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陸上監督/川本和久(かわもと・かずひさ)
1957年生まれ
佐賀県出身
佐賀県伊万里市に生まれる。筑波大で陸上選手として活躍後、同大大学院でコーチ学を専攻。その後、小学校講師などを経て1984年に福島大教育学部に助手として勤務。同時に陸上部監督となった。
1991年、文部省の在外研究員として、約1年カナダと米国へ留学。五輪3大会連続金メダルのカール・ルイスのトレーニングを間近で見るとともに、ルイスのコーチ、トム・テレツに学ぶ。
20代で福島大学を東北総合優勝に導き、30代で大学日本一、40代で日本記録保持者と世界陸上の出場選手を育て上げた。
走り幅跳びの池田久美子選手、400m日本記録保持者・丹野麻美選手らを次々と世に送り出し、「名匠」の誉れが高い。その指導を仰ぐため、腕に覚えのある選手が福島大学へ入学してくるという。現在は教え子と共に、北京五輪でのメダル獲得を目指す。 |
第一章・反動
0.1秒でも速く……。1cmでも遠くへ……。夢追い人達は、研鑽を積み、己の限界と戦い続ける。
東北の玄関口、福島県に日本中を驚かせる大学がある。福島大学陸上競技部。
強豪の名を欲しいがままとし、特に女子は、8種目の学生記録と、4種目の日本記録を打ちたてた。地方の国立大学の学生が、トップレースの表彰台を独占するという事実は、日本陸上界に衝撃を与えた。
福島大学陸上部女子の躍進は、この男なくしては語れない。陸上部監督=川本和久。川本は独自のコーチング理論で、福島大学陸上部を日本一のチームへと導いた男。彼の指導を受けたいと願う、学生が全国から集う。
数々の輝かしい記録を打ちたてる原動力となった川本のコーチング。そのコーチング哲学とは、如何なるものなのだろうか?
――「それぞれに自己責任をきちっと持たせる。その上でコーチと選手の二人三脚が理想」と川本は言う。
川本に指導を受けると、どんな選手でも速く走れるようになるという。その魔法の理論を紐解いてみた。
川本理論1――『力を地面に伝える』。
「地面に力を加えるから、上から下に足を振り下ろすことが一番のポイント。力が出る」と語る川本。川本が最も重視するキーワードが「力」。強い「力」が地面に伝わらなければ、速く走ることは出来ない。上から下へと足を振り下ろし、足が体の真下へと来た瞬間にトラックを強く「押す」。これが最大限に「力」を生み出す走法である。
川本の指導を受けた女子のトップランナーの走りを映像で見てみる。1秒間に1000コマ撮影できる超高速度カメラの映像で検証してみた。
――足が体の真下に来たその瞬間に、トラックを力強く押している。
彼女の走りを、モーションキャプチャーで分析してみた。力の「強さ」が黄色の線の長さによって、表される。足が体の真下に来た瞬間、黄色の線が長く伸び、力が最大になっているのが確認できる。
再びスーパースロー映像で見てみる。――トップランナーの足が地面に接地してから徐々に大きくなる力は、体の真下で最大となっている。このタイミングで、地面をしっかりと「押す」ことこそが、川本理論の根幹を成すテクニックなのだ。
さらに、大きな力を伝える為の精緻な肉体の技巧が、存在した! ――「足首を使わない。そして、接地のときに後ろの足が遅れると力が干渉する。接地のタイミングが重要」と川本は言う。足首を固定すれば、力はよりダイレクトにトラックへと伝わる。
そして、もう一点、川本が指摘する重要なテクニックが"タイミング"。2人の陸上選手の映像で検証する。まずトップランナーの走り。一般の選手の走りと比較してみた。
トップランナーの膝の位置に注目する。――地面に接地した瞬間、地面を押す足を反対の足が追い越している。これが川本の言うタイミングの良い走りだ。この走りにより、トラックを押す反動によって生まれる力の全てが、前へと進む推進力へと変わり、速く走ることが可能となるのだ。もう一方の一般の選手の膝の位置にも、注目する。――足が追い越していないことで、重心が後ろに残る。その結果、推進力が失われ、前へと向かうスピードに遅れが生ずるのだ。
トラックを強く押す反動で生まれる力の全てを推進力へと変えることで、初めてスピードに乗ることが出来る。全ての力を手にしたトップランナーは、力をロスした一般の選手を、やがて、置き去りにしていくのだ。
さらに、トップランナーは、推進力を増す、こんなテクニックをも駆使していた。
スーパースロー映像で確認する。――地面を押した足を前に送る際、その膝の角度は、ほぼ90°。これはスムーズに足を前へと送る理想的な角度と言える。この角度で足を前に送ることで、推進力は格段にアップする。一方、一般の選手の後ろ足は、お尻の近くまで上がり、無駄な動きとなっている。この無駄な動きが力のロスとなり、0.1秒の世界で戦う選手達にとっては、致命傷となるのだ。
「無駄を削ぎ落とし、力をトラックに伝えよ」という川本理論。「上から下に足を振り下ろすということが一番のポイント。すると、自分で弾んでいく」という。強い力を伝える為の最大のポイントは、なるべく高い位置から、地面を押すこと。
再び映像でトップランナーと、一般の選手の走りを比べてみた。――膝の位置、太ももの高さに注目すれば、その差は一目瞭然。トップランナーは高い位置から地面を押すことで、大きな力を伝えているのだ。トラックへと伝わる「力」こそが、「速さ」を生み出す。
川本理論2――『力を逃がさない』。
「膝が浮いた瞬間に、せっかく手にした力が抜けてしまう」と言う川本の理想は、足を一本の棒にして、力を一切、逃がさないこと。映像で見る一般の選手は、接地の瞬間、足首がブレている。このブレにより、力が逃げてしまうのだ。他方トップランナーは、足首がブレることなく、力を逃がさず、走ることが出来ている。
一般の選手の問題は足首だけではない。後ろから見ると、膝も接地の瞬間に外側へと歪んでいるのが判る。足を一本の棒と考え、力を伝える道具にするべきという川本理論。その理論によると、膝が外側へと歪み、力を逃がすこの走りでは、スピードは出ない。トップランナーは、膝が外側に逃げず、まるで足を一本の棒のようにしている。川本が目指す理想の走りに近い。
川本は常に、生み出した「力」の流れに、注目している。
曰く、「進んでいる所の後ろに(流れが)行ったときには、力は加わっていない」。力を逃さず走る。
川本理論は0.1秒の、わずかな動きをも修正し、生み出した力を全て速さに変えようとしている。接地の瞬間。この瞬間にも川本理論が潜んでいるのだ。
理想の走りと、一般的な走りの接地を比べてみる。一般的な走りは、2つの大きな問題を抱えている――。まず一点。――走者は、踵が地面に着くことで、接地面が大きくなり力が分散してしまっている。そして、もう一点。――足が離れる瞬間、トラックをつま先で、引っかくように蹴っているのだ。蹴ることで、僅かだが、力のロスが生まれている。
100分の1秒のロスも見逃さない。それが川本理論。
如何に理想の走りへと近づけるか? 川本は、選手達のデータを分析し、1人、1人、入念なチェックを続ける。
選手の歩数からストライドとピッチ数を算出し、今までの練習の反省と、フォームの修正と次のトレーニング内容を考える参考にしているという。
生み出す力を逃がさず、トラックへと伝えるには、それぞれの選手に合った歩幅を見つけることが重要となる。川本が考案した、自分に最も合う歩幅を体に教えこませる練習方法。――トラックに目印を置き、選手を走らせる。選手達は練習を繰り返し、川本理論の実践を目指す。
力を最大限にトラックへと伝え、反動を利用し、推進力を得れば、その選手の記録は飛躍的に伸びるという。その時、足は一本の棒となり、飛ぶようなスピードで走れるのだ。
さらにスピードを加速させる川本理論。そこには驚くべき秘策があった!
川本理論には、さらに、速く走る為の秘策があるという。その秘策とは?
川本理論3――『力を生み出す』。
「速く走る力を生み出すのは、股関節周りの筋肉を動かし、使うこと」だと川本は言う。足を振り上げる時、太ももの筋肉が、グッと盛り上がっているのが分かる。さらに、足を振り下ろす時は、腿の後ろの筋肉が逞しく隆起する。
川本はトップランナーに必要な筋肉は限られていると指摘する。曰く、「腿の前後の筋肉が発達し、膝から下の筋肉はない。走るのには、足を上げる筋肉と下ろす筋肉しか使っていない」。
上半身の筋肉にも、鍛えるべき場所があると川本は言う。それは、前へと進む力「推進力」を増幅する筋肉。つまり、「腕まわりの筋肉」である。この筋肉を鍛え、大きく前後に腕を振ることで、前へと進む力は増幅され、スピードアップが期待されるのだ。しかし、川本理論によると、腕全体を鍛える必要はない。曰く、「腕を振る筋肉は肩周り。末端に錘をつけてもしょうがない。出来るだけ肩の真ん中につける」。
必要な筋肉だけを鍛える。無駄な筋肉はつけない。過酷な筋力トレーニングを、必死にこなしても、無駄な筋肉をつけるだけ。それほど重くはない、適切な負荷だけをかけ、ピンポイントで効率的な筋力アップを図る。走る為に必要な、身体の中心部の筋肉、体幹をバランス良く鍛える。それら全て、川本理論の裏づけのもと、選手達は目的を明確にしたトレーニングを続けることが出来るのだ。
さらに、この筋力トレーニングの方法にも、川本独自の理論があった。
「つけた筋肉を使えなければ何もならない。使いながら筋肉をつける」と言う。逆立ちも、使いながら筋肉をつける為の練習方法の1つ。速く走れる筋肉を見せて貰った。――女子選手の細い腕に見事な力瘤。必用な筋肉だけを鍛えている。
川本理論を実践するには、厳しい練習に励まなければならない。日本有数の練習量を誇るという福島大学陸上部。しかし、その練習量は科学によってコントロールされていた。
福島大学のトラックで時に見られる風景。彼女達は練習時に乳酸値を計測しているのだ。乳酸というのは、筋肉の疲労度を計る目安の1つ。川本は乳酸値を参考に、個々の選手に、最も効果が期待される練習量を設定していた。「乳酸は、エネルギー源のグリコーゲンを如何に使ったかが判る。速く動く筋肉と、遅く動く筋肉があるが、速く動く筋肉を沢山使う程、グリコーゲンが使われる。それで、どれ位選手が頑張ったかが判る。疲労度も判る」と川本は解説してくれた。
乳酸値に着目した結果、今まで勘に頼っていた練習量を、客観的に調整することが可能となった。乳酸の数値により、割り出される最も効果的な練習量――。川本理論は、こうした科学的なトレーニングにより選手達の肉体へと刻まれ、華々しい記録として結実にするに至る。
昨年、行われた日本陸上競技選手権大会。400m女子決勝。
トップに立った丹野麻美は、川本の指導を受け、その実力を開花させた選手の1人。彼女は2位におよそ2秒差をつけての圧倒的な勝利を飾った。見事、日本記録も更新。さらに、走幅飛・日本記録保持者の池田久美子選手。400mハードルの日本記録を持つ吉田真希子選手も、川本の薫陶を受けたアスリート。
川本の教え子達は、日本陸上界を席捲し、この男の理論が正しいことを証明しているのだ!
第二章・王道
現在、福島大学陸上部が持つ学生記録は実に8種目。さらに日本記録も4つ保持しているという日本有数の強豪大学である。
今や陸上をする者ならば、福島大学を知らぬ者はいないとまで言われている。それは、1984年、川本が赴任した頃には考えられないことであった。
川本が陸上競技に目覚めたのは高校時代。全力疾走で風を切る喜びを胸に、トラックを疾走した。記録は、自然とついてきた。
「面白かった。どんどん記録が伸びるから楽しかった。自己実現に繋がっていたと思う。ただ、学校〜市内〜県〜九州と勝ち続けたが、全国で負けてしまった。どの大会でも9位・10位で、決勝に行けなかった」と川本は振り返る。
それでも、走り続けたいと考えた川本は、筑波大学へ。陸上に青春を捧げた。だが、その想いとは裏腹に、大学ではスプリントの技術は確立されていないと感じた。周りの友達に訊いても誰も判らなかった。
「自分達がしてきた練習は、一体、何の役に立っていたのか?」そんな素朴な疑問から出発し、大学院でコーチ学を専攻。その後、26歳で福島大学に赴任した。指導者としての船出。
「普通の地方の大学だった。数年に1人、全国大会に出るかどうかというチーム。でも、26歳だったので夢と希望に溢れていた。絶対に日本一の選手を作ってやると思った」と川本は語る。
川本にとって福島大学の弱さは、衝撃的であった。しかし、彼の情熱は消えなかった。「必ずこのチームを強くしてやる」。川本は「5年で東北大会での優勝者を出す」という当時の福島大学としては、無謀とも思える目標を立てた。
思いっ切り練習させた。だがしかし、情熱はあったが、自分の経験以外の方法論がなかった。
「猛練習をやればある程度は強くなる」という感じだった。果たして猛練習の結果、3年で目標を達成。しかし、闇雲に練習を重ねても、方法論がなければ限界があることを感じていた。そんな時だった……。
1つのレースが川本に衝撃を与えた。それは世界陸上東京大会。100m決勝このレースで世界記録を樹立したのは、カール・ルイス。
「こんな凄い選手を、どのようにすれば育てることが出来るんだ?」川本は、カール・ルイスのコーチ、トム・テレツの教えを請うべく、気付けば飛行機へと飛び乗っていた。
彼の国で接したテレツのコーチング理論には、目を見開く思いだった。
今まで築いてきたコーチングの理論が、通用しないことを知った川本。「自分がやってきたことはなんだったんだろう?」落ち込む川本は、その時、見たカール・ルイスの何げない姿の中に、運命的な啓示を得る。
カール・ルイスは練習で、巨大スタジアムのスタンドの階段を、身体を真っ直ぐにして、スーッと上っていた。トムは、「身体を真っ直ぐ運ぶだけだ」と言う。「あっ、と思った。自分は枝葉末節を見過ぎていた。考え過ぎていた。いいと思って指導していたことが、実は改悪だったことに気付いた。バカだった」――川本は思い知った。
閉ざされた扉が開かれた時、そこにあったのは、王道を突き進む理論。川本は、トム・テレツから、むさぼるように技術論を学んだ後、福島へと舞い戻る。
そこで彼は、その後のコーチ人生を大きく左右する、ある選手と出会う。
当時、福島大学陸上部に所属していた1人の選手。彼女の名は、雉子波秀子――。トム・テレツに学んだ技術論の全てを、ぶつけるには、最高の素材だった。
「当時大学4年の彼女は、言われたことがすぐに出来る天才だった。自分が思うことを全部試した。そこからコーチとしての修行が、彼女と始まった」と語る川本は、まず、雉子波の肉体改造に着手した。それが一体、どのような効果をもたらすのか? まるでバラバラのジグソーパズル。先が見えないままの特訓の日々。
雉子波の身体には、筋肉が8kgつき、脂肪が5kg減った。
川本が理論を構築し、雉子波が実践する。ピースは1つずつ埋まっていった。
「彼女は的確に成果の感覚を伝えてきた。技術もコーチングの力も上がってきた。彼女がいなければ、今の福島大学も今の自分もなかった」と川本は言う。
師弟、二人三脚で歩んだ道は、遂に1つのゴール地点を迎える。2001年。雉子波の偉業――。それは、100mの日本記録更新であった。
川本は、記録達成の瞬間、最後のピースが埋まり、自らの理論が完成したことを実感した。
「4年かかった。あの時が一番嬉しかった。その後日本新記録を十何回も作ったが、初めての時が一番嬉しかった。一番苦労した」と川本は語る。
雉子波秀子との出会いにより、その輪郭を露にした川本理論。彼女の日本記録更新の瞬間は、名匠・川本和久の誕生の瞬間でもあった。その後、福島大学を強豪チームへと導いた王道を貫く彼の理論は、今もなお進化を遂げている。
さらなるスピードを求め、彼の目は、栄光に満ちたトラックのその先を見つめている。
第三章・伝導
輝かしい記録を次々と打ちたて、日本一のチームと謳われる福島大学陸上部。
現在、部員数は90名を数え、卒業生10名も練習に加わり、総勢100名という大所帯である。そんな大所帯の中で、川本の視線の先にいるのが、丹野麻美選手。川本が最も期待を寄せている選手の1人である。
2005年のスーパー陸上。女子400m決勝。世界のトップアスリートが凌ぎを削る、この頂上決戦の舞台で、丹野は素晴らしい走りを見せた。丹野、堂々の4位入賞。体力面で勝る外国人選手の独壇場になりがちなこの種目で、丹野は快挙ともいえる成績を残した。日本新記録の達成――!
しかし、川本はこの成績に満足してはいなかった。丹野を表彰台に立たせたかった……。
「本人も自分も気付いたが、400mに必要なスピードが今の身体のサイズでは足りない。距離を伸ばして800mで勝負する。そのために、必要な技術と、生理学的エネルギーの使い方をロングスプリントで詰めて、彼女と競技についての深い理解を得る。世界と勝負できるオリジナルな強みを身につけて、800mで勝つ」。
川本は丹野の種目変更を決めた。800mのメダル獲得を目指し、川本は丹野のフォームを入念にチェックする。丹野の武器である走りの「精度」を上げたいと考える川本。
精度を上げる秘策とは?
――今、川本が考えているのは重心の位置。「身体がブレないように、股関節の操作で何とかしようと考えている」と川本は言う。
骨盤の動きが横にぶれ、トラックに伝えるべき力をロスしているという丹野。それを是正するのが股関節の動き。肉体を鍛錬し、僅かのズレをも許さない完璧な精度を求め、師弟の特訓は続く。
川本は自ら頭の中で考え抜いた理想の走りを、丹野の体を借りて現実のものとする。『伝え導く』――それがコーチの醍醐味であり真髄。
川本に目標を訊いてみた。――「目標は丹野と一緒にメダルを獲ること。自分の理論を彼女が体感し体現して結果を出して、世界の強い人たちに勝っていく……それが幸せ。自分は走れないので、彼女たちに夢を乗せる……」と想いを語る。
福島から世界へと羽ばたく夢――。その夢の翼を、この男は作り続けていくのだ。
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