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#59 『挾土秀平 風を塗り込む』
主人公 左官職人/挾土秀平(はさど・しゅうへい)
1962年7月1日生まれ(44歳)
岐阜県出身


左官職人の2代目に生まれ、高校卒業後、熊本と名古屋で左官職人として修行を積む。1983年技能五輪の左官部門で優勝。高卒者の優勝は史上初の快挙。
修行の後は地元飛騨高山に戻り、父親が経営する挾土組に入社し、大型建築物件をはじめ数々の大仕事をこなすが、「土にこだわり続けたい」との思いから2001年に独立し、『職人社秀平組』を設立する。
伝統技法を踏襲しながらも、それに縛られない自由な発想で、土壁を純金で仕上げた金沢市内の黄金の土蔵や、土を原料にした化粧品など、その境界を越えた仕事ぶりが話題を集める注目の左官技能士。十数人の職人を仕切る親方となった現在も、土の新しい表現方法を模索し続け制作活動にいそしんでいる。

第一章・自然

天然自然の土と水を練り合わせ、伝統のコテで壁を塗る・・・。この途絶えてしまった古い智慧を、現代に掘り起こした男――。
土壁を塗る左官職人たちの智慧が、かつての民家では、そこかしこに生きていた――。
家の壁は、古来からずっと、住んでいる場所の土で造られた・・・。
その地方の気候風土に合った壁をこしらえるには、そこで育まれた土と砂を使うのが一番。実りをもたらした後の、よく乾いた藁を一緒に塗り込めば、藁の繊維質が泥を繋ぎとめて、丈夫で長持ちする壁が出来上がる。

左官職人は、壁の厚さや、形状や、場所によって、様々なコテを使い分け、湿度の高い夏には湿気を吸い込み、乾いた冬には湿気を吐き出す“呼吸する壁”を造り上げ、庭には白い漆喰の土塀を巡らせて、快適な生活空間をもたらしてくれた。
左官の親方の豊富な智慧と巧みな技術なしには、家は建たなかった。
四季折々。そこに暮らす人々の住みやすさを、左官職人は造りだしていた。
しかし。土壁はいつしかコンクリートに取って変わり、季節に応じて暮らしてゆく術は、すっかりと鳴りをひそめた。そして。かつての左官職人の智慧は受継ぐ人を失くし、櫛の歯が欠けてゆくように廃れていってしまった・・・。

そんな古き良き「里暮らし」の智慧を、手探りで蘇らせ、注目を集める若き“左官の親方”が、挾土秀平である。
日本で一番忙しい左官職人――と呼ばれ、マスコミもこぞって紹介する、時の人。
土を知り、配合を工夫し、デザインを考え、部屋のコンセプトに沿った壁を塗り上げる。彼の手に掛かると、その部屋は土の壁一枚で、居心地のよい場所へと生まれ変わってしまう。その確かな技術は折り紙付きである。

出場資格21歳以下の新人職人の登竜門である『技能五輪全国大会』左官部門で、見事に優勝。経験がものをいう左官部門で、キャリアわずか3年だった挾土の優勝は、まさに快挙。36歳の時、文化財の土蔵の修復を請け負い、ほとんど残っていなかった伝統技法を研究して、完璧に復元させた。
廃材の板と泥で造った『松ぼっくりの野菜庫』は、海外の建築雑誌にも取り上げられるほどの、斬新な試みだった。

左官の仕事は奥深く、面白くて仕方がないという挾土にとって、土の壁とは?
「如何に精神的に、自分の気持ちを穏やかにしてくれるかが、土壁の本当の魅力」と挾土。
挾土の造り上げる『土壁』の魅力を、今手掛けている、ある現場の“仕事風景”から紐解いてみる・・・。

匠の伝統文化がいまなお息づく飛騨高山――ここが挾土の本拠地である。現在ここで、築100年の旧家を和菓子屋に改装する工事がはじまっている。挾土は、店内の壁のデザインから製作までを一手に請け負っている。
左官の親方として、ここにどのような和菓子屋の空間を作り出すのか・・・?
挾土はまず、どんな土を使おうかと考えて、街の裏手の山へやって来た。選んだのは、赤い色の土――。
床の間の柱には、赤土の壁をあしらうことに決めた・・・。
壁材に使う「土」は篩に掛けて、植物の根や小石を丁寧に取り除く。そこに水を加え、土の中の、粘土の成分を溶かす。さらに目の細かい篩に掛けて、粒の大きな砂と泥とを振り分ける。下に落ちた3cm以下の泥が、壁塗りの材料である。
砂と藁を足して材料が出来上がると・・・挾土は、60cm四方の木枠の中を壁に見立てて、テストを繰り返す。砂や藁の配合や、色の落ち着き具合を見る。
「大きな面で失敗すると、大切な素材が勿体ない」と挾土は言う。
日差しや風に晒されたとき、ひび割れが出ないか、何十年と保つ壁になるか・・・細やかに気を配って、試作を繰り返すのである。

挾土が拠点として設立した『秀平組』――。
制作の方針が固まって、建築家との打合せ。今日では、建築家と現場の職人が、事前に打ち合わせを持つのはごく希だが、挾土は昔の左官の親方のように、内装の壁のデザインから実際の工事まで請け負っているので、こうして建築家が訪ねて来て、摺り合わせを行う・・・。
挾土が提案したのは、壁の中に、“花が散ってゆく時のうつろい”を塗り込めてしまおうというデザインである・・・。
その作業初日――挾土率いる左官職人の面々が現場へ到着。
今日は、床の間の部分を造る。今日使うのは、水分が多めに配合されている土。
塗り始めは、挾土自らコテを振るった――。元あった土壁の上に、8mmほどの厚さで、赤土の壁材を塗る。下地の土壁が猛烈な勢いで水分を吸ってゆく。砂が多く配合してあるので、表面がざらついている・・・。
赤土を塗り終えると、挾土はデザインの中にあった「花」を咲かせはじめる・・・。
壁を飾る「花」は、麻の繊維を使って作る。赤土の壁が乾いたとき、花の色が映えるよう、さまざまに試して、黄色い土で染めた色に決めた。“共色”にならないようにするのだという。
壁が乾いてしまわないうちに、一輪ずつ埋め込んでゆく・・・。
数分後。挾土の作業スピードが、突如速くなった・・・。一気に壁一面に土の花を散らす。最後の花を咲かせ終わると、汗だくだった。
「水気がちょうどいいときに、埋めなければならない」と挾土は言う。
絵画ではなくこれは「壁」なので、手で触れても剥がれないように埋め込まなければならない。ヤワな仕上げはできないのだ。
挾土は「左官は失敗する職業だ」と言う。「こうやったら成功するという正しいやり方はどこにもない。気候・自然を読みきれないのと一緒だ」と。

作業2日目は快晴――。
今日塗る壁の下地は石膏ボード。乾きにくいので、水分を少なめに配合した赤土の材料を持ち込んだ。
挾土は、昨日の続き。花を咲かせる作業は、挾土にしかできない。
そして、今日塗った壁に、花を散らす作業をはじめたのは、塗り終えてからおよそ4時間後。しかし30分もすると、作業を止めてしまった・・・。
思った以上に壁が乾かない。午後になって急に湿度が上がったようだ。計算して土の配合をしてきても、天候の急な変化に振り回されてしまう・・・。
扇風機を回して、乾きを促す――。
赤土の水分が、麻の繊維に染み込んで、花を同じ色に染めてしまう。挾土は水を含ませた筆で、丁寧に赤い色を取り除いてゆく・・・。

依頼主の店のオーナーが、現場を見に来た。挾土に惚れ込んで、これまで何度も、仕事を依頼しているという。
築100年の旧家だったその建物は――挾土の土壁に囲まれた、和菓子屋の店舗へと生まれ変わってゆく――。
店の名前となる『花筏』の花が、流れる風に吹かれて、ゆっくりと舞ってゆく――。
繊細な花の一瞬の表情と、挾土が狙った土の風合いが、永遠に封じ込められている壁・・・。訪れる人の心を和ませる、挾土の壁が、またひとつ現れた――。

実はいにしえの左官技術を蘇らせる挾土の師匠は、山の自然だった!
土と向き合いながら、かつての左官技術を独学で蘇らせている親方・挾土秀平。
彼は忙しい仕事の合間に、よく山を歩く。「必ず自然の中にヒントがある」という。
手掛けた和菓子屋の壁に、風が吹き、花が舞っているのも、自然からヒントを得たのだった。
そういえば漂う花の中で、一つだけ形の違うものがあった・・・。それは挾土が、山で実際の花筏を見つけたときに、発想したモチーフだった・・・。

挾土の仕事場の壁には、これまでに試行錯誤しながら造った、60cm四方の土壁の“試作品”が三重になって並んでいる。どれも、自然をテーマにしたものばかりである。そのひとつひとつを眺めてみる。
桜の花びらが、夜空に舞うデザインの作品。花びらの一枚一枚を、土をこねて再現した・・・。
稲穂が秋風に揺れるデザインの作品。本物の稲を、丁寧に土の中に塗り込んでみた・・・。
シンプルな土壁の作品。これには挾土なりの細やかな考え方が行き渡っている・・・。挾土がどんな工夫をしたのか。この試作を造っているところを見てみる。
壁材は5種類の土を配合して練り上げた。そこに挾土が何かを入れた――。通常の藁の代わりに、唐松の落ち葉を使った。「鋏で切った藁は切断面が直線で人工的。落ち葉は断面が自然で綺麗。同じように見える壁でも、人の目は無意識のうちにその違いを感じとっている」のだと言う。
日々の暮らしの中で、無意識に目に入ってくるのが壁。だから土壁は、自然そのものにしておかなければならない・・・。そのために、挾土はコテ捌きにも、神経を行き届かせている・・・。コテを八の字に回して、風に吹かれているように見せている。

挾土が造る土壁で囲まれた空間には、風の姿が見える――。
「色とか肌合いとか、人間は精神的に休まるようなものとして壁を見ている」と挾土は言う。
挾土は、自然の風景を壁の中に塗り込んでいたのである・・・。

第二章・智慧

飛騨高山にある、挾土の仕事場――。
挾土は、14名の左官職人をまとめる親方。数少ない、土壁のスペシャリスト集団だ。

挾土秀平は、父親も左官職人。小さな頃から2代目を継ぐべく、育った。そして地元の高校を卒業すると同時に、左官修行のため、熊本の親方の元に入った。
「まったく何の違和感もなかった。親父も苦労をしていたので、早く働かなければならないと思った」と挾土は振り返る。
同じ年齢の見習い職人たちは、中学を出てすぐに修行をはじめていたので、挾土より3年キャリアが長い。挾土は懸命に努力を重ね、その溝を埋めようと躍起になった。その結果が、『技能五輪全国大会優勝』に繋がった。他の出場選手たちより、3年も短い経験で、挾土は、技能日本一をもぎ取った。
しかし、その技術を生かす場所はなかった。時代はバブル経済の真っ只中。仕事の現場はいくらでもあったが、毎日毎日、まるで機械のように、セメントを塗る役割。大都会の工事現場で、コンクリートだけを見詰め、設計図通りに手早く壁を塗る。やり甲斐は感じなかった――。
「うんざりだった。でも会社があるから、無理やり気持ちを押し込めて耐えていた」若き日々。そんなとき挾土はふと、事務所のマガジンラックにささっていた一冊の業界誌を手に取った。
『左官教室』と銘打たれた一冊の雑誌――それは、土の壁に取り組んで、イキイキと仕事をしている左官職人たちを紹介する、業界でも話題となっていた雑誌だった。
その中の、あるコラムに、挾土は心を奪われる・・・『われわれの自らの手で結んだゆえにほどくことの出来る技術、私達が自然から借りたものはその生をまっとうさせてやるか、自然の流れの中に帰してやるしかないというまっとうな技術思想によってのみ、われわれが住むに値する、呼吸する空間を生み出すことが出来るといえるのではあるまいか』。
コンクリートの建築物は、老朽化が進めば破壊するしかなく、決して元の自然には戻らない。
しかし、かつての左官職人たちが造った建物は、結んだ紐をほどくように、分解することができた。柱を抜き、土壁を落とし、それが新たな家の材料になったり、元の自然の中に帰すことも出来た。
人は自然から、必要な分だけを借りて、暮らしを立てていた・・・。自分が本当にやりたかった仕事は、これなのではあるまいか――?
挾土は、目覚めてしまった――。

左官職人になって、土に触ったことはない。土壁を教えてくれる職人も近くにいない。挾土は、山に分け入っては土を集め、独自に工夫して配合を研究をした。失敗を重ねながら、木枠の中に土を塗って、少しずつ技術を掴んでいった。
セメントを塗るコテはすぐに錆びた。土壁には使えない。これまでの経験が通用しない。しかし、失敗することが、なんだか楽しかった。
「寝るのが嫌だった。眠たいことに腹が立つ位だった。ものすごく楽しかった。ボロボロのプレハブが城みたいだった」と言う。
コツコツと何百という数の土を塗ってゆくうちに、さまざまな智慧が備わった。そのうち、美しい土壁のサンプルのことが噂となり、ちらほらと仕事依頼が舞い込んでくる・・・「飛騨の高山に、面白い土壁を塗る左官職人がいるよ。まだ若いけど、たいした腕でね。表情は豊かだし、センスはとびきり! 細工がこれまた乙なんだ!」。

挾土は、この道を選んだことに確信を得た思いをした。――そして挾土は会社を飛び出して独立。
影響を受けた雑誌『左官教室』から、取材を受ける立場になっていた。さらに、雑誌社主催のイベント仕事の依頼も、舞い込んできた。
あなたが考える左官職人らしい仕事を、公開でやってほしい。どんなことをやるかは、一切お任せいたします・・・という。挾土は考え込んだ。
それじゃあ里山に、自然のものだけを使って野菜庫でも建てようか・・・。落ちていた廃材の板がある。あれを使って、土と水で壁を造ろう・・・。挾土の頭脳が、高速回転をはじめる。野菜庫の形は、山に落ちている松ぼっくりみたいにしたら面白い!
「そんなに今の社会に頼らなくても、身の回りにあるもので綺麗なものはできる。モノは買ってくるのではなく、自分の足で探してくる」と挾土は言う。
山で採ってきた竹を、藁の縄で編み、骨組みを作る。それに泥を塗り込んで廃材の板を差し込んでゆく。
自然から必要なだけ借りてきて、使い終わったときには、ほどくことが出来る野菜庫。これぞ、左官の仕事そのものだ!

挾土の作業を公開したイベントには100人を超す有志が集まり、挾土の指示で働いた。里山は、まるで村祭りの様相だった。
そして人々の目の前に現れたのは土の壁で湿度が保たれ、野菜をみずみずしく保管することができる野菜庫――。
板葺きの屋根は、雨も日差しもやわらげて、庫の中の温度を一定に保つ。役割を終えたら、土に帰る。この松ぼっくりの野菜庫は、海外の建築雑誌にも取り上げられ、挾土の名は全国に轟いた。

第三章・夢

東京・南千住で建築が進むマンション――。
そのエントランスの壁を挾土が手掛けている。テーマは沖縄のリゾートのイメージ・・・わざわざ沖縄のビーチから砂を取り寄せて、壁に塗り込んだ。
超多忙な日々でも、合間をヤリクリして、時間をひねり出す。というのも挾土には、行かなければならない場所がある・・・。
それは4年前に購入した、1000坪の山・・・。
手つかずの自然が残る高山郊外の里山を、挾土が手に入れたのには、訳がある。

高山の街に打ち棄てられていた、老朽化した洋館――。持ち主も持てあまし、解体しようとしていることを知った挾土は思った。「これは左官職人である、オレの出番だ!」――この建物をほどき、左官の技を使って、蘇らせてみよう! 挾土は洋館を譲り受けた。
移築する場所を探して、この山を買った。稼ぎをみんな、つぎ込んでしまった。
仕事で全国を忙しく飛び回りながら、時間を作ってはやって来て、少しずつ建てている。ここには、自分の持っている左官の智慧を、すべて注ぎ込むつもりだ。
やってみたかった事を全部ここで試してみる。若手を育てることも出来るだろう。・・・そんなふうにして丸4年経った。完成はいつになるか判らない。でも誰にも文句は言われない。発注主も自分だから・・・。

「建築をして自然を作るのではなく、本当にある自然を極力活かして、自然を中心に建築する」と挾土は言う。
いにしえの里人は、暮らしに一番適した場所を選び、山から必要なものを必要な分だけ集めてきて家を建てた。挾土はそれを、ここでやってみたいと思っている。
この山に来る度に挾土は、「すごく気が休まる。ここ自体が自分の夢。頑張らなければならない」と思う。
挾土の頭の中で、夢がゆっくりと像を結んでゆく。どんなものが出来上がってくるのか、とても愉しみである。

挾土秀平。土と水とコテを使って、風をつかむ男。

 
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