
 |
 |
ギタリスト/渡辺香津美(わたなべ・かずみ)
1953年10月14日生まれ(52歳)
東京都出身
暁星学園高校に入った頃ジャズに開眼し、中牟礼貞則に師事、トリオを作りライブスポットやコンサートに出演。1971年、デビュー・アルバム「インフィニット」を発表。天才ギタリストの出現と注目される。
その後、鈴木勲、渡辺貞夫など国内のトップグループに在籍するかたわら、自己のバンドでも活動を行なう。1979年、坂本龍一らとキリン・バンドを結成。同年YMOの世界ツアーにも参加、一躍その名を世界的なものとする。
1980年、記録的な大ヒットとなったアルバム「トチカ」を発表し、ジャズ・フュージョン界におけるスーパーギタリストの地位は不動のものとなる。さらに世界の多くのトップミュージシャンたちとの共演、アルバム制作を行い、「スパイス・オブ・ライフ」「ロマネスク」に代表される優れた作品を発表する。
ジャズ誌の老舗「スイングジャーナル・ジャズメン人気投票」で、31年間ギタリスト部門で連続ポールウィナーの座をキープする一方、作編曲においてはジャズ、ポップスから現代音楽にいたるまでの幅広い領域で優れた作品を数多く生み出す。
1996年、洗足学園大学ジャズコース客員教授に就任。 |
第一章・即興
胸元に抱えて、弦を響かせるからなのか。ギターは、弾き手の心模様が、そのまま音色となってあふれ出す楽器だと云われている。その巧みな演奏で、ずっとファンを陶酔させてきた天才ギタリストが、この男である。――渡辺香津美。
彼は、ジャズの専門誌『スイングジャーナル』で毎年行われている、《人気投票・ギタリスト部門》で、なんと連続31年間、ずっと第1位をキープしている、日本のトップジャズマンである。
"ジャズ・ロック調"と呼ばれる、渡辺香津美スタイル。その速いテンポで繰り出される魅惑のアドリブ――。アコースティックギターで奏でる、芳醇な旋律――。
渡辺香津美が、ギターを弾く上で大切にしていることとは……? 「自分が音を聴いて納得していないと、人には伝わらない」と言う。
では、ギターの魅力とは……? 「いろんな音色や音程が出る。ひとつのコードを弾いてもいろんな表現ができる。他の楽器ではできない、ギターでしかできない世界を見つけていきたい」と渡辺は言う。
渡辺香津美は、コンサートやレコーディングに臨むとき、多いときには十数本ものギターを用意するという。クラシックギター(ナイロン弦)、アコースティックギター(スチール弦)、12弦ギター、セミアコースティックギター、エレクトリックギター、等……。その日プレイする曲を、思い描いた通りのイメージで演奏するため、それぞれのギターの持つ"音色の違い"を、使い分けるのである……。「エレクトリックギターから始めて、アコースティックの音や民族音楽の音を知ったので、欲張りになっている」からだと渡辺は言う。渡辺香津美にかかると、ギターが"機嫌の良い音"を奏でる。彼の類い希なテクニックの賜物である……。
ギターの右手の奏法には2種類ある。ひとつは弦を指で爪弾くのは、『フィンガー・ピッキング』。繊細でソフトな音を奏でることができる。そして、ピックで弾く『フラット・ピッキング』。エッジの立ったシャープな音を狙うときに使う。コードを刻んだり、単音を短く重ねたり――。
渡辺香津美は、この2つの奏法を、1曲の中で、巧みに使い分けている! 曲を形作る一つ一つの音色を、イメージ通りの音にするためである……。渡辺香津美は、その独特のテクニックで、指先とピックを使い分けながら、音色に繊細なニュアンスを出してゆく――。
さらに――。ピックは、形や材質によっても音が変化する。渡辺香津美は、それもじっくりと吟味している……。ギターはピックを変えると、その音色が変化するのだという。
実際に渡辺に実演してもらう。(1)普段使っている"セルロイド"のピック。(2)"石"のピック。――力強い音が出るので、パワフルなジャズに合う。(3)薄い"ナイロン"のピック。――鋭く響く、痩せた音を出す。渡辺は「計算して使い分けている」と言う。
このように、音色に対して細やかな気配りを見せる渡辺香津美は、ピックによる弦の弾き方でも、微妙なニュアンスを醸し出している……。それはピックと弦の"角度"の問題……。ピックを当てる角度によって、弦の震わせ方を変え、音の"深み"に、差をつけているのである……。一つのフレーズの中でこのテクニックを駆使し、メロディーをふくよかに聴かせてゆく……。
一つの音をさまざまに弾き分けてニュアンスを出してゆくと、ギター一本で世界の民族楽器を表現することもできる……。例えば、"津軽三味線風"、"沖縄三線風"、"中国阮風"、"インドのシタール風"と、様々な国の音を奏でてくれた。
このような演奏技術を緻密に組み合わせることで、音の一つ一つに豊かな表現力を含ませ、独自の『カズミサウンド』を創り出していた――。
さらに――渡辺香津美を、人々を魅了してやまないトップギタリストたらしめている秘密は、この奥深い"アドリブの迷宮"にあった――!
日本が世界に誇るトップギタリスト・渡辺香津美――。彼が、ファンを夢中にさせる秘密は、その感性豊かな"アドリブ"にあるという――!
ラテン語の『自由に』という言葉を語源とする"アドリブ"は、演奏者の感覚で自由にプレイする"即興演奏"のことを指す。では、渡辺香津美は、どのように"即興演奏"を組み立ててゆくのだろうか? 「その時の即興の流れで、微妙にメロディーの長さやハーモニーを変えたり、メロディー自体も変えたりもする」と渡辺は言う。
そんな"カズミ流即興"の作り方――。あるジャズのスタンダードナンバーを例に、見てゆくことにする。原曲の標準的な演奏と渡辺のアレンジを聴き比べる。
曲はテナーサックスの巨人、ソニー・ロリンズのオリジナル『St.Thomas』。これを"カズミ流"の即興演奏にすると――。同じ旋律を、カズミ流の感性で展開し、増幅しながら、4回繰り返したのである。メロディーが、順を追って変化していたのが判る。
渡辺香津美の中で、どのように、イメージが展開していったのか? 「即興の中で、どれだけ自由になれるかが一番。最終的には、真っ白になって自分でも何を弾いているのか判らない状態が結構良かったりする」と渡辺は言う。
ステージで"即興"に突入した渡辺香津美は、曲のテーマからインスピレーションを得ながら、次第にメロディを離れ、楽譜から飛び立って、観客を乗せたまま、まるで流星のように、イメージの宇宙を突き進みはじめる……。そして生まれては消えてゆく音楽に身を委ね、陶酔の世界を漂うのである。――これが、渡辺香津美のアドリブ。
渡辺香津美は、繊細なテクニックで、奏でる音の一つ一つに多様な"ニュアンス"と"色あい"を込め――、さらに、インスピレーションの赴くままに、音楽の宇宙を飛び回る"即興"で、人々の心をつかんで虜にしてしまう、トップギタリストなのである。
第二章・無限
渡辺香津美は、1953年、東京・渋谷で生まれた――。そのことが大きく影響したという渡辺は、「渋谷は文化が雑多な場所。映画館やライブハウス、また実家のすぐ裏にはのんべえ横丁があって、アコーディオンを弾くおじさんやギターの流しの人がいた」と、当時の様子を振り返る。
カズミ少年がはじめてギターを手にしたのは、10歳のとき。時代は"エレキブーム"に沸いていた。しかし、ギターはあくまで"歌の伴奏"のための楽器にすぎなかった……。
「ギターが真ん中で弾いているギターインストルメンタル、ギターがヒーローでないとつまらない。その最高峰はクラシックかジャズ。自分はピアノを弾いていたときのクラシックのトラウマがあるから、ジャズ」というカズミ少年は、寝る間も惜しんでギターをつま弾き、ジャズのフレーズを次から次へと覚えていった。そんなある日、母が、大変なチャンスを持ち込んだ――。渡辺貞夫の家でギターを弾く段取りをつけてきたのだ。
サックスプレイヤー渡辺貞夫。云わずと知れた日本ジャズ界の重鎮。そのナベサダの前で、高校生の渡辺香津美が、ギターを弾いた――。「若いから上手な方だとは思うが、年上のプロには上手い人はいくらでもいる。自分がやりたいのなら、やればいい」というコメントをもらった。
さぁ大変だ、ナベサダが「やれ」と云った! カズミ青年は、本格的にギターの道を歩む決心をする。渡辺貞夫主宰の音楽学校で学びはじめると、たちまち頭角を現し、ライブハウスに出演しながら、聴かせるギターに磨きをかけた。17歳の時には、渡辺香津美は、ギタリストとしてのテクニックをほぼ完成させていた。『なんだか滅法うまいギター小僧がいるよ……』――そんなウワサがジャズ界に流れた。
そして、渡辺香津美の才能に目をつけた男が現れた……。それは、あるレコード会社のディレクターだった。その人からのレコードデビューの誘い! わずか17歳でつかんだ、とんでもないチャンスだった。しかも。レコーディングのメンバーも、自分で選んでいいという。渡辺香津美は、慎重に考えながらリストを作った。しかし出来上がったものを見ると、鈴木良雄(b)・日野元彦(ds)・市川秀男(p)・植松孝夫(ts)。当時の超一流ミュージシャンたちの名前がズラリと並ぶ、"憧れのジャズメン・リスト"になってしまった。
しばらくして、「ドリームチームみたい」と渡辺が言うメンバーが揃った。まさに奇跡だった! 渡辺香津美は、夢のようなメンバーを率いて、ファーストアルバムを完成させた。わずか17歳のジャズプレイヤー、衝撃のデビュー作! タイトルは『インフィニット』。アルバムは大ヒットとなり、若き天才ギタリストの登場! と、渡辺香津美の名は、世に轟いた!
20歳を迎えた頃のこと――。渡辺香津美が、ステージでの演奏を終えると――アメリカの名ベーシスト=エディ・ゴメスが、若き天才ギタリストの緻密なプレイを褒めてくれた。「君の今のプレイは非常に良かった。まるでジム・ホールのようだ」と。
ジム・ホールとは、渡辺香津美が目指していた、超一流のジャズギタリストの1人。彼のようだと云われて、素直に嬉しかった。しかし……渡辺香津美は、その言葉の奥の、もう一つの重大な意味に思い至った――。「もしここにジム・ホールが現れてギターを弾いていたら、オマエはイチコロだぞ」ということ。どんなにいいプレイが出来ても、同じギタリストは2人いらない……!
渡辺香津美のオリジナルが必要だ。彼は、ギターを初めて手にした頃のことを思い出した。エレキブームの中で弾いていた、ロックのサウンド――それが、渡辺香津美の原点ではないのか? ――カズミ流・ジャズロックのスタイルは、こうして築き上げられた。
自分のスタイルを手にした渡辺香津美は、1979年、坂本龍一や矢野顕子・ポンタ村上・高橋ユキヒロといった、気鋭のミュージシャンたちと組んで、『キリン・バンド』を結成。斬新なサウンドを創り上げて、音楽シーンに旋風を巻き起こした。
同じ年の秋には、『イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)』のワールドツアーに参加。ギタリスト・カズミの名は、一躍世界的なものとなる。
そして訪れたニューヨークで、渡辺香津美は、尊敬するジャズマン=マイク・マイニエリと再会した。フュージョン・ミュージックの草分け的存在であったマイクと渡辺香津美は、その1年前に日本で出逢い、いつか一緒にアルバムを作ろうと約束していた。その約束を、ニューヨークで果たそうと云うことになった。
プロデューサーのマイクは、まず始めに、こんな指示を出した。――「2ヶ月間、ニューヨークに滞在して、ブラブラしなさい……」。現地の音楽に浸りつつ、日本のしがらみから離れ、一回リセットして頭をすっきりさせてから曲を作れということだった。
マイクに云われたとおり、渡辺香津美は、しがらみのない街で自由に浸りながら、さまざまな見聞を広めた。空気感の違うニューヨークで、ギタリストたちが、音をどう響かせているのか、どんな風にアドリブを展開しているのか。そして、いつの間に身についていた既成概念が、完全に崩れ去ったとき――、「無性にもうモノが作りたくてしょうがなくなった」。渡辺は自分の思いを音にのせ一気に楽譜に書き上げた。
渡辺香津美の書いた楽譜を見たマイクは、その発想の斬新さに興奮した――。「レコーディングメンバーは、カズミが自ら選んだらいい!」。メンバーを渡辺自身が選ぶことが許された。――デビューアルバムのときの奇跡の再来!
マイケル・ブレッカー、ピーター・アースキンといったアメリカのジャズ・フュージョン界を代表する、錚々たるメンバーが結集して、そのアルバムは作られた――それが、伝説の大ヒットアルバム『トチカ』の誕生だった。
その才能を愛され、本場アメリカで開花した渡辺香津美スタイル――。その後も、天才ギタリストは、さまざまな伝説を作りながら、世界の音楽界に影響を与える存在となる――。
第三章・原点
人生の大半を、ギターを弾きながら生きてきた渡辺香津美は、齢50を過ぎて、心境の変化を迎えている。50歳にして運転免許を取得。行動範囲が広がって、世界が新鮮に見えるようになった――。
現在、53歳――。渡辺香津美は、どこへ向かっているのだろうか? 「自分の中でスタンダードになったことを少しずつ壊して、もう一回ゼロからやってみること」だと語る。
最近取り組みはじめたのは、オーケストラ用のギター組曲の創作。ギターの申し子は、そのギターの楽しさを広く紹介する役割を、担おうとしている――。「ギター用のオーケストラの曲で、代表的なものは『アランフェス協奏曲』くらいで、数は多くない。しかも、クラシックのギタリストがクラシックのテクニックで演奏するために書かれていて、簡単ではない」と語る渡辺は、「カズミの作った曲だからやってみようという、ロックギタリストが出てくれたらいい」と、その理由を明かす。
そしてもう一つ、ライフワークとして取り組んでいるのが、『ギター・ルネッサンス』というシリーズアルバムである。クラッシックから映画音楽、ビートルズまで、多岐にわたるジャンルの曲を、アコースティックギターを中心に演奏している。ギターの可能性を大きく広げ、その素晴らしさを伝えたい――。
「自分独りで弾いているようではしょうがない。聴く方がいて、演奏を届けて、共感してもらえないと……。人がいて音楽がある」と渡辺は語る。
演奏をする者がいて、それを聴く者がいる。同じ時間と同じ空間を共有して、同じ感動を味わう――。それが53歳になった、渡辺香津美スタイル。
海辺でギターを奏でる渡辺――。「風で自然に弦が鳴るような音楽ができたらいい……。風のような音楽」と渡辺は語る。
渡辺香津美。50にして天命を知った男は、いま、"六弦の玉手箱"を開けた――。
|