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#91 『中村拓志 たのしい時間』
主人公 建築家/中村拓志(なかむら・ひろし)
1974年2月12日生まれ(33歳)
東京都出身


1974年東京に生まれ、幼少期は石川県金沢市、神奈川県鎌倉市で過ごす。
小学生の頃から建築家に憧れ、まっすぐにその道を進み、明治大学大学院理工学研究科博士前期課程にて建築学を学んだ(1999年修了)。その後、隈研吾建築都市設計事務所で設計主任を歴任し、2002年に独立してNAP建築事務所を設立した。
独立後のデビュー作「Lanvin Boutique Ginza」の設計で第38回SDA大賞(経済産業大臣賞)、2006年には「Edge Lotus」でJCD大賞を受賞するなど、その受賞歴は輝かしく、世界からの注目も高い。住宅、インテリア、商業施設などその活躍の場は広く、現在、目黒区の自然と一体型の集合住宅やNikeデザインオフィス、沖縄のリゾートホテルなどを手がけている。また、2005年クウェート政府と民間による複合商業施設の国際コンペで最優秀賞に輝き、設計者に選ばれるなど、活躍の場を世界にまで広げている。

※2007年4月15日初回放送

第一章・感覚

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 人は街を舞台に生きている。その街の風景を織り成すのは、1つ1つの建築物。人が生きる舞台を設計する。それが建築家の仕事。ここに世界から注目を集める1人の建築家がいる。その名は中村拓志。その年、最も優れた空間デザインの設計者に贈られるJCDアワード大賞など数々の賞を受賞。新進気鋭の建築家である。

 世界的なブランドの店舗から個人邸宅まで手がける中村。そんな彼の建築の特徴が最も良く現れているのが、建物の「壁」。中村は壁を巧みに使い建築物を、創造性豊なものに仕上げる。

 常に新しい発想で斬新な建築を生み出す中村。彼が目指す建築とは?
「住んでいる、使っている人が『良いよね』と素直に言えるようなそんな建築を作りたい。」と中村はその目指す建築を語る。

 東京・西麻布。ここに中村が設計した個人住宅がある。閑静な住宅街の中で、一際、目につく一軒の邸宅。オーナーのリクエストは、この小さな土地に広さを感じるゆったりとした家を作って欲しいというものだった。
 中村はこの小さな土地に住環境に優れた一つの邸宅を生み出した。夫婦と子供2人という4人家族に、中村は地下一階、地上三階建ての家を提案。この家の最大のポイントは丸い壁にある。この壁は果たしてどのような効果をもたらしているのだろうか? 中を覗いてみた。
  建物の中心にある階段を上ると、そこは、二階のリビング。リビングの奥に、あの丸い壁があった。丸みのある壁により、不思議な空間が生み出されていた。この壁の効果は、中村の理論によって裏付けられている。

「人間は空間の奥行きをどう測るかと言うと、ざらざらとした壁紙のテクスチャーや、角の直線。その情報を消す、たとえば、ハウスSHで言うと壁を曲線にして線をなくし、テクスチャーも感じられない様なものにしたことで、奥行きを感じない空間となった。」と中村は説明する。

 奥行きに広がりを感じる空間を生み出す為に、中村が作り出した丸い壁。壁を認識する人間の感覚を利用して、生み出された中村ならではの工夫だった。
 さらに、この丸い壁は、広さだけではない様々な効果を生んでいた。
 屋根の上から降り注ぐ陽の光。丸みのある壁は、その光を包み込み、部屋全体を明るく照らしだしていた。壁の下の部分を腰をかけられる高さにした為、そこは自然と家族が集うコミュニケーションの場になった。中村にとって壁は単なる壁ではない。

「壁は構造のために仕方なくあるものだったり、部屋を仕切るものだったりするが、自分にとってはちょっと違って、『対面しているもの』。普段生活していると天井や床よりも圧倒的に壁を眺めている時間が長い。壁を眺めている時間をもっと楽しいものにしたい。」と中村。

 そんな中村の思いが形になった建物がある。郊外へと向かう国道沿いにある個性的な建物。これも中村が手がけた作品である。
 大きなガラス窓で囲まれたシンプルな外観。道路の反対側には駐車場が設けられている。中では人が忙しく動いているようだが、一体、何の建物なのだろうか?

 建物の中は、開放的な空間が広がる。店内を奥へと歩いていくと謎が解ける。ここは美容院だった。
 この美容院は如何なるリクエストによって生まれたのだろうか?

「日本中探してもどこにもない美容室にして欲しい。それとお客様一人一人がくつろげる空間にして欲しい、とお願いした。」と施主の方。
 そのリクエストに対し、中村は明確な答えを用意していた。
「美容院といえば、四角い空間に、椅子と鏡が直線的に並ぶ空間が多いが、作業動線を重視しすぎたプランなのでは、と思っていた。それで、お客さんがいいのか?パーマハット被った恥ずかしい姿や、隣の人に話が聞こえたりと、そういう建物ではなく、個室の美容院を造りましょうと、最初に提案した。」と中村は説明する。
 個室型の美容院を作るにあたって、中村が利用したのは「壁」。曲線の壁で店内にいくつもの、個室を作り出した。

 それでは、中村が作り出した美容院を体験して頂こう。
 まずは、受付けをすまし、ウェイティングスペースへ。この時、腰をかけている場所。実はそれは「低い壁の上」なのである。
 店内をしきる曲線の壁。この壁の高さは奥に行くほど高く、入り口が最も低い。実はこの建物は傾斜地にあり、中村は、この傾斜を利用し、壁の高さを変えていたのだ。
 案内されスロープを下っていくと、カウンセリングスペースがある。スタイリングなどを相談するこの場所では、壁はテーブルとなった。この場所で壁は、鏡を置くのに丁度いい高さになっている。
 そして、カット席に着くと、壁はさらに高くなり、客の姿が消えてしまった。曲線の壁は、ここで壁本来の役割を担い、個室を生み出していた。曲線の壁に囲まれたプライベート空間。しかし、中村の計算はこれだけでは終わらない。

「普通の個室だと問題がある。サービスの連携が悪い。たとえば個室の居酒屋だとなかなかオーダーを取りに来ない、などと言う不都合なことがある。解決するには、個室の壁の高さを1.4メートルぐらいにする、と言うのが我々のアイデアだった。1.4メートルの高さだと、座っているお客さんにとっては個室、立って作業をしているスタイリストにとってはワンルームに見える。だからパーマ係の人、シャンプー係の人とスタイリストの連携は確保される、と思った。」と中村はその考えを語る。

 壁の高さおよそ140センチ。中村の壁はコミュニケーションを阻みはしない。椅子からテーブルへ。高さが変わるごとに、その機能をも変えていく壁。やがて、その壁は、客には個室の居心地の良さを、スタッフには働きやすさを、与えるようになる。壁を巧みに操る中村が作り出した理想的な空間が、ここにはあった。
 さらに、この空間には、中村ならではのアイデアが秘められていた。それは天井を支える柱に対するこだわり。

「直径が6センチ。太い柱は避けたかった。普通の柱の幅だと自分よりも大きくて高くて偉そう。なるべく視界に入らない様に作りたかった。林の中を歩いていて、ふとつかまったときの木立みたいな感覚というか、人間に近い優しい存在になるにではないかと思った。」と中村。

 直径僅か6センチの柱は、木立のようにさりげなく、心地良い空間を生み出していた。しかし、この細い柱で、天井を支えられるのだろうか?
「ちょっと斜めになっているところがある。柱が6センチなんですが、『筋交い』と言って、柱を傾けて、両隣の柱と結びつけた。そうすることで、これ自体が『壁』の様な働きとなってがっちりと止めるのです。」と中村が解説する。
 中村は3本の柱のうち、一本を対角線上に置くことで、柱の強度をあげていた。いわばこの3本の柱を1つの壁に見立てたのである。
 空間を遮らない柱の壁。中村が生み出した美容院は、あらゆる壁のアイデアで満ちていた。

 独創的なアイデアから生まれる中村の壁。ユニークな空間を演出するその壁には、さらなる秘密があった。
 東京・銀座。ここに中村が世界から注目を集める、きっかけとなった建物がある。世界的な服飾ブランドの店。この建物も中村の特徴である壁への工夫が凝らされている。
 壁にある無数の穴。その穴を見ると、ついつい覗いてみたくなる。とはいえ、その穴は単に覗く為に作られたものではない。店内に入れば、その穴の役割は大きく変わる。

 店を彩る暖かな光。穴はその光を取り入れる窓となっていた。中村はこの建物で一体、何を表現しようとしたのだろうか?

「太陽の光が入ってきて、ただのモルタルの床が(その光によって)水玉の模様を描き出す瞬間、こういうものが人を驚かせてエモーショナルにさせると思った。」と中村。
 床に描き出された光の水玉模様。太陽の動きを受け、まるでダンスをするかのように店の中で踊り続ける。
 中村が追い求めた理想的な光。その光を手に入れる為に、中村はこの小さな窓に、情熱の全てを注いだ。

「ここは小さな窓なんですが、窓は普通はアルミサッシの窓の様に、フレームがあったり、シリコンシールと言った部材があったりする。そういうものがぐちゃぐちゃすると床に映った光も汚いし、ぱっと見た時に、ぐちゃぐちゃした印象が残って、お客さんが光に集中出来ない。だからサッシのない窓を作りたいと思った。」と中村はその意図を語った。

 サッシのない窓。建築界では、それを可能とする技術はなかった。そこで、中村は造船の技術に目をつけた。水の侵入を防ぐ「はめあい」という技術を活かし、シリンダーとアクリルだけを使い、小さな窓を作ることに成功したのだ。その方法とは?
「アクリルをマイナス40度に冷やす、そうすると少し収縮する。それに対して正確に削ったシリンダーにアクリルを挿入し、奥まで入れ込んで、常温になるまで待つ。そうするとアクリルが膨張する、その力を利用してアクリルと鉄を繋げています。つまりサッシとか接着剤とか一切使わずに素材の力だけで止まっているそういう新しい素材にチャレンジした。」と中村。
 中村はシリンダーが光を反射する素材であることも計算に入れていた。
 サッシや接着剤すらも使わない素材だけで作られた小さな窓。その窓は中村が求めた光の模様を描き出した。

 この建物は日照時間の少ない場所にある。中村はこの立地条件をも一つのアイデアで克服していた。
 そのアイデアとは、向かいのビルに反射する光を利用するというもの。反射した光は、壁一面の小さな窓を通じて店内へと降り注ぎ、暖かな光で満たされた美しい空間を生み出した。中村が作ったサッシのない窓が、その輝きを可能とする。
 そして、夜になれば、無数の小さな窓によって建物の壁は、星空のように煌き、街行く人に楽しい時間を与えている。

 中村は、今、新しいプロジェクトにとりかかっている。それは、軽井沢にギャラリーを作って欲しいという依頼から始まった。
「いくつかの性格のある空間で、一対一で向き合える空間をいくつか作っていただけませんか?と言うお願いをしました。」と施主の方。
 軽井沢のギャラリーは完成を間近に控えている。中村は、今回の建築の鍵も、やはり「壁」にあると考えていた。現場に足を運び、設計図では分からない、建物の感触を確かめる。
 中村が作ろうとしているのは木造のギャラリー。「様々なシチュエーションで絵を鑑賞出来る空間が欲しい」そんなリクエストに答えようと、中村はギャラリーに13の部屋を用意した。
 しかし、その部屋の数だけ、柱が増え、床面積が狭くなってしまう。 そこで中村は柱ではなく壁で屋根を支える構造を選択した。
 だが1つの問題があった。柱を取り払っても、壁が厚ければ床面積の減少は避けられない。
「木造の壁は普通厚さは12センチ。」と中村。
 壁の厚さが12センチの場合、床面積はおよそ141平方メートル。
 床面積を少しでも広くとるべく、中村は壁を極限まで薄くしようと考えた。木造の専門家や構造計算の専門家とともに、試行錯誤を繰り返した結果、生まれたのは厚さ僅か3センチの壁。3センチの壁の場合、床面積はおよそ148平方メートル。通常の壁に比べ、およそ畳2枚分の広さを確保することに成功した。木を圧縮し、強度も確保した薄い壁。この壁だけで、屋根を支えることは出来るのだろうか?
「部屋が13室もあるので、壁の厚さは3センチでも、全体の量とすれば、壁量は十分確保出来る。」と中村は説明する。
 僅か3センチの薄い壁だが、13部屋全ての壁を合わせれば、屋根を充分、支えることが出来る。僅か3センチの壁によって、広い空間としっかりとした強度を手に入れることが可能となった。
 さらに、中村はこの空間に小さな窓をいくつも開けることで開放感を与えた。
  中村の壁への思いは、世界にも類をみない薄い壁を生み出し、また新しい空間を作り出すことに成功した。
「想像だけで空間をイメージしていると、できあがったものは全然違う。現実の方がはるかに豊かで想像しえない出来事が起こる。そう言うことをデザインの中に取り込んでゆきたいし、そういうことが空間の豊かさだと思う。」と中村は自らの理想を語った。

 変幻自在に新たな壁を生み出す中村。中村のその壁は、建物を彩るばかりでなく、建物を見る人や、そこにいる人の感情をも揺さぶる「空間」を生み出していた。

第二章・揺さぶる

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 創造性豊かな作品を次々と発信する建築家・中村拓志。28歳の時に立ち上げた中村の事務所。今では8人のスタッフを抱えている。

 中村の才能は、今、世界へと羽ばたこうとしている。国際コンペで最優秀賞を受賞。クウェートの砂漠の中に作る商業施設のコンペで、中村は、砂漠の中に森を作るというアイデアを打ち出した。2年後には、この中村の建物が完成する予定だ。

 ビッグプロジェクトに挑む中村は、これまでも常に全力投球だった。
 中村が少年時代を過ごしたのは、日本の伝統的な街並みが残る金沢。黒がわらの屋根を持つ自宅が、中村にとって建築の原風景。
「怒られたりすると屋根の上に行っていた。その時の背中に残る瓦の暖かさが記憶に残っている。」と中村は当時を振り返る。
 太陽の光に包まれた暖かな家の温もり。そんな暖かな家を自分でも作ってみたくなった。中村は、小学校の卒業文集に、既にその夢を記している。「建築家になりたい。」

 自らの夢を叶えるべく、大学、大学院と進学し建築を学んだ。学生の頃から中村の才能は際立っていた。数々のコンペで大賞を受賞。
 やがて、中村は、高名な建築家である隈研吾から直々の誘いを受け、事務所を手伝うようになった。全ては順風満帆。大学院を卒業した中村は、幼い頃の夢を叶えようとしていた。しかし……。
「僕が卒業した1999年は、株も下がっていて、日本の先行きは暗い、と言う状況だった。お金も株も信用ならない。日本もどうも怪しいぞ、と言う状況だった。」と中村。
 不安定な社会状況のもと、建築家として船出を果たした中村。そんな時代の中で、自分は建築家として何が出来るかを捜し求めていた。

 その頃だった。中村はそれまでの建築に対する考えを一変させる建物と出会う。それは師匠の隈研吾のもとで、担当したある個人宅。その家の壁は光を通すプラスチックだった。
 中村は毎日、現場へと足を運び、その壁を見つめた。
「プラスチックの壁の向こうにある紅葉がそよそよ風にそよいだり、道路を通る人の影だったり、いろいろな外の出来事を、プラスチックの壁は透ける、と言うだけで映し出してくれる。」中村が目にしたのはそんな光景だった。
 壁は外と中を「隔てる」ものではなく、「繋ぐものである」と中村は悟った。
「僕はポジティブにものを作りたい。もっと社会と接続して、そこにある、と信じられるもの(を作りたい)。」と中村は確信した。

 自らが目指す建築を追及したいと中村は独立。新たに事務所を設立した。しかし、28歳、社会に出て僅か3年での独立。収益の柱に据えていた仕事に逃げられると、中村はたちまち窮地に立たされた。
 その頃、かかってきた1本の電話。それが彼の運命を変えた。

「10日後にパリに来て欲しいと言う電話。シャルルドゴール空港に、ランバンのCEOがリムジンで迎えに行きます、と言うとんでもない電話だった。あわてて荷物まとめてパリに行った。」と中村は当時を振り返る。
 若い建築家に店舗のデザインを任せたいと考えていた有名ブランドが、彼に白羽の矢を立てたのだった。このチャンスを逃す訳にはいかない。中村は、一路、パリへと飛ぶ。

 そこで中村は告げられた。「参考にパリでいくつかの建物を見て欲しい」
 指定されたのは、スィーツの店と香水の店。建物に入った瞬間、不思議な感覚にとらわれた。
「スウィーツを食べていなくても、口の中が甘くなるような気分になる。香水をふわっと吹いて空気中にその香りが舞っている様な、そこにゆくだけで良い気分になる。どちらかと言うとそれまで建築は論理的に作るものだと思っていた。空間とか建築が人の心をぐらぐらと揺さぶる様な力を持ち得るんだと言うことにそのとき初めて気付いた。」と中村はその感覚を説明する。

 中村は感情を揺さぶる建築をテーマにし、設計に取り掛かった。
 母が娘のために洋服を作ることから始まったというそのブランド。中村は、そんな母の愛情に包まれるような暖かい空間を生み出そうと考えた。

「光が入ってきてダイヤがきらめくように、インテリアにきらきらと舞い降りてきて、お客さんと包んでくれる。ああいう体験がエモーショナルな空間なんじゃないか、と思った。」と中村。
 キラキラとした水玉模様の光を店内に描き出したい。その為にこの小さな窓には如何なる妥協をも許されなかった。
 「サッシも接着剤も使わない窓を作りたい」そう思っていた中村が、辿りついたのが造船の技術だった。
 水の侵入を防ぐ「はめあい」という技術を活かすことで、素材だけの力により、窓を作ることが可能となった。その結果、サッシも接着剤も使わない無数の窓で覆われた1枚の壁を作ることに成功する。

 中村が試行錯誤の末、作り上げたその壁は、美しい光を宿し、人々の心を揺さぶる力を持った。世界に注目される建築家・中村拓志が、生まれた瞬間だった。

第三章・繋ぐ

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 多忙な毎日を過ごす中村が、休日に好んで訪れる場所がある。その場所は、豊かな緑に彩られた老舗の旅館。中村は、この建物から眺められる「景色」を楽しむ。

「風もおだやかに吹いてきて気持ちが良い。海が目の前にどかんとあって、水平線を見せるホテルではなくて、木々越しにかすかに海が見えるところが大好きなんです。」と中村は説明する。

中村は、この場所で、建物と自然との関係に思いをはせる。
「海からの強い風から緑の木立が自分を守ってくれて、その強い風が緩い優しい風になって緑の香りなどを運んできてくれる、木々が人の体を包んでくれると言う安心感がある。」と中村。

この心地よい体験が新たな建築の糧となる。
 東京恵比寿。ここに間もなく完成を迎える中村が設計した建物がある。木々に囲まれた集合住宅―。この建物にも中村の思いが込められている。
 緑豊かなこの場所に集合住宅を作るというコンペが催された時、中村には1つの考えが浮かんだ。
「豊かな緑があって何か一つの繋がりとなって森が続いてゆく。最初にぱっと見て、この木は伐ってはいけないと強く感じた。」と中村はその印象を語った。

 中村は、木の間に部屋が飛び出し、自然と一つになるユニークな建物を考え出した。しかし、木を残しつつ建物を建てるのには、いくつかの問題があった。中村はそれを一つ一つ解決する。
「根が強く張りだしていたので、地中梁という構造的に重要な梁を、根を切らなくても良いように移動した。」と中村は説明する。
 さらに、台風の時に木が如何に揺れるかもシミュレーションし、設計に活かした。どんなに木が揺れても、建物に木がぶつかることはない。コンペで「木を切る」ことにした建築家が多い中、中村の出した答えが、木との共生だった。

 「ダンシングツリー シンギングバード」中村が思いを込めて名づけた作品の名前。耳を澄ませば木々のざわめきと、鳥のさえずりが聞こえてきそうな楽しい空間。木と鳥と人とを繋ぐ中村の新しい建築である。
木と共生する建物。この建物の屋上の一角に、とっておきの場所があるという。中村はその場所へと連れて行ってくれた。

「実はちょうどここが露天風呂。天井がなくて壁だけがあって、屋根はこの自然の木。木が天蓋みたいに覆い被さってくる。それを見ながらお風呂に入れると言う良い場所でしょ?木の葉が天井で、風の強い日も遮ってくれて穏やかな環境にしてくれる、そういう日本の建築が持っていた知恵を上手く生かして作ってゆきたい。」と中村は現場で説明してくれた。

 中村は建築の持つ魅力を誰よりも知っている。その魅力は尽きることがない。
「もののデザインじゃなくて、関係性、コミュニケーションのデザイン。それが、建築を作る醍醐味だと思う。建物と外の環境があって、自分がいる。建築を通して外の環境と中にいる自分が関わる。その関わり方は状況によって変わるが、その回答をもっともっと作ってゆきたい。」と中村は自分の目指す建築について語ってくれた。

 建築家・中村拓志。「隔てる」のではなく「繋ぐ」中村の建築が作るのは、人々の「たのしい時間」。

 
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