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#75 『三宅宏実 零の記憶』
主人公 女子重量挙げ選手/三宅宏実(みやけ・ひろみ)
1985年11月18日生まれ(22歳)
埼玉県出身

埼玉県新座市に生まれる。三宅家は重量挙げの名門。父・義行がメキシコ五輪銅メダリスト、兄・敏博は全日本王者、そして伯父・義信は東京・メキシコ五輪連続金メダルに輝いている。2000年シドニー五輪で正式種目となった女子重量挙げの競技をテレビで目にしたのをきっかけに、父・義行の指導の下、重量挙げを始める。
高校進学後は頭角を表し、53kg級で高校選抜2連覇。2003年の全日本選手権同級で初優勝。世界選手権は2002年9位、2003年11位。53kg級では、スナッチ80kg・ジャーク110kg・トータル190kgのジュニア日本記録も持つ。
2004年法政大学に進学。競技を始めて、わずか3年ほどで2004年アテネ五輪の出場を果たし、48kg級で9位に入賞。さらに2006年ドミニカ共和国での世界選手権では銅メダルを獲得。2007年タイで開催された世界選手権では5位に入賞し北京五輪の出場に内定。北京で日本選手金一号に挑む。

※2006年12月10日 初回放送
※2008年6月1日 第1回再放送

第一章・一秒

 「誰が最も重いものを持ち上げることが出来るのか?」己の体重を遥かに超えるウェイトを頭上へと、掲げるべく、アスリートは“引力”と格闘する。失敗か? 成功か? 単純明快なこの戦いを制するのは、精神と肉体を限界まで鍛え抜いた者――。その者のみが、勝利の美酒を味わい世界の頂点に立つことを許される。

 日本女子重量挙げで、最も世界の頂点に近い選手――。48kg級・三宅宏実。

 「北京では、メダルが取れるように頑張りたい」と決意を見せる三宅。彼女をつきっきりで指導するのが、父の三宅義行さん。義行さんは1968年に行われたメキシコオリンピックの銅メダリスト。義行さんの兄・義信さんは、東京、メキシコ、2大会連続で金メダルを獲得している。三宅はウェイトリフティング界のサラブレッド。

 重量挙げは、体重別に階級分けをし、その階級の中で記録を争う。種目は2種類あり、その1つが「スナッチ」。「スナッチ」は、地面に置いたバーベルを頭上へと一気に引き上げ、立ち上がる競技。もう1つが「クリーク&ジャーク」。略して「ジャーク」とも呼ばれるこの競技は、地面に置いたバーベルを肩まで引き上げ立ち上がり、その後、全身の反動を使って頭上へと、バーベルを押し上げる。この2つを3回ずつ行い、各種目の最高重量の合計で順位が決まる。

 今年の世界選手権。三宅はスナッチで80kgをマーク。ジャークで108kgを挙げ、トータル188kg。同じ記録で3人の選手が並んだが、その場合、体重の軽い選手が、上位にランクされる。その為、2番目に体重の軽い三宅は、銅メダル獲得に成功した。日本女子が世界選手権で表彰台に立つのは7年振りの快挙。

 身長147cmのヘラクレス。見事、メダルを手にした三宅の強さの秘密とは、一体、何処にあるのだろうか? まずは、三宅のスナッチを映像で分析してみる。

 スナッチは3つの動作で成り立っている。最初は、バーベルを地面から持ち上げる(1)「ファーストプル」。そして、それを高く引き上げる(2)「セカンドプル」。さらに、その姿勢で立ち上がる(3)「ファイナルプル」。――この3つの動作の何処に、三宅の卓越した技術が秘められているのだろうか? 1秒間に1000コマ撮影出来る超高速度カメラで検証してみた。
  ファーストプルからセカンドプルまでの三宅のバーベルの軌道に注目すると、バーベルは地面にほぼ垂直に真上へと引き上げられている。比較をする為、日本選手権で優勝した経験をもつ、沼田洋子さんにも同じ動作をして貰い、超高速度カメラで沼田さんのバーベルの動きを解析する。垂直へと上がっていったその軌道は、腰のあたりで左右に揺れ、数字の3のような形を描いている。

 動きに無駄のない三宅のスナッチ。一体、何処の筋肉を使っているのだろうか? 三宅によれば、「最初に足腰全部の筋肉で引っ張って……、最後は全部の筋肉で引き上げる」のだという。
  地面から持ち上げるファーストプルでは、足と腰、肩の筋肉を使っている。そして、バーベルを頭上へと引き上げるファイナルプルでは、股関節や背筋、腹筋などが必要となる。
  筋肉を使うファーストプルとファイナルプル。それでは、その間のセカンドプルでは、どのようにしてバーベルを、高い位置へと引き上げているのだろうか? 実はそこに三宅の技巧が秘められていた。
  「(バーベルの動きが)ゼロになるところがある。その時だけバーベルと一緒にジャンプしてバーベルの下に入る」と三宅は解説してくれた。セカンドプルでは、「0地点」でバーベルと一緒にジャンプするという三宅。――それは一体、どういうことなのだろうか?

 ファーストプルで地面から引き上げられるバーベルの最も高い位置を三宅は、「0地点」と呼ぶ。三宅は、その「0地点」を逃さず、完璧なタイミングでジャンプしていた。バーベルが「0地点」に達したその瞬間に、ジャンプをすることで、地面を蹴った力は最大限にバーベルへと伝わり、上へと向かう力となる。その結果、100kg近い三宅のバーベルは、勢いよく上へと上がっていくのである。セカンドプルで重要となるのは筋力ではなく、このジャンプのタイミングであった。

 「0地点」に達した瞬間を逃さない絶妙なジャンプのタイミングこそが、三宅の技術を支えていた。

 バーベルを頭上へと持ち上げるまでの時間は、およそ1秒間。「0地点」からバーベルを頭上へと上げるまでは、わずか0.5秒。このわずかな時間の中に、三宅の強さの秘密を解き明かす、もう1つの技が隠されていた。――三宅は、バーベルが頂点に達する寸前、バーベルの下へと、躰を潜り込ませている。

 日本選手権優勝の実績を持つ沼田さんのスナッチと比較してみた。三宅は沼田さんに比べ、素早い動きで躰をバーベルの下へと潜り込ませている。その結果、三宅は、バーベルが頂点へと達する瞬間を逃していない。一方、沼田さんの場合、躰を潜り込ませた時は、既にバーベルが落下し始めている。その為、ウェイトの重さで躰が沈み込み、無理な体勢で、バーベルを上げる動作へと移っている。沼田さんに比べ、三宅は高い位置でバーベルを捉えている為、ファイナルプルのスピードも速く、動きが安定しているのが判る。

 ジャークにおいても三宅は、スナッチと同じテクニックを使っていた。――バーベルが頂点に達する寸前に、躰を潜り込ませている。

 全ての動作が完璧に成功した時、不思議な現象が起こるという。――「(バーベルの)重量を感じない」と言う三宅。自分の体重のおよそ2倍あるバーベルの重さを感じないという三宅の驚くべき技術。

 さらに三宅は、ずば抜けたパワーの持ち主でもあった。三宅の筋力が如何に強靭なものか? 実証して貰った。バーにぶらさがり、軽々と両足をあげて躰を折り曲げる三宅。三宅の高度な技術を支えるのは、この鍛え抜かれた筋肉――。

 そして、三宅の「強さ」には、さらなる秘密があった!

 「スナッチ」と「ジャーク」、試技は3回ずつ。選手は最初の試技の重量を自己申告し、2度目・3度目の試技は最初の重量より軽くすることはできない。その為、選手は、通常、最初の試技で、確実に挙げられるウェイトに挑戦する。しかし、オリンピックなどの大舞台になると、緊張から最初の試技に失敗。その後、追い詰められ、3回とも失敗し、「記録なし」という結果に終わるのも珍しいことではない。
  そんな中、三宅は、大舞台においても、1回目、2回目の試技に高い確率で成功している。父・義行さんによれば、「練習では10回やって10回挙げることができるのに、試合では失敗してしまうことがある。(重量挙げは)非常にメンタルな競技」なのだという。
  精神面で強くならなければ、重量挙げの試合では勝てない。三宅は、練習を積むことで、確実に挙げられるという自信を築く。その自信こそが、大舞台で実力を発揮する精神面の強さに繋がるのだ。

 三宅の 練習風景を覗いてみた。この時、三宅が行っていたのは、ジャークのファイナルプルの練習――。2度、バーベルを挙げる。そして、およそ1分の休憩――。再びバーベルを2度挙げる。すると、ここでまた休憩。
  三宅は同じ重量を繰り返し挙げる。この時、三宅が挙げている重量は90kg。自己記録の110kgに比べかなり軽い。90kgのウェイトを2回ずつ、休憩を挟んで3セット。軽めのウェイトによる反復練習――。「筋力を作るには、自分が挙げられる最も重い重量の80〜90%で、3〜7回繰り返す。そのことで、より重いものを挙げるためのパワーがつく」と、コーチである父・義行さんが解説してくれた。自分が挙げられる最も重い重量で、トレーニングをすると、筋肉を傷つける恐れがある。少し軽めのウェイトでの反復練習することにより、筋肉はダメージを受けることなく、パワーをつけることが可能となるのだ。
  この反復練習のメリットはそれだけではない。この練習法によって、筋肉が力の全てを出し切った状態を、作り出すことが出来るのだ。自らの力の限界点――。反復練習でその限界点を、筋肉に刻み込む。

 1日平均6時間。のべ20t。365日休みなく、練習を積む三宅。日々、筋力は強化され、限界点の記憶は、深く筋肉へと刻み込まれていく。欠かすことのない厳しいこの練習が、自信へと繋がり、大舞台に強い精神力をも生み出した。その結果、三宅は大きな大会で次々と自己ベストを更新していく。

 2003年の世界選手権大会では、初出場ながらスナッチ80kg、ジャークでは105kgを記録し、トータル185kgという自己ベストをマーク。
  圧巻は2005年10月の東アジア大会。この大会で、三宅はスナッチ81kg、ジャーク110kgを成功させ、トータル191kg。自己ベストを更新し、日本記録を樹立した。日々の練習によって培われた自信と、筋肉に刻まれた限界点の記憶――。
  そして2006年、舞台はドミニカ共和国での世界選手権大会――。三宅は、見事、銅メダルを獲得。世界選手権で、日本女子選手が表彰台に上るのは、実に7年振りという快挙であった。

 僅か1秒間の中に凝縮された三宅の技術――。その1秒を可能とするのは、365日、毎日繰り返される平均6時間の過酷な練習――。
  筋肉に刻まれた記憶――。一分の狂いもない絶妙のタイミング。「僅か1秒に己の全てを賭ける」――それこそが、三宅宏実の強さの秘密。

第二章・ふたり

 東京・市ヶ谷。ここに三宅の通う大学がある。三宅宏実は、現在、法政大学キャリアデザイン学部キャリアデザイン科の3年生。世界を舞台に戦うトップアスリートの三宅だが、大学での特別待遇は一切ない。週9コマの授業。学業の合間を縫って三宅は練習に励んでいる。

 埼玉県新座市。三宅の生まれ育った街――。

 1985年、3人兄弟の末っ子として生まれた三宅宏実。両親にとって待望の女の子だった。自宅に置かれたピアノ。三宅はこのピアノを弾くのが大好きな少女だった。
  父はオリンピックメダリスト。重量挙げは常に少女の身近な場所にあった。しかし、少女は「女の子らしく育てたい」という父の願い通り、スクスクと可愛く、力瘤とは無縁の少女時代を過ごした。

 普通の女の子として育った三宅――。そんな三宅に、中学3年生の夏、大きな転機が訪れる。――2000年シドニーオリンピック。この大会から正式種目となった「女子重量挙げ」のテレビ中継に、三宅は釘付けとなった。この戦いが、三宅の運命を変えた。「ビビッときた。直感で、カッコいいと思った。女性でもこんなに出来るというのが魅力的だった」と三宅は当時を振り返る。

 「私も重量挙げをしたい」――三宅は父に「教えて欲しい」と訴えた。父は、重量挙げが、如何に過酷で厳しい競技であるかを誰よりも知っていた。だからこそ、愛する娘にだけはさせたくなかった。そこで、父は娘をあきらめさせる為に、バーベルを持ち出した。重さ42.5kg。それは、父が16歳の時に、ようやく挙げることの出来たウェイトだった。――宏実は、それを軽々と持ち上げた。
  「宏実は、やったことはないのに、テクニックを知っていた。『世界に通用するのかな』と瞬間的に思った」と義行さんは言う――。娘の才能を知った父は、その才能を開花させるべく、情熱の全てを捧げることに決める。

 父には、天才と言われた6歳年上の兄がいた。負けず嫌いの父は、兄から技術を聞くのが嫌で、自分で技術の理論を構築。父は世界のトップを走る兄を追走した。
  そして、その理論の全てを娘に託した。地面に対してバーベルが垂直の軌道を、描いて上がってゆくという三宅の重量挙げは、父独自の理論を実践したものである。

 親子の練習は、休日も休むことなく続けられた。練習を開始してわずか半年――。三宅は全国中学選手権で優勝を果たす。2003年全国高等学校選手権では、トータル165kgの高校新記録をマーク。圧倒的な強さで日本一の座を射止めた。

 父の理論は確かに娘に引き継がれた。しかし……、三宅に、思いもかけない悲劇が襲う。それは高校3年生の時、出場した全国高等学校選手権でのこと。重さ105.5kg。ジャーク3回目の試技に成功。高校新記録を樹立した瞬間だった。――右ひじじん帯損傷。全治3ヶ月の診断が下された。

 初めて経験する大怪我――。毎日、続けていた練習も止めなければならない。焦りが募る。――「女性は男性と違い、2〜3日休んだら戻るのに倍の日数がかかる。それが辛かった」と三宅は振り返る。
  ようやく身につけた技術を、躰が忘れてしまう。三宅は、怪我が完全に治らないうちから、練習を再開する。しかし、怪我したヒジを庇いながらの練習により、肋骨を疲労骨折。度重なる大怪我。絶望が三宅を襲った。
  この時、重量挙げを、初めて「辞めたい」と感じた。三宅は、1人、孤独の中、悩み続けた。

 そんな時、父から貰った言葉――「バーベルを挙げているのは、お前だけじゃないんだよ。お父さんだってバーベルを一緒に挙げているんだ」。その言葉が、三宅を救った。そして、父と共に、オリンピックを目指すという、新たな夢が出来た。

 三宅は、夢を叶える為に、父の指導のもと、練習方法を変えた。「横も後も前も、躰全体を鍛えることにした。怪我を体験したことによって、競技以外の面も含めて、バランスよく全体的に躰を強くすることが大事だと、2人とも勉強した」と父・義行さんは語る。躰全体をバランス良く鍛え上げる。三宅は父と二人三脚で、躰の土台作りともいうべき基礎練習を重ねた。その結果、高度な技術を可能とするしなやかで強靭な三宅の肉体が完成した。

 怪我をバネに、三宅はさらなる進化を遂げる――。2004年全日本選手権を制した三宅は、アテネオリンピックという夢舞台への切符を掴む。9位という結果に終わったものの、三宅はかけがえのない経験を手にした。「結果は悔しかったが、だからこそ今日がある」と三宅。

 オリンピックの舞台に立ったのは、重量挙げを始めて僅か4年後のこと。三宅にとってそれは通過点に過ぎなかった。その後、三宅はさらなる飛躍を続ける。

 日本女子7年振りとなる世界選手権でのメダル獲得も通過点の1つ。父と娘。2人は世界の頂点だけを見据えている。

第三章・10

 東京・赤羽にある国立スポーツ科学センター。アジア大会に向け、女子重量挙げ日本代表による合宿が行われていた。

 三宅のエントリーする階級は、世界大会においても、アジア選手が上位を独占する為、アジアNo.1が世界一といっても過言ではない。2年後の北京オリンピックで、メダル獲得を狙う三宅にとって、今回のアジア大会はあくまで通過点――。

 強豪揃いのアジア大会――。表彰台にのぼることが目標だったが、その結果は振るわず6位。

 オリンピックでは、今回、敗れたライバルに勝たなくてはならない。コーチである父・義行さんは、三宅の記録はまだまだ伸びると考えている。――「スナッチのセカンドプルが課題。引く力はもっているので、より高く上げるための技術とスピードをつければメダルに近づく」という。

 三宅が最後に自己ベストを更新したのは、昨年の東アジア大会でのこと。スナッチ81kg、ジャーク110kg、トータル191kgをマークした。

 オリンピックで、メダル獲得の為に求められる記録は、トータルで200kg。三宅の記録はメダル圏内まで、あと10kg足りない。10kgという大きな壁――。「スナッチのセカンドプルこそが、10kgの壁を越えるカギとなる」――父・義行さんのその言葉を信じ、三宅は、ひたすらセカンドプルの練習に励む。

 両足で床を蹴り、その反動をバーベルに伝え、一気に持ち上げる。何度も何度もその練習を繰り返す。10kgの壁を越える為に……。

 三宅は自己ベストを1年以上更新していない。それが今の三宅にとって何より気がかりなこと。「『これだ』と思ったフォームがあるが、頭で覚えていても躰が思い出せない」と三宅は、もどかしそうに語る。
  フォームが完璧に決まった時、三宅はバーベルの重さを、まったく感じないという。自分の体重以上のバーベルのウェイトが「0」になる。そんな「0」の記憶を求め、三宅は練習を積む。「零の記憶」は一体、どうすれば呼び覚まされるのか? 試行錯誤を重ね、理想のフォームを探し続ける。しかし、三宅は1人ではない。その視線の先には、頼るべき父がいる。

 北京オリンピックでのメダル獲得。それは決して譲れない夢――。その大会まで、あと2年――。「あと2年しかない。だから今、(フォームを)直さないと上には行けない。やれば半年で直ると思うので、とにかくあきらめずに、直す最善の努力をしたい」と力強く三宅は語った。

 父と二人三脚で歩いてきた道。その道の頂に、オリンピックのメダルがある。

 重量挙げ選手・三宅宏実――。今日も「零の記憶」を探し求める。

 
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