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#64 『柴田亜衣 金メダルからの道』
主人公 水泳選手/柴田亜衣(しばた・あい)
1982年5月14日生まれ(26歳)
福岡県出身

福岡県太宰府市生まれ。3歳から水泳を始める。国立鹿屋体育大学進学後に頭角を現し、2002年パンパシフィック選手権で初代表に選出され、2003年日本学生選手権で2種目優勝。アテネ五輪女子800m自由形で金メダル。女子自由形で日本初のメダルを獲得。その後、日本選手権で3冠を制した。2007年世界選手権メルボルン大会では400mで4分5秒19、1500 mで15分58秒55と2種目で日本新を記録。8月に千葉で開催された世界競泳でも800mで8分23秒76の自己新記録を刻んだ。今年の北京五輪でも世界新記録とメダル獲得を目指す。

※2006年9月24日 初回放送
※2008年6月15日 第1回再放送

第一章・抗う

2004年。アテネオリンピック。1人のアスリートに女神が宿った。
戦いの舞台は、女子800m自由形、決勝――。フランスの強豪マナドゥと日本の柴田が争うレース展開。序盤マナドゥの後につけていた柴田は、力強い泳ぎで後半追い上げ、ついに残り50mで首位に立つと、最後の25mで差を広げそのままゴール! 日本女子自由形史上初というメダル獲得を、金メダルで成し遂げた柴田亜衣――。
日本でも無名の選手が、世界最高の大舞台で金メダリストに輝くという偉業――。その偉業を可能にした彼女の「強さ」に迫る。

柴田は、400m、800m、1500mの自由形長距離選手。日本人が苦手とする長距離で、世界の強豪を制した彼女のスピードの「秘密」とは?
柴田には大きな武器がある。それは、世界のトップ選手と比較しても、まったく見劣りのしない身長176cmという体格――。その肉体から生み出される泳ぎについて、指導する田中孝夫コーチに柴田の優れている点を訊いてみると、「躰が大きく、上半身の力が強く、手で作る腕の掻きによる推進力が大きいこと」だと言う。

恵まれた体格と上半身の力から生み出される腕の掻き。彼女の腕はどの様に水を掻いているのか、水中カメラで撮影してみた。
比較の為、インターハイ出場レベルの高校生スイマー・原選手に協力して貰った。2人の泳ぎに、如何なる違いがあるのだろうか? 田中コーチに解説して貰った。

柴田は――、片方の手で水を後ろに押すと同時に、反対の手で遠くの水をキャッチする。柴田の泳ぎは、そのバランスが完璧に保たれている。一方の原選手は――、片方の手を掻き始めてから、反対の手が入ってくる。タイミング的には、右手だけ、左手だけで泳いでいるという。
2人の泳ぎを比較してみると、それぞれの右手が入水した時の左手の位置に注目にすれば、その差は歴然。原選手に比べ柴田の左手は、しっかりと水をとらえている。柴田の両手は理想的なバランスで、水をとらえ、推進力に変えているのである。

腕の掻きから生まれるこの推進力が、柴田のスピードの秘密――。さらに、柴田のスピードには、もう1つの秘密があった。1秒間に1000コマ撮影出来る超高速度カメラで、その秘密を解き明かす。
2人の泳ぎには、スピードに影響する大きな違いがあるという。その違いとは? 田中コーチは、「柴田選手の呼吸のタイミングは早いように見えるが、泳ぎが止まらずにスムーズ。呼吸法も、小さい動作でするのが特徴」だと言う。柴田は左手が入水するタイミングで顔を上げ、右手が水に入る時に顔を沈めている。確かに一連の動作の中で呼吸をしているのが判る。
対して、「原選手は呼吸が遅く、悪く言えばギッコンバッタン」。スピードに乗れていないと田中コーチは指摘する。
2人の呼吸のタイミングを比較してみると、柴田は左手が入水すると同時に、呼吸を始めているが、原選手は左手が水を掻いてから、呼吸動作を開始している。柴田の動きには、まったく無駄がない。

柴田は、「呼吸については何も意識していない。言われて初めて気付いた」と言うが、この呼吸のタイミングが、柴田の最大の特徴である後半の加速を生んでいる。速いタイミングで呼吸することで、ピッチを速めることが出来るからだ。
さらに、猛烈なラストスパートを可能としているのが彼女の足の動き。自由形には、6ビートという1回腕を掻くごとに6回キックする泳法と、2回キックする2ビートという泳法がある。柴田は2ビート泳法。この泳法こそが、ラストに強い柴田の泳ぎを支えている。

田中コーチは、「足の筋肉は大きいので、6ビートは酸素を使い乳酸が蓄積し易い。柴田選手は2ビートだから、乳酸が蓄積せず疲れにくい」と言う。
2ビートでスタミナを温存し、ラスト100mで勝負をかける! それが柴田のレース!
恵まれた肉体を武器に、上半身の力を最大限に活かす、最高の技術――。それが柴田亜衣の「スピード」を生み出していた。

柴田の強さには、さらなる秘密があった。科学的に検証された驚くべきテクニックが明らかとなる。
九州の南端大隈半島に位置する鹿児島県鹿屋――。この地に、日本で唯一の国立体育大学、鹿屋体育大学がある。大学院生の柴田は、水泳部の一員として練習に励んでいる。
この日は、柴田のある身体能力が計測された。この最新設備で計測するのは、競泳選手にとって重要な指標である「最大酸素摂取量」――。その値から選手の持久力が判る。
運動生理学を専門とする荻田教授が最新機器を備えた特別なプールで計測にあたった。プールの水流のスピードを徐々に上げていき、選手は、限界まで泳ぎ続ける。その際、選手の息は全て、計測機械に付けられたオレンジの袋に集められる。吐き出された酸素の量を測り、体内にどれだけ酸素が摂取されたかを計測。その値から持久力を割り出す。
柴田は如何なる測定結果となったのだろうか? 「(酸素摂取量は)体重当たり46ml。水泳部の選手の中では、中の下。平均に満たない持久力しかない」と荻田教授の意外な答えが返ってきた。

昨年、選手全員を同じように計測した結果、持久力、スピード持久力、スプリント力、何れの値も柴田は、平均、もしくは、それ以下だった。
荻田教授によれば柴田選手は、「一般の人よりは体力はあるが、トップアスリートとしては中の下。体力がピカ一だから金メダルを取った訳ではない」という。では、何故、彼女はオリンピック金メダルに輝くことが出来たのだろうか?

持久力を補う彼女のテクニックをスーパースロー映像で検証してみた――。高校生スイマー・原選手と柴田選手、2人の泳ぎを比べてみる。2人の泳ぎの決定的な違いは、一体、何なのだろうか? 荻田教授が分析する。――「柴田選手の泳ぎの大きな特徴は、水の抵抗が小さいこと。手が水の中に入るときの水飛沫が小さい」。特に手が水の中に入る時の水飛沫の量に、注目する。――「柴田は高さが小さく、波もすぐ消える。水に無駄なエネルギーを使っていない」と荻田教授は解説する。無駄のない泳ぎは、泳いだ後に生まれる波の揺れで判る。2人の泳ぎが作る波は、柴田は小さく、原選手は大きい。穏やかな波の揺れが柴田の抵抗が少ない、無駄のない泳ぎを証明している。

さらに、水中カメラは、柴田の驚異のテクニックをとらえていた。水中映像で確認出来る、僅かな違い。その違いとは? 荻田教授によれば、「柴田選手の泳ぎは、腕に空気の泡がつかない」のだという。
2選手の泳ぎを比べる。柴田の腕を見ると、泡はほとんどついていないが、原選手の腕には泡がまとわりついてしまっている。泡は空気の壁となり、抵抗を生み出すのである。この柴田の抵抗の少ない泳ぎが、効率よく推進力を生んでいた。

そして、もうひとつ。柴田の泳ぎに秘められたテクニックがあった。原選手の泳ぎは、腰が落ち背中に水がかかっている。一方、柴田の泳ぎは、上半身が水面に対して高い位置で保たれ、背中に水がほとんどかかっていない。水面に対する背中の位置が、大きく違うのが判る。
「2ビートでありながら、水面に対して躰を高い位置に保つことで、柴田は抵抗の少ない泳ぎをしている」荻田教授はそう分析してみせた。
水の抵抗は速度の2乗に比例する。つまり、速度が2倍になれば、水の抵抗は4倍となる計算である。しかし、驚くことに柴田の抵抗値は、速度が上がるにつれ、他の選手より低くなり、最高速度でおよそ5%近い差が生まれる。
スピードに乗れば乗るほど、水を味方につける柴田の抵抗の少ない泳ぎ。持久力を補うその泳ぎこそが、金メダリストを生んだのだ。

水に抗うことなく、己の力を推進力に変える。腕の掻き、呼吸のタイミング、そして、抵抗の少ない泳ぎ。彼女の「強さ」は、類稀なるテクニックに裏打ちされていた。

第二章・標

暁が空を染める頃、鹿屋体育大学に1台の車が到着する。午前5時30分。柴田の1日が始まる。
水泳部の朝の練習は、授業が始まるまでの2時間半――。大学に入ってからの6年間、週に5日、こうして朝から練習に打ち込んできた。

日本水泳界随一といわれる練習量を誇る柴田。朝は2時間半でおよそ10km。夕方の練習は2時間でおよそ7km。合わせて1日、17km近くもの距離を泳ぎ込む。柴田は、「練習は好きだと思う。しんどいと思うこともあるが、自分は自由形の長距離の選手なので、いっぱい泳がなければならないのは判っている」と言う。日々の鍛錬が今の柴田を作った。決して昔から飛び抜けて速かった訳ではない。

1982年、福岡生まれ――。柴田が泳ぎ始めたのは3歳のとき。母に連れられてきたスイミングプール。少女はいつしか泳ぐことが大好きになっていた。
「小学校の頃から、バタフライ・背泳ぎ・個人メドレーと色々やっていたが、残ったのが自由形。一番ましだったのが長距離だった」と柴田は現在の種目にたどり着いた理由を語った。
高校時代には練習の虫になっていた。1日15km。高校生としては考えられない距離――。この頃のトレーニングが、強靭な柴田の肉体を作り上げた。その後、鹿屋体育大学に進学――。

中学、高校で頭角を現す一流選手が多い中、柴田が本来の実力を発揮し始めたのは大学に入ってから。田中コーチとの出会いが、柴田飛躍のキッカケとなった。
田中コーチ曰く柴田は、「高校時代は無名。2ビートでスピードもなかった。インカレで表彰台に上れる程度まではいく」選手だったという。
田中コーチの指示に従い厳しいトレーニングに励む毎日――。「しんどくても、周りの選手の練習を見ると妥協できなかった。周りの人に負けたくないと思って練習したら速くなった」と柴田は振り返る。

2002年、初めて日本代表の座を射止める。彼女に大きな転機が訪れたのは、この翌年のことだった。
2003年、バルセロナ世界水泳で、2度目の代表に選ばれた柴田――。しかし、結果は惨憺たるものだった。参加した全ての種目で予選敗退――。この時、今まで感じたことのない思いが、彼女の胸に溢れた――「代表になれればいいとしか思っていなかった。3種目全部予選落ちして、せっかく世界大会に出ているのに、決勝だけスタンドで見ているのが、悔しかった」。

バルセロナ世界水泳――。スタンドから見つめた決勝のレース。柴田は1人の選手に釘付けとなった。彼女の視線の先にいたのは、北島康介。世界の強豪を打ち破る彼の姿に、心が震えた。「同じ歳の北島選手が世界新を2つも出して優勝した。自分はただ来ているだけで、もの足りない。せっかく来ているのだから、決勝で泳ぎたいと思った」と柴田は振り返る。
北島の存在は、彼女の人生の道標となった。行く先は栄光の場所――。柴田は、はっきりとした「目標」を定めた。

「2004年の目標は、オリンピックしかない」柴田はその思いを田中コーチにぶつけた。田中コーチはこう答えた――「厳しい練習で、躰を壊す可能性がある。オリンピックに出たいのなら、僕に命を預けるかい?」。
田中コーチの指導のもと、今まで以上に過酷なトレーニングが始まった。練習時間を4時間から5時間に延ばし、誰も真似の出来ない膨大な練習量をこなした。
体がバラバラになっても構わない。その頃の柴田を支えていたのは、「オリンピックに出たい」「ファイナリストになりたい」という目標だった。あの時、バルセロナで見た北島康介に少しでも近付く為に……。言われるがままに練習をこなしていた柴田は、いつしか変わっていた。自分に必要なことを初めて感じとったのだ。

選考会の前に、「高地トレーニングをしたい」と柴田は田中コーチに訴えた。アメリカで3週間の高地トレーニングを行い、選考会に臨んだ。
全てをやり遂げ、迎えたオリンピック選考会。女子自由形800m決勝レース――。柴田は、このレースで、自己ベストを10秒も縮めるという離れ業をやってのけ、派遣標準記録を突破。見事、オリンピックの切符を掴んだのである。「やってよかった。嬉しかった。本当に行けるとは思っていなかったので……」と柴田は語る。
そして、辿り着いた目標の地――2004年アテネオリンピック。肉体の限界に挑むかのような特訓の日々は、全てこの時の為だけにあった。オリンピック決勝――。柴田は遂にこの決戦に臨む。

「緊張していたが、調整練習の時から調子が良かったので、ベストが出る自信はあった。自信しかなかった」と言う柴田は、レースに向けた戦略ももっていた――。「スピードがないので、ラスト100mで勝負したら絶対負ける。だから、その前のラスト200mから頑張って相手を抜けたらいいと思った」と言う。そして、「最後の50mで追い着いたので、金メダル云々ではなく、『これは負けられない』と思った」結果、――8分24秒54の自己ベストで優勝。

眩いばかりの栄光の舞台に立った柴田。悔しい思いでスタンドから決勝レースを見つめたあの日から、わずか1年だった。ひとつの目標を見据え、トレーニングを積んだ日々。その日々は常に田中コーチと共にあった。日々の特訓を糧に歩み続けた2人は、目標以上の高みに立った。その場所で手にしたのは、輝かしい金メダル。

第三章・誇り

鹿児島県・鹿屋体育大学――。現在、柴田は大学院修士課程の2年生。水泳部の後輩と共に練習に励んでいる。高校には水泳部がなく、スイミングスクールに通い、マンツーマンでコーチと練習してきた柴田。大学に入り、大人数で共に練習することがとても新鮮で、楽しかったという。そのせいか、練習に励む柴田は、いつも活き活きとしている。

朝の練習を終えた後、水泳部の後輩と共に学食へと向かう。年は違えど、同じ釜の飯を食べる仲間だ。午前4時半に起き、練習が終わるのは午前8時。朝食はしっかり摂る。
トップアスリートの柴田――。食事のメニューには、やはり気をつかっているのだろうか? 「全然、気をつかっていない。好きなものしか摂っていない。好きなものは、肉!」と柴田は答える。

大学院生の柴田――。学生の本分も忘れてはいない。この日も、授業の一環で、地域の高齢者を招き、水泳での健康維持を指導している。
大学を卒業して2年。今も現役のトップアスリートとして活躍する柴田だが、彼女は大学4年で水泳を辞めるつもりだったという。――「先輩方が、4年のインカレが終わったら引退する姿を見ていたから」だと。しかし、アテネオリンピックが彼女の運命を変えた。
タイムは自己ベストの8分24秒54。しかも金メダル獲得という最高の結果。それでも柴田には不満が残った。――「金メダルを獲ったにもかかわらず、日本新はひとつも持っていない。それでは金メタリストとはいえない」。当時の柴田は日本記録どころか、日本一すらなったことのない、オリンピック金メダリストだったのである。
真のメダリストとは、北島康介のように記録でもナンバーワンの選手なのではないか? オリンピック金メダルの輝きに負けない真のメダリストになりたい。柴田の目の前に新たな道が広がった。

2006年夏――。次の国際大会に向け、柴田は過酷なトレーニングを積んでいた。
記録更新を念頭に、田中コーチが作り上げた、持久力とスピードアップを重視する綿密な練習メニュー。
そのうちのひとつは、パドルプルを200m×12本。34分で泳ぐ。パドルとは、水の抵抗を大きくする道具――。これにより腕の筋肉や上半身が鍛えられる。
メニューには、時間配分も細かく指定されている。200m×12本のうち、初めの4本は200mを2分40秒で泳ぎ、次の4本を2分50秒、最後の4本を3分で泳ぐ――。さらに、呼吸の回数も制限――。この練習により持久力のアップを目指す。
そして、スピードを上げる為のトレーニングメニュー。50m×30本。総計1.5kmの距離を30分でこなす。最初の10本は50mを50秒。次の10本は1分。最後の10本は1分10秒で泳ぐ。
柴田の800mの自己ベストは、8分24秒54。日本記録との差は0秒86。その僅かなタイムを縮める為に、柴田の特訓は続く。

2006年8月――。パンパシフィック水泳選手権で、柴田は特訓の成果を見せ、エントリーした全ての種目でメダルを獲得した。1500mは自己ベストで銅、800mは銀、400mは金。3つのメダルを獲得するという見事な成績だった。しかし……「メダルを獲ったことには満足している。でもベストの記録が出たのは1500mだけ。金メダルもベストではないから100%喜べない」と柴田は呟く。

オリンピックの金メダルを心から誇れるようになりたい……。「北京オリンピックには出たいが、今は日本新。もうちょっと速くなったら世界新と言いたいが、日本新も持っていないので、今は大きなことは言えない」――金メダルから始まった新しい道。柴田亜衣はその道を進む――。

 
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