BS-i | 超・人
トップページ 番組紹介 過去の放送 掲示板 プレゼント お問合わせ  
過去の放送
#92 『佐藤可士和 あなたをカタチにいたします』
主人公 アートディレクター/佐藤可士和(さとう・かしわ)
1965年2月11日生まれ(42歳)
東京都出身


多摩美術大学グラフィックデザイン科卒業後、大手広告代理店に入社。2000年に独立、クリエイティブスタジオ「サムライ」を設立する。主な仕事に、ホンダステップワゴンなどのTVCF、Mr.Childrenなどミュージシャンのアートワーク、「極生」、「キリンレモン」等の商品開発から広告キャンペーン、「TSUTAYA TOKYO ROPPONGI」のVIと空間ディレクション、UNIQLO SOHO NYのクリエイティブディレクション、楽天、ファーストリテイリングのCI、明治学院大学や「ふじようちえん」のリニューアルプロジェクトなど。進化する視点と幅広いジャンルでの強力なビジュアル開発力によるトータルなクリエイティブワークは、多方面より高い評価を得ている。最新の仕事は、国立新美術館のシンボルマークとサイン計画など。
毎日デザイン賞、東京ADCグランプリ、朝日広告賞、亀倉雄策賞ほか多数受賞。
明治学院大学客員教授、東京ADC、東京TDC、JAGDA会員。

※2007年4月14日初回放送

第一章・導く

092 092 092 092 092 092

街の通りに、ショップの店先に、雑誌のグラビアページに、私たちの身の周りには、佐藤可士和があふれている!今、最も熱い注目を集めているクリエイター。格好いいデザインと、シンプルに届くメッセージを携えて、颯爽と時代に切り込んでゆく、アートディレクター・佐藤可士和。
これまで様々な企業広告や、プロダクト‐デザインを手掛けてきた佐藤が考える、デザインの極意とは?

「短所と長所は表裏一体だと思う。だから、短所だと捉えるのではなくて、そこが良いじゃないかと言う風に、うまく視点を変えられると非常にポジティブになる。そこをデザインの力でやってるのが自分の仕事。」と佐藤は言う。

デザインの力で、短所を長所に変える。その意味を紐解いてみよう。
たとえば、化粧品。通常、化粧水は『プッシュ式』と呼ばれるボトル容器を使う。ところが佐藤は、これまでは化粧品には決して使われることがなかった『トリガータイプ』のポンプを採用したのである。
「トリガーは普通、洗剤などトイレタリーに使ったりする物。でもそれはあまり美しくないと思う。美しいってことも化粧品の場合は非常に大事な機能の一つ。」と佐藤は説明してくれた。
佐藤は、トイレタリー商品のイメージを払拭するような、化粧品らしい、エレガントなフォルムのボトルにすればいいと、考えた。
「使いやすい物をとても綺麗に仕上げていくっていう事で良いんじゃないかなと思う。」と佐藤。
洗剤や消臭剤を使っているようなイメージを持たせない、美しいボトル。その理想をカタチにするのは、容易なことではなかった。
「苦労しました。実際にまとまるのか、途中、不安だった。容器を開発してくださったメーカーの方にも、ものすごい数のボトルを作っていただいた。」と佐藤はその苦労を語った。
外見の美しさのみならず、手ざわりの良い材質や 重さ、握ったときにフィットする感覚、また、使う人の力加減で、出る化粧水の量が変わってしまわない、という機能性まで、佐藤は追究した。
そして佐藤が考えていた、理想的なカタチの『商品』を、デザインしたのである。

「毎日使うと言うことを自分の日常の中で、色々考えてみる。そこから想像すると、もっと使いやすくて、かつ、見ていても美しいとか、気持ちがいいと言うことだと思った。そこを擦り合わせるのが僕の仕事。ぼくは男性だから、女性のものは使ってないからわからないと言うのではなく。女性とか男性とか性別を超えて、持てるリアリティーっていうのがあると思う。」と佐藤は言う。

“トイレタリーをイメージさせる”というトリガーポンプの『短所』を、デザインの力で、美しくて使いやすいという『長所』に変えたのである。

さらに佐藤は、この化粧品を売る、売り場のデザインも担当した。全体の基調は、商品がゴテゴテと飾られていない、シンプルな木目調で統一。一つの席に一つずつ、小さなシンクを備えつけた。
これまで、サンプルの化粧品などを洗い流す時は、その都度、洗面器を用意して、受けていた。これなら煩雑さもなく、機能的であることが特徴の商品イメージと合う。
販売員が売り場で見せる、シンプルで無駄のない動きは、そのまま、商品イメージである“機能美”を表現していたのである。

今年1月にオープンした、『国立新美術館』。コレクションを持たず、展覧会の開催などを中心に据えた、新しいタイプの美術館である。ガラスのカーテンのような外観は、建築家・黒川紀章の設計。
この美術館のシンボルマークをデザインしたのも佐藤である。
実はこのシンボルマーク、はじめ美術館からは、英語名の頭文字で考案して欲しいという発注だった。しかし佐藤は、別なアプローチで考えはじめた。
「新しいが故に正確に理解されない部分がある。コレクションを持たないのに美術館なの?とか批判的に見ればただのギャラリーじゃないの?とかある訳ですよ。」と佐藤。
日本では馴染みのない、新しい美術館の概念こそ、シンボルにすべきなのではないか?そう、佐藤は考えた。
「『新』というのが美術館の本質に当たるんじゃないかという事で『新』というものをシンボルにする方が、この美術館の活動がポジティブに正確に世の中に伝わると思う、というプレゼンテーションをした。いい所は、また短所であったり、裏腹じゃないですか。そこが、自分では短所だと思っていても、実は外から見たら、そこがユニークでそこがあなたの良いところ、と言うことはあるじゃないですか。」と佐藤は語った。

そして佐藤は、発注されていない『新』という文字をデザイン化し、あるメッセージを込めた。
「開かれた、新しい美術の場と言う意味を込めてマークを作った。」と佐藤は言う。
文字を構成している線は、どの一画も閉じておらず、開かれた美術館を象徴している。また線の形状は、建物の外観に触発され、直線と曲線が融合した形にした。
佐藤の示した提案は、美術館サイドに受け入れられ、『新』という文字のデザインは、シンボルマークとして採用。佐藤がデザインに取り組むとき、常に心がけている、『コンセプトを正確に、ポジティブに世の中に伝える』というテーマが、実を結ぶ結果となった。

「美術館の方々に、喜んでいただいて『そう、俺たちのやりたかった事はそういうことだ』と。やっぱり、『新』のシンボルが出来た事で自分たちの活動をすごくメッセージしやすくなったと言うんですよ。」と佐藤。

さらに、シンボルマークやロゴタイプだけに留まらず、新しい美術館のコンセプトを広めるために、佐藤は、ミュージアムショップのデザインも手掛ける。海外の美術館でよく見かけるような、ちょっとしたお土産としても喜ばれる、洒落たミュージアムグッズを数点作った。

佐藤の生み出す作品は、独自の力で展開する!

創立140年余りの歴史を刻む明治学院大学。創設者である、ヘボン式ローマ字の考案者=ジェームス‐カーティス‐ヘボンが掲げた教育理念が、歳月と共に薄らいでいると学長が懸念・・・。いま初心に戻るべく、その理念を、内外に広くアピールしたいという依頼が、佐藤の元に舞い込んだ。
「全く予備知識もなかったので、ヒアリングをした。まず、学長の大塩先生に明学の歴史から始まって、創設者のヘボン先生生涯の理念、『Do For Others』の話を聞いた。」と佐藤。
この理念を明確に打ち出し、学校を、謂わばブランド化するプロジェクトがスタート。佐藤はまず、教授や学生たちから話を聞き、この大学に対するイメージを掴もうとした。

「『大体悪い所はどこ?』と聞くと、『地味』とか『インパクトがない』とか『押しが弱い』とか『存在感がない』とかそういうことを言う。それを形にすればいいと気付いた。地味でインパクトがなくて、品があって、奥ゆかしくてでも芯は強いよと言うことを表現することにした。」と佐藤は説明してくれた。

そんなイメージを元に、佐藤は、ロゴタイプのデザインからはじめた。線は、品よく、細く、しかしインパクトのあるものを・・・と考えたロゴは全部で300以上。その中から40ほどの候補を選び、最終的に決めたのが、このマークだった。
次に考えたのがスクールカラー。インパクトはあるが、奥ゆかしく、あまり主張しすぎない『色』にしたい。
ヒントは、校内のチャペルの中に見つけた。ステンドグラスの黄色い十字架。ずっと昔から、キャンパスの中にあった色である。
「赤、青、黄色は色のインパクトは強いけれど、黄色は赤や青より強くない。白い所に黄色を置くと、明度があるから、コントラストが付かない。だけど、黄色って言う色は強い色なんですよ。」と佐藤は説明する。

佐藤の提案は、選定委員会で喝采を浴び、大学の新しいロゴが決定した。
そして佐藤は、キャンパスライフのあらゆるシーンで使われそうな、オリジナルグッズのデザインに取りかかる。すべてのものに、スクールカラーの黄色か、ロゴが配置され、デザインの中に込められた校風や教育理念が、メッセージとして学内や社会に広がってゆくようにと送り出されていった。
「あそこにシンボルが欲しいっていうから旗を掲げた。まさに今日のような新入生歓迎会をする場所にあった方が良いよねと言うことを学長の大塩先生が言った。そこで、どのくらいの大きさでどの位置にどういう感じでと言うことは勿論自分がやってます。素材の検証をしたり、光が透けた方が良いとか、透けない方が良いとか、インパクトもあり、あまりにもインパクトがないような。そういう事は計算しています。」」と佐藤は、学生達が集う食堂の中央に掲げられた旗を指さした。

さらに、大学生協では「このブックカバーは本屋さんに置いてあって『ブラジャケ(ブランドブックジャケット)』という広告媒体。それを明学のロゴをデザインしたものを大量に作って本屋さんにも置いてあるんですけど、折角だから大学の生協でも置いてもらおうと言うことでオリジナルで全部作った。」と佐藤は案内してくれた。

佐藤のデザインが、大学を活性化してゆく。
プロジェクトは今年、3年目に突入。ロゴやパッケージをつくってお仕舞いではない佐藤の『デザイン』は、老朽化した校舎をリニューアルしたり、居心地のいいカフェを誕生させたりと、大学の環境も変化させ、学生たちに活気を与え続けている。こうして、当初の目的である大学のブランドイメージを、内外にじっくりと浸透させてゆくのである。

さらに佐藤のデザインは、無限の可能性を追いはじめた!

東京のベッドタウンにある幼稚園。
ここのロゴタイプも園児の遊び着も、佐藤可士和のデザイン。実際に折り紙を折って、手作り感たっぷりなシンボルマークを作った。
しかし、ここでの佐藤の最大の仕事は、古くなった園舎の建て替えを機に、幼稚園を、デザインのパワーを使って活性化させる、コンセプトづくりだった。

「まず幼稚園とはどういう場なんだろうと考えた。幼稚園が遊びに行って一番楽しい時間でないといけないと言う風に考えた。そうすると、園舎はただの箱ではなくて園舎自体がでっかい遊具みたいになってれば楽しいんじゃないかと思った。」と佐藤は説明した。
そのコンセプトを、建築家の手塚貴晴・由比夫妻に示して設計を依頼。佐藤の思いを、二人はこんな形の園舎として造り上げた。

「僕はずっと一番大事にしたのは、ふじようちえんの最初に感じた風。気持ちのいい空気が流れていた。これを壊さないようにしようと思った。」と佐藤。

園舎自体が、ここでは一番大きな遊び道具!
子供たちは、板が敷き詰められた、広い屋根の上を自由に走り回る!屋根からニョキッと飛び出している木に登り、長いすべり台を何度も何度も飽きずに滑り降りる!夢中になって遊ぶことが、子供たちの心を豊かに育ててゆくのである!
ふじようちえんの園長・加藤さんは、「遊具が子供の育つために貢献できると思っていた。園舎自体が巨大な遊具とするという事でとても面白い提案だと思いました。」と語った。

園舎の中には下駄箱を置かないというコンセプトも佐藤の提案。靴を脱いだら揃える、という行為が、自然に身につく仕掛けなのである。佐藤の創り出したコンセプトは、子供たちのみならず、大人でさえも心躍るような、教育の場を出現させた。

コンセプトメイキングをし、プロジェクトを指揮・監督する。最近、佐藤にはそんな仕事が増えている。
いま手掛けているのは、なんと病院だという。このようなディレクションする仕事を、佐藤はどう捉えているのだろうか?

「一見、ディレクションの方が上でデザインがパーツのようだけど、僕の中では逆。デザインと言う概念が一番大きい。要するに、デザインと言うのはビジョンを形にする仕事。ディレクションって言うのはそのために具体的なもので、もっと職種に近い。そのために統括して『こっちです』っていうディレクターという人が必要。」と佐藤は言う。

大阪の郊外に、その病院は建築中。ゆったりとリハビリテーションに取り組むための、総合施設を目指している。
そもそも佐藤は、どういう経緯で、リハビリ病院のディレクションを請け負ったのだろうか?

発注主である病院理事長の橋本さんはこう言う。「最初はロゴとかイメージカラーとかそう言った事を病院の中にも取り入れて行きたいなあと思って、佐藤さんに仕事をお願いした。そうしたら佐藤さん本人と私と打ち合わせをする時間、話をする時間をとても長くとっていただいた。そうした話の中で私がすごく言いたいこととか表したいこととかやりたいって事って言うのがちゃんと人に伝わってない部分が多いと言うことに気付いた。人に正確に自分のやりたいことを伝えるのは難しい。佐藤さんはそれを的確に理解してくれて、人に伝えてくれる。」

佐藤は言う。「僕は先生の代弁者になっていて、『先生のやりたい事はリハビリテーションリゾートですよね?コンセプトはリハビリテーションリゾートだと思うんですよ』と言ったら『そうです、何でそんな言葉が今まで思い浮かなかったんだろう』と。ずっと自分が一年も2年も考えてた事が、ポンとその一言で言えてる訳ですよ。だから、『ものすごくスッキリした』と言ってました。」

謂わば発注主の代弁者として、病院建設に関わるあらゆる専門家たちとの間に立ち、大きな方向性から、小さな事柄に至るまでディレクションしてゆく。
外枠が出来てきた病院玄関の内装について、現場での打合せ。玄関先に、病院名を示す看板をどのように設置したらいいか決めて欲しいという、施工会社からの要請に応える。

「リハビリテーションリゾートと言うコンセプトにしたので、いわゆる病院というよりも心が癒せるようなリゾート空間の様な場所。病院と聞くだけで気が滅入るじゃないですか。ただでさえ滅入っている訳だからその精神的なストレスを軽減できるような場所ができるといいなと思った。」と佐藤。

内装に関する打合せがはじまる。引き戸の取っ手や畳のデザインをいくつものサンプルの中から選んでゆく。
頭の中に思い描いた、理想のリハビリ病院が完成するまで、発注主は、何千、何万もの決定を下してゆかなければならない。佐藤はデザインする観点から、発注主に代わってその決定を導いてゆく。
これもビジョンをカタチにしてゆくデザインの仕事。佐藤は、デザインの無限の可能性を何処までも追究している。
短所を長所に変換し、コンセプトを正確に社会に伝達してゆく。佐藤可士和のクリエイトするパワーは、時代を元気にする!

第二章・向き合う

092

アートディレクター・佐藤可士和のオフィス兼 クリエイトする現場『SAMURAI』。
最近、佐藤に、様々なジャンルのメディアから取材が殺到している。この日は、建築関連の雑誌の取材。幼稚園や病院といった建築に関わる仕事を始めるようになって、俄然、注目が集まっている。

自身もメディア業界に身を置く人間である佐藤は、メディアに露出してゆくことに、どんな戦略を持っているのだろうか?
「まあ色々な事を考えて仕事をしてるので、メディアが自分に興味があるんだったらせっかくだったらお話をして、僕の考えてることも色んな人に伝わるといいなと思う。情報を得られるし、自分にもとても刺激になる。」と佐藤は言う。

クリエイターとして佐藤は、常に新しい情報と刺激を求めて、レンズの前に立つ。

1965年、昭和40年。佐藤可士和は東京に生まれる。「可士和」という名前は、言語学者だった祖父が名付けた。
「音から付けてるんですよ。最初に何か母音から考えてて、kashiwaの母音がa i aとなっていて、その音が言葉としてハッキリしていて強いと考えて、字は後に当てた。レ点を入れて『士は長けくして和なる可し』と読んで、武士の心と平和の心を併せ持つようにと言う風な意味だって言っていました。」と佐藤。

祖父の願い通り、可士和少年は、サムライのように勇ましく、活発な一面を持った男の子に育った。
そして家にあったディック‐ブルーナの絵本に刺激を受け、お絵かきにも熱中。小学生の時には、センス抜群の絵を描いていた。

「とてもいたずらっ子で、画ばっかり描いてました。画が好きですごいおしゃべりで、いたずらするのが好きで、人を驚かせたりするのが大好きだった。そのまま全部仕事になっている。」と佐藤は笑った。

高校2年の時、進路について考えた。理数系ではない。文系もちょっと違う気がする。強いて云えば美術系だ。そして美術予備校に通い始めると、その面白さにのめり込んでゆく。
「こんなに熱中出来た事は高校生活の中に無いなって思った。全然うまく描けなかったが、大きい画面にヘルメスという石膏像を描いた。こんなに面白い物は他には無いなと思った。」と佐藤。

現代アートこそが、自分が進むべき道だ!
そして佐藤は、美術大学に進学。在学中は、作品づくりに熱中。しかし佐藤は、日本には、若手の現代アート作家が活躍できる市場が ほとんどないことに気づいた・・・。

そんな、ある日のこと。通学途中の電車内で、ふと見上げた中吊り広告に、佐藤の目が釘付けになる!それはとてもシンプルな、遊園地のプールのポスターだった。「こりゃ‥‥現代アートだ!」
「それまでのプールの広告は水着の女の子が横になってるようなものだった。当時、西武線沿線に住んでいたので、リアルタイムに見ていたが、ある日突然、としまえんの広告が変わった。それまで全然気にしていなかったのに、何か、色んなことが起き始めている気がした。次の広告、今度いつ出るのかなと。広告は、価値観を変えていく仕事だなと思った。」と佐藤は当時を語る。

それはまさに、稲妻に貫かれたような衝撃だった。佐藤は、そのポスターを創ったクリエイターについて調べた。アートディレクターは大貫卓也という、大手広告代理店に所属する人物。彼の元に行こう!
佐藤は難関を突破して、その広告代理店に入社。
「大貫さんがいたからその会社に行きたいと思って、受験した。非常に分かりやすいですね。」と佐藤。
しかし、佐藤の最初の配属先は、大阪支社だった。佐藤は、才気みなぎる、自分なりの広告を次々と世に送り出した。そして自信もついてきた、ある時。東京から、こんな評判が聴こえてきた。それは、あの憧れの人が放った批評だった‥。

『カッコつけてて格好悪い』

「とてもショックでしたね。恐らく大貫さんも言ったことすら覚えていないと思う。議事録に書いてあった程度のこと。でも、なかなか見えてこないようなその一言から勉強させてもらった。」と佐藤はその頃を振り返る。
絶望の矢先、佐藤に東京転勤の辞令。しかも、あの人と仕事が出来るチャンスが巡ってきた!佐藤はこの機を絶対に逃すまいと身構えた!

「大貫卓也のクリエイションの秘密は、みんな知りたい訳ですよ。」と佐藤。
佐藤は、常に大貫の近くに陣取り、その一挙手一投足に注目した。そしてどんな些細なこともメモに書き留めた。学生だった自分を打ちのめした、あのクリエイションの秘密を、その一端でもいいから掴んでやる‥‥!
「大貫さんが何を考えているのかを正確に知りたいと思った。どういうプロセスで何を考えてるのか」と佐藤。
そして佐藤は、大貫が徹底的にコンセプトを検討し、練り続け、こだわり抜いていることに気づく。

「こんなにやるのかと言う感じでしたね。だから、こんなに向き合うのかと思った。」と佐藤。
本質を正確に突いている、ポジティブなコンセプト。これが、あの作品の強さの秘密だ。
「大貫さんの仕事は、対象の本質にとことん向き合って、コンセプトメイキングする。しかも、コンセプトメイキングがビジュアルに直結している。だから、言葉遊びのコンセプトじゃなくて、本当の意味でのコンセプトメイキング。そう言う作り方をゼロから見た。」

極意はコンセプト‐メイキング!それを捕まえた瞬間、佐藤可士和の原型は出来上がった。
そして佐藤は、頭角を現す。次々に大ヒット広告を連発。
大貫から学んだ仕事のやり方が、会社員のままでは出来ないことに気づくと、佐藤は独立を決意。会社名を、自らの名前から一字取った『SAMURAI(サムライ)』と名付け、ここから数々のヒット作を世に送り出してゆく。
進行中のプロジェクトは常に30を越える。そのすべてが、佐藤が主体となって進めている仕事だ。

仕事の幅は、どんどん広がっている。幼稚園をデザインしてみたい、と思っていた夢は、すでに実現した。教育現場のデザインは、現在進行中。
佐藤可士和の言動から、もう目を離すことはできない・・・。

第三章・引き出す

092 092

佐藤はいま、新たなプロジェクトにチャレンジしている。経済産業省の外局・中小企業庁が進める『JAPANブランド育成支援事業』の一環として、日本の「タオル」をブランド化するという仕事。

愛媛県今治。ここは古くからタオルの産地として国内生産の半分をまかなってきた。この今治のタオルをブランドとして構築する国家プロジェクトが立ち上がり、そのクリエティブディレクターとして、佐藤に就任依頼が来たのである。

「最初、『え?今治タオル』と。全く頭になかった。タオルの事って普段考えてないというか、考えている人もあまりいないだろうなと思ったんですけど、ちょっと使ってみてくださいって商品が送られてきた。」と佐藤。
はじめに洗わないで使って欲しいと云われた佐藤は、その吸水性の良さと、深く柔らかな肌触り、そして、品質の高さに驚いた。
「こういうことに気を遣っていたりすると、消費者の意識も変わるだろうなと感じた。リアリティーがあったので、これは何か可能性があるんじゃないかと思った。」と佐藤はそのときの直感を語る。

安いアジア製のタオルに押され、苦戦してきた『今治タオル』に、新たな付加価値を生み出し、世界に発信するブランドとして育て上げる。その道筋を、佐藤がデザインする。プロジェクトはスタートしたばかり。まだ模索の段階である。

佐藤は、いつものように、その仕事のコンセプトを徹底的に考える。
いま、時代は何を求めているのか?佐藤は、使う側の視点から、このプロジェクトのテーマを探してゆく。
佐藤のアンテナがキャッチしている『時代の空気』と、生産者側の思惑が、一致しない・・・

「内容では思いは一つと言う感じなんですけど、限られた予算と期間の中でどれだけの事をやったら一番効果があるかという事が重要。」と佐藤は言う。

佐藤は、現地へ飛んだ。
はじめに訪れたのは、タオルショップ。どのような商品が、どのように売られているのか?どんな種類があり、どんな品質のものが売れているのか?
そして、今治を一望できる高台へと向かった。今治は、タオル地の晒しや、染めに適した良質な軟水が豊富にわき出しているという。

太陽の恵みと水の恵み。佐藤がデザインしたこの今治タオルのマークは、今治の自然をモチーフにした。
「会社のマークとかじゃなくて、例えばウールマークだとか、ドルビーサラウンドとか、JISマークのような、これがついてると品質の保証になるような、そういう位置づけのマークを作ろうと言う考えをまとめていった。」と佐藤は説明する。

佐藤は自ら、このシンボルマークを『今治タオルプロジェクト』のプレス会見の席で発表した。まず、本当に品質が良いと思うこのタオルを、日本の消費者に知って貰いたい。そして、日本が誇る最高品質のブランドとして、世界へ発信してゆきたい。

「いい物があるのに、うまく伝わってないと言う事は、それを正確にうまく伝えてあげて、色々知らせる事は良い事だと思う。それは、消費者にも良い情報。それに今治の場合は、こういう物が日本にあって、世界にも誇れるような技術やそういう物があると言う、『ジャパンブランド』と言う事を今回の様な活動を通して世界にアピール出来たら良いなと思う。」
まだはじまったばかりのプロジェクトだが、おそらく今後、この『今治タオル』という名称は、注目のトレンドとしてメディアを賑わすことになるだろう!

常に、斬新でパワフルなアイディアを求められる佐藤だが、その発想が枯れてしまう心配はないのだろうか?
「完全に答えは目の前にあって、その対象から引き出すのものだとわかった。そう思うと、必ず対象がある限り、答えはその中にある。だからアイディアなくなることはない。絶対アイディアが出ないと言うことは無いと思った。」と佐藤はその確信を語った。

佐藤可士和。常に本質に基軸を据えて、時代の未来を、カタチにする男。

 
BS-i Panasonic ideas for life ハイライト映像をみる