は群を抜いているというデータもある。寺内は、身体を支えるものが何もない空中に飛び出して、腹筋の力で素早く身体を折り曲げ、美しい姿勢をつくり上げる。そして回転の後、今度は身体を素早く開くために腹筋を伸ばすのである――。
この強靱な腹筋は、寺内の演技にパワフルな"スピード"を加えている――。
他の選手と、寺内の『演技のスピード』を映像で比較してみる。
ジャンプした瞬間で合わせてみると……。3回転半したのち、スピーディーに身体を開きはじめている。そして、入水のための体勢を整え、身体を真っ直ぐにしながら水中へと入ってゆく――。そのため、水しぶきも、ごく小さい。水しぶきをたてない入水は『ノースプラッシュ』と呼ばれ、すべてのダイバーが目指す最高のフィニッシュである。
寺内は限りなく『ノースプラッシュ』に近い入水を決める。水中に沈んだ後の"跳ね返り"が起きない。
空中でのダイナミックな演技がどんなに成功しても、入水に失敗すれば大きな減点はまぬがれない――。寺内は、えび型姿勢から、強靱な腹筋でスピーディーに身体を伸ばし、入水に備えて体勢を作る一瞬の余裕が出来るので、まるで一点から吸い込まれるように水中に入り、最低限の飛沫しか上げずにフィニッシュを決めることが出来るのである。助走から、たった2秒間の演技時間の中で、足の指先の感覚で、絶妙な飛板コントロールをし――、空中では、柔軟な身体を、強い腹筋で自在に操って美しい姿勢をつくり上げ――、さらにスピーディーに身体を伸ばして入水を決める。
"美しい"という形容が一番似合う、人の印象に刻まれる演技をやってのけるのである。
第二章・逆境
寺内健の所属先は、地元・宝塚の名門スイミングスクール――。
26歳になる寺内は、『乳幼児クラス』の頃からなんと26年間、このプールに通い続けている。実は今年から、小学生に『飛込』のコーチをはじめた。10mに届く高さから水面へと飛び込んでゆくこの競技には、常に危険がつきまとう。恐怖心も克服しながら、競技が出来るようになるまでには、多くの準備が必要だ。
「苦しいことを乗り越えられる精神力をもった人が残っている」と寺内は言う。血の滲むような努力を積み重ねて歩んできたトップダイバーの道。辛い練習の先には、必ず栄光があることを、伝えたい……。
寺内が、水泳競技の世界に飛び込んだのは、生後7ヶ月の頃。ものごころつく前からプールで泳いでいた。
11歳までは、競泳選手になりたかった。「競泳の『選手コース』で泳いでいたが、なかなか速くならず、練習がしんどくてイヤだった」と寺内は振り返る。
練習がつらくなってくると、隣のプールで遊んだ――。そこには、よく跳ねて面白い『飛板』が設置されていた。寺内少年は、まるでトランポリンで遊ぶように、ピョンピョンと飛び跳ねていた。――その姿を、あるコーチが、驚きの目で見た……。中国からやってきた馬淵崇英コーチである。「バランス感覚が優れ、オリンピックや世界に通用する才能をもっていた」と語る馬渕は、寺内少年に飛込を薦めた。
飛込ならオリンピックを狙える――! 寺内少年は、アッサリと転向を決めた。しかし彼には、致命的な問題があった――。
身体が硬い! このままではオリンピックはおろか、飛込み選手になることさえ絶望的だ――。そこで始まった練習は、寺内少年の想像を絶する、徹底した、柔軟三昧の日々だった。「毎日泣いていた。水にも入らずに柔軟ばっかりで……」当時を振り返る、寺内。
身体中のあらゆる関節に、大人たちがのし掛かった。来る日も来る日も忍耐に次ぐ忍耐……。しかし寺内少年は懸命に耐えた。練習時間が10時間に及んでも、不平は言わなかった。はじめは地獄のような毎日だったが、少年の身体は徐々に変化を見せ始めた……。心の中の葛藤が重ねられ、ある決意が生まれた。――何が何でも、オリンピックに出てやる! 歯を食い縛って頑張り続けた練習は、3年にも及んだ――。しかし、才能の原石は、確実に輝きを増していた……。
14歳の寺内は、大人たちに混じって日本選手権の高飛込にエントリー。順調に、ファイナリストに残った。
そこに立っていたのは、身体が硬かったことなど想像だに出来ない、しなやかで完璧な『えび型』の姿勢をとった、才能豊かな選手だった――。そして、中学生の"新鋭"は、大人たちを抑えて堂々の1位を奪取。見事に日本チャンピオンの座に就いた。
16歳の夏――。寺内は念願通り、日本のエースとして、世界のスポーツの祭典・アトランタ五輪に出場を果たした。初出場ながら決勝に残り、10位に食い込む健闘を見せる。
続くシドニーオリンピックでは、高飛込5位入賞。さらに高い技術力が求められる飛板飛込にも挑戦した。そして飛板飛込でも、8位入賞! ……その時寺内は、飛板飛込に、大きな手応えを感じていた。さらに翌年の世界選手権では、銅メダルを獲得! その時の試合を後から見たところ、「自分が狙えるのは『板』の方だ」と寺内は思った。
飛板飛込は、選手自身のパワーで、より高く跳ばなければならない……。筋肉量の少なかった寺内は、徹底した筋力増強のためのトレーニングに取り組んだ。
寺内は、"力"で跳ぼうとしていた。当然、酷使された身体は軋みはじめた――。
膝が、壊れてしまった。診断は膝蓋腱炎、通称・ジャンパーズニー。膝のお皿が痛むという疾患で跳躍を多くするスポーツ選手にその患者は多いという。手術をした寺内は1年間跳べなくなった。飛板飛込を掴みかけたところで、寺内は戦線を離脱……。しかし寺内には、まったく焦りはなかった……。「ケガをしたから落ちるのではなく、どう自分を上のレベルにもっていけるかが一番のポイント。ケガをする前よりも、更に強くなる」と寺内は決意した。
出来る練習をコツコツと続けている寺内の頭の中から、飛板飛込が消えてしまうことはなかった。
プールサイドで、他の選手の練習をジッと見詰めながら、イメージの中で、自分の演技を練り上げた。そして、飛板をうまく跳んでいる選手の姿を見ながら、寺内は、あることに気づいた――! 飛板の跳ねを利用する能力がないと、高く跳べない。力任せに跳ぼうとしていた姿勢を改めて、板をコントロールする術を考えよう。
練習に復帰した寺内は、足の裏で、飛板の動きに意識を集中し、何千回と踏んでは、感覚を磨いた。
そうして、独自の飛板のコントロール技術を完成させた。復帰戦となった日本選手権では、自己最高点をマークして優勝。続くカナダカップでは、初の国際大会優勝を勝ち取った――。
第三章・攻める
2004年のアテネオリンピック。3度目の出場となる寺内は、もっともメダルに近いと云われていた……。
飛板飛込・男子決勝戦は、大混戦。誰がメダルを取ってもおかしくないほど、力は拮抗している。寺内は予選を5位で通過。メダルは圏内にある。ここで獲得すれば、日本史上初のオリンピックでのメダルである。期待がのし掛かかるが、自分の演技が出来れば、ほぼ大丈夫だ。
本番。……とうとう、このときがやって来た! 浮ついてしまいそうな気持ちを鎮めて、寺内は飛込台に立った。
5本目は、得意の『えび型』の演技。これで決められる……! 周囲の熱い期待を感じていた。しかし……オリンピックには魔物が棲んでいた……! 板の先端に乗れず、高さが出ない。「守りに入った。自分のもっている演技を出せなかった。15年間で一番悔しい」と言う寺内。結果は、最終的に8位に後退。もっともメダルに近いはずだったアテネは、あっけなく幕を閉じた――。
攻める演技こそが、寺内の真骨頂だったはずだ。しかし、あの時はミスをしないようにと、守りに入っていたのではないか? 練習で出来ていたことが、本番ではまったく出来なかった――。ずっと夢は叶えてきた。しかし一つだけ、やり残してしまったことがある。
「オリンピックのメダル。もちろん金メダル」だと寺内は言う。2年後の北京オリンピックに、金メダルを取りに行く――。そのために、新しい技の開発に取り組んでいた。新たに取り組む、その技は――『前・逆宙返り3回転半抱え型』という大技。得意の『えび型』を発展させるのではなく、寺内は、初めての『抱え型』の大技にあえて挑戦することを選んだ。これが、寺内の"攻める心"――。自分を徹底的に追い込んでいく――。
迎えた関西選手権の日――。出場する寺内のエントリー種目の中には、新しい"大技"が組み込まれていた。そして、それは、見事に完成していたのである!
「オリンピックの金メダルは、自分にとって究極の場。幅広くいろんなことに全力で取り組む。徹底的に」と寺内は決意を熱く語る。
寺内は、2年後の"北京"に照準を合わせた『弾丸』のように、ただ一直線に突き進む!
|