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#94 『山本高樹 街の似顔絵師』
主人公 ヂオラマ作家/山本高樹(やまもと・たかき)
1964年6月22日(42歳)
千葉県出身


映像専門学校を卒業後、映画・テレビ・CMなどの映像美術の仕事に携わる。映画「七人のおたく」、NHKスペシャルなどのジオラマ制作を担当。他には博物館展示模型、イベント展示模型などの製作を経験。古い町並みや建築に興味を持ち、全国を取材、2001年より独自のジオラマ制作を開始。「昭和の風景」シリーズは、芸術性、緻密性、物語性からマスコミ各社より「ジオラマの詩人」と高い評価を受ける。雑誌「荷風」にて表紙作成を担当したことで一躍注目を浴びた。作品ギャラリーとして「昭和幻燈館」が青梅にある。

第一章・気配

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 白昼夢のように、男の目が捉えているは、まだ古い佇まいが残る日本の風景。25分の1の大きさで、彼にだけ見えている“幻の光景”を、緻密に創り出してゆく……職業は『ヂオラマ作家』、――山本高樹。

 そこに広がるのは、昔、どこかで見たことのあるような風景。暮らしを営む人々のドラマが息づき、街が醸し出す情緒が漂ってくる。
 モチーフの中心は、子供たちが、まだチャンバラごっこに夢中になっていた、昭和30年代。
 祭り囃子が聴こえてくる夜は、下駄に浴衣姿で、夜店を冷やかしに、握りしめたお小遣いで、何を買おうか真剣に見比べて歩いた記憶が、鮮やかに蘇ってくる。

 “昭和レトロブーム”のさなか、山本の、郷愁を誘うジオラマ作品は、雑誌「荷風!」の表紙を飾り、その芸術性は、現代アート界からも注目されるようになり、叙情的な作風から『ジオラマの詩人』と称されて、人気が高まった。
 そんな山本のジオラマ作品を見るために、常設展示されているここを訪れた人々はみな、ものも云わずにその世界に入り込んで、遠い記憶の中で、ひとときを過ごす。そして最後にぽつりと一言、“懐かしい”と一様に同じ言葉を口にするのである。
 精巧に作られたミニチュア模型への批評ではなく、記憶の底で眠っていた“懐かしい”という、自分の感情について語るのである。
 生まれた故郷も、育った環境も、思い出も異なる人々から、一様に同じ“懐かしさ”を引き出してしまう、山本の作品。そこにはある巧妙な仕掛けが施されているという。

 山本が作り上げた、懐かしさあふれる作品の世界に分け入ってみよう。
 山本のジオラマは、基本的に25分の1で作られている。その訳は、彼の経歴に由来する。

 「皆さんご存知のあのゴジラね……ぬいぐるみは人の頭の上にゴジラの頭があるから大体2メートルぐらい。50メートルの設定のものを2メートルのぬいぐるみで作っているということは25分の1のスケールなんです。」とその理由を山本は語った。

 山本は元、ミニチュアの背景などを作る映画美術スタッフ。25分の1は手慣れたスケールなのである。
 彼の代表作の一つ、作家・永井荷風が好んで描いた、『玉の井』の色町。今は面影すらなくなった 往時の町並みを、古い資料を紐解いて、25分の1で蘇らせた。
 軒が迫る迷路のような露地や、道を隔てるどぶ川。『ぬけられます』と妖しげに、入り組んだ小径の奥へと誘う看板。
 街の中は、ここの住人たちの気配をもの語る品々であふれている。作品を見る人々は、そんな細部に入り込みながら、記憶の彼方に、思いを馳せるのである……

 「想像の材料を沢山入れ込んであげることが一番大事だと思います。見る人の色んな記憶にひっかかる、記憶を呼び覚ますような材料を封じ込めてあります。」山本は、作品を作る上で何が大切なのかを語った。

 ジオラマの中に封じ込める、記憶を呼び覚ます材料は、どのようにして作り出すのか?山本の仕事場を訪ねてみた。本棚に、昭和の記憶を留めた資料ばかり。
 現在制作中なのは、「駄菓子屋の風景」。山本のジオラマは、まず建具から作りはじめる。人が暮らしの中で実際に触れ、開けたてする感触や、その大きさを覚えているものから作りはじめると、スケールの基準を掴むことが出来るからだという。

 山本は作業が早い。それには理由がある。「時間は 決まっている訳ですから作業を早くすれば、そのゆとりでもう少し凝ったものを付け足してやることが出来る。作業が早いって事はクオリティが高まるということなのです。」と山本は言う。

 そしてここから先は設計図には書き込むことが出来ない、記憶の襞(ひだ)に働きかけるディテールを加えてゆく作業に入る。
 新築の駄菓子屋では、人は郷愁を感じない、やはり駄菓子屋は、時代のついた木造家屋であってほしい。そんな古い木造家屋の風情を出すにはどうすればいいのか、山本は研究を重ねた。
 茶色の塗料を塗れば、見た目は近づくが、“風合い”といったものが出ない。
 板張りの壁に、長い年月を経て染み込んだ雨や埃の蓄積が、あの風情を生み出しているのだと思い至った山本は、染料を薄めて、板に染み込ませてみた。すると、板の木目がそのまま浮き出て、いかにも時代のついた壁に見えてきた。

 仕上げに、板の縁(へり)がすり減ったように紙ヤスリを掛けると、いかにも古い家屋の壁になってきたのである。
 板の壁が、どのように古びていったかを考え、それに似た状況を作り出すという発想である。「本当の風景と言うのは、何年も何十年も経て初めてそういう風景になっている訳でしょ。そんな時間をかけて出来ないわけだから1ヶ月か2ヶ月でその時代のオーラみたいなものを植えつけたいんですよね。」と山本。
 塗り立ての漆喰の壁が、この染みだらけの佇まいになるまでの“ストーリー”を辿って考えると、どんなふうに汚せばいいのかが見えてくる。
 漆喰に見立てたのは、水彩画やパステル画に使う、コットンが織り込んであるマーメイド紙(し)という紙。煤は、黒いパステルを削って粉末にした。

 「こんな感じでしょ? すすけた感を出しているんです。」山本は実際その作業をしながら説明してくれた。
 「真ん中に走っている線はその裏の柱か何かなのか」と聞いてみると、「柱というか、雨だれが裏にこう表側に染みてきた感じとかさ」という返事が返ってきた。そして部屋の内部が出来たところで山本は「こんな感じで部屋の内側は出来上がりです。いいでしょ。自分でも納得して次の段階に進むと……。」と次の作業に入るのだった。
 棚の上には、お菓子が詰まった大きなガラスの瓶が並ぶ。あのガラス瓶は、厚みがまだらで、中のお菓子がゆらゆらと見えていた……そんな質感を、駄菓子屋に通っていた人たちは、きっと覚えているはずだ。そこで山本は、こんな装置を考え出した。木枠に塩化ビニールの板を挟んで、柔らかくなるまでコンロで温める、それを型に押しつけて掃除機で吸引し、ガラス瓶の形に成形。冷めて固まったところで型をはずし、カッターで切り取れば駄菓子屋の棚に並んでいた、ガラスの瓶が。「という訳でガラス瓶の元型が出来ます。もう少し細工しますけれど。」と山本。

 あの質感をどのように再現するか……? 様々な素材で試行錯誤を繰り返した末に、塩化ビニールを熱したときに起こる厚みのムラや、中に出来る気泡の感じが一番似ていることに山本は気づいた。
 「昔の手作りの瓶って、口で吹いて作ったかどうか知らないけど、一個一個ちょっとずつゆがみがあるじゃないですか。ゆがみもあるし、不細工だし……・泡もちょっと入っているようなところが上手く表現出来たな、と。それは偶然性もあるんですけど、偶然性ありきでOK!いい瓶が出来たなあと、昔の安っぽい、質の悪いいかにも昔の昭和30年代だなあって表現ができた、そういうことの積み重ねですよね。」と山本はディテールを作る過程について語る。

 見る人の胸の奥底で眠っていた、微かな記憶を呼び覚ます、山本のディテール。「ディテールは詰め込んであればあるほどいいですよね。情報ですよ。情報を入れれば入れるほど、ディテールを入れるほど、ジオ ラマの世界に入り込みやすい。こう見たときに目を凝らしたときに細かいところが作ってないとがっかりするじゃないですか。見える範囲は店の奥でも全部作る。店員さんとか座っていて寝ていたり、しかめっ面していたり、頑固親父だったり……。見える範囲は全部、ディテールを入れていってあげて、そのジオラマの世界に入り込みやすいように、見ている人が引き込まれやすいように、最善を尽くしています。」山本はディテールの大切さを強調する。

 さらに山本のジオラマには、見る人を作品の中に引き込む、巧妙な仕掛けが施されている。
 古書店が軒を連ねる街、『看板建築』は、銅板を張り巡らせた 古い商店の佇まいが、ひと昔前の『古本の街』を彷彿とさせる、精密に作り込まれた25分の1の作品である。店先に並ぶ本も、ちゃんと25分の1の縮尺。ところが改めてよく見ると、一つだけ、精密な縮尺を無視したものを、山本は、配置している。人間たちだ。ジオラマの街をゆく人たちは、明らかに25分の1のスケールではない。しかしここにも、山本なりの計算がある。「やっぱり、ミニチュアは小さいでしょ。それを覗き込んでその世界に引き込みたい。見ている人にその世界の中に入って欲しい。こうやって覗くじゃないですか、その時に人形と同じ目線になって欲しい。」と人間だけ、あえて25分の1で作らない訳を語り始めた。

 見る人を作品世界に引き込む“装置”としての役割を担う人物は、いきいきとした豊かな表情を持ち、ドラマを背負っていなければ感情移入することが出来ない。しかし人物を25分の1にすると、小さすぎて表情が作り込めないのである。そこで山本は、人物だけをあえてデフォルメし、漫画チックに仕上げる手法を考えた。「当時の写真を見ると、昔の子供って、学校から帰ってきても学生服着て学帽被って遊びに行ったじゃない? そんな感じとかね。やっぱり下駄履きだよね。」と山本は当時の子供たちの暮らしに思いを馳せながら一体ずつ丁寧に人形を作ってゆく。

 山本の作品の中で生きている人物は、それぞれにドラマが見え隠れしている。“蔵書を売って、生活費に充てようと目論んでいる男”“女学校から戻って、店番をしながら宿題をする看板娘”ミニチュアの街の住人たちは、実際の街で暮らす人々がそうであるように、それぞれの人生を生きている。
 「人形と同じ目線になった時、ちょっと一瞬『本当に 自分はこの世界に入っているのかなあ』、と錯覚することがあるでしょ?その錯覚感が楽しい。」と山本。
 作品を鑑賞する人たちは、山本の思惑通りしゃがみ込んで、そこにいる人物と同じ視線になって、ミニチュアの世界に入り込んでいくのである。

 さらに山本は、見る人すべてに『懐かしい』と思わせるため、作品に中に、もう一つの“魔法”を仕掛けていた。
 東京の下町、深川・木場界隈の情景を前にした山本。
 モデルとなる街がある場合、山本高樹は必ず現地を訪れて、歩き回るという。しかし目の前に展開しているのは、当然、平成の御世の現在。そこで山本は、何を観ているのだろうか?
 手に持っているのは古地図ですか?の問いに山本は「昭和30年代のこの辺りの地図です。」と答えた。
 「やっぱり街を歩くときは今の地図も持って行きますけど、昔の地図も持って歩きますよね。比べてみて、なるべく昔の道が残っているところを探して……何か残ってないかな、何か残ってないかなって探すんですけど、この辺りは、深川の辺りは、昔は掘割が縫うように走っていて、材木置き場の貯水場みたいなものはポコポコあって……今は全部埋め立ててしまって公園になっていたり、マンションになっていたり全然面影がないですね。昔の面影が全然ないんですけど、想像力を逞しくして、ほんのちょっとのかけらでもいいから、それを一個一個拾って、家に帰ってそれを増殖させて作る。街のDNAを拾ってきて、自分の中で培養させて培養させて、作るというのが自分のやり方です。」と山本は続けて語った。
 山本は早速、その“DNA“を見つけた。商売繁盛を願って、深川・木場界隈のそこかしこに祀られた稲荷神社。
 堀割を縦横に巡らせていたこの辺りには、たくさんの橋が架かっていた。歩行者だけが渡れる新田橋は、架け渡された当時の面影を残している。「近所の多くの人の協力で建てられた橋って、それだけでいいですね」。橋の前に掲げられた説明を見て山本は言った。
 そして山本は、露地の奥深くへと入り込んでゆく。
 車も通り抜けることが出来ない細い露地が、忘れ去られたように奥へと伸びている。「見てもらえば分かりますけど、丸い柱にタイルが綺麗に敷き詰めてあって、これが昔の赤線のカフェの様式ですね。」と当時を偲ばせる柱を見せて言った。

 昭和33年3月31日まで、この辺りには賑やかな歓楽街が広がっていた。往時の面影が、時おりこんなふうに、ぽつんと残っている。
 「当時の気配をそのまま残している感じで、ぼくはこの一角がとても好きなんです。建物や街は具体的に作ったことは無いですけれど、色町であった玉の井の街は作ったことはあります。こういう風に此処は濃厚なDNAが残っているので、それを拾い集めて気配を、エッセンスを吸収して……いるだけで分かるでしょ?気配がこう感じられるのが……・」と話す山本。
 山本が、心のアンテナで捉えた街のDNA。地図上で位置を示すと、離れたところに点在していた。しかし山本は、それをさり気なくアレンジして、一つの処に配置し、いかにも深川といった街の気配を立ちのぼらせた。

 山本は、「一番それらしい、それを代表するようなディテールを拾ってきて、再構成するんです。人の似顔絵描くときのように、眉毛が濃かったら極端に眉毛を濃くしたり、顎がしゃくれていたら極端に顎をしゃくったりして、そういうのが良い似顔絵じゃないですか。写実に描いてみせるって言うのもあるけど、色々省いたり誇張したりして似顔絵って出来るけど、それと同じ事を僕もジオラマでやっているのです。」と語った。

 前を通りかかった住人が、さっと手を合わせて挨拶をしてゆく稲荷神社。モダンな装いのカフェーには、宵の口から煌々と明かりが灯る。山本の作品には、街の匂いを醸し出す、エッセンスのような情景が凝縮されている。見る人がみな『懐かしい』と感じるのは、実在する街だからではなく、そこで嗅いだ匂いを、記憶の底で呼び覚まされるからなのかも知れない。

第二章・主役

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 ヂオラマ作家・山本高樹に舞い込んだ、珍しい依頼。手塚治虫や藤子不二雄、赤塚不二夫、石ノ森章太郎らが住んだ、マンガ家たちの聖地・トキワ荘を作ってほしいという。山本は、いつもとアプローチを変えて、資料に忠実に作り上げた。

 山本が蘇らせた、トキワ荘の青春物語。そのお披露目の場には、トキワ荘の住人だったマンガ家たちや、多くのファンが詰めかけた。
 「行水しているところが似てる。」「本当に顔似てる。」「ホントだ。」訪れた人々は山本の作品を見て次々語った。
 お披露目では「これは僕の先生方に送るファンレターみたいな気持ちで作りましたので」と挨拶する山本に、「すごいファンレターを頂きありがとうございました。」の返事が返ってきた。
 トキワ荘を原点に世界に広がっていった漫画は、山本高樹に、空想の世界で遊ぶ術を教えた。

 東京オリンピックの年に生まれた山本は、小さな頃から、ミニチュアの街の中で遊んでいた。
 山本は子供の頃の自分について「小さい頃からオタクでしたよ。あんまり外で野球とかしない……特にスポーツ系、球技とかダメなんですよ。」と語った。
 そして、好きな模型造りがそのまま仕事になるからと、専門学校を卒業して、映像美術の会社に就職。
 しかし所詮、ミニチュア模型は映画の“背景”。撮影が終われば廃棄されてしまう運命だ。熱中できたのは始めの数年だけだった。

 仕事で満たされなくなった山本は、趣味に走る。十数年と売れ残った、掘り出し物の古いプラモデルを探して歩くのだ。

 山本はその当時のことをこう語る。「おもちゃまでデッドストックを探して田舎を各地歩いていたんですよ。素朴な古い街なほど、デッドストックが残っているんです。で、どこに古い街があるかなと『古い街研究書』みたいなのを買って。おもちゃを探すことより古い街のほうが面白くなっちゃって……。オタクってだんだん目的が増えていくでしょ?(もともと)古い街を探すことって、目的のための手段でしょ?目的がおもちゃを探すことだったのに、古い街を研究することの方が面白くなって、写真撮って、でもその頃から、ジオラマを作りたいという気持ちがあった。」
 単なる背景ではなく、風景そのものが主役になる、たとえば風景画のようなジオラマが出来ないだろうか?そんなことを山本は頭の片隅で考えながら、数年の時が過ぎてゆく。そして休みになると旅に出て、日本中の様々な風景を写真に納めて歩いた。「何十年とか百年以上の趣とか。これだよなぁ、本当の風景をみなければだめだなあって思った。」と山本は言う。

 美しい風景にはたくさん出逢った。けれども、それをジオラマにする方法が思い浮かばない。本物の風景を前にしたときと、同じ感動が沸いてくる作品を、どう作るか?
 山本は、「風景っていうのは、どこから作っていいのか分からないよね。絵に描いてみたけれど、あれをそのまま模型にしてやってみたところで作品になるか分からないし……」と、当時を振り返りながら話す。
 家の形を精密に作るだけでは、建築模型と変わらない。それでは感動を呼ぶことは出来ない。人は風景を目にしたとき、いったい何処に感動するのだろうか?

 山本は、そんなとき、一人の画家の絵からヒントをもらった。郷愁を呼び覚ます、ほのぼのとしたタッチの心象風景の絵だった。
 街を舞台にして、人々の物語が息づいていた。こんな街にありそうな、駄菓子屋を作ってみようか……?山本は、紙粘土をひねりながら、イメージを膨らませた。
 子供の頃に欲しかったものがすべて詰まっている駄菓子屋が出来上がった。旅先で偶然見かけた、宝箱のように見えた店を思い浮かべた。しかし、作ったのはこれ一軒だけだった。「駄菓子屋一軒つくっただけで、自分でもそれ以上広がらなかった。
 周りも気に入ってくれなかったし、広がらなかったし……」山本は駄菓子屋を作り終えた頃の自分について語った。『まるで立体的なイラストだね。これを、いったい誰がみたいと思うの?』そんな周りの人たちの言葉が胸に刺さった。

 山本は、一旦ジオラマから離れ、デザインが気に入っていた古い路面電車を一台作ってみようと思いたった。
 リセットみたいな感じだったのかの質問に、「そうですね、風景じゃないものを作ろうと思った。ジオラマにするつもりはなかった。」と山本は答えた。
 好きなだけこだわり抜いて作った路面電車は、なかなか良い出来だった。「それで電車が一個、出来たというか仕立てという訳なんです。 仕立てていくとだんだん、奥にもう少し背景を作っていこうかなという気持ちになって、それで写真館を作ったんです。」と更に山本は続けた。
 この路面電車が現役で走っていた頃の、モダンな写真館が背景に良いと思った。
 「で、此処どこなんだろうなぁ、銀座にしてみようかな、と思って。銀座って何だろうって考えたら、やっぱり、カフェだよなぁって……」
 当時、流行の先端にあったカフェ。名前は『ル・モンド』にしようと思い浮かんだ。「カフェには誰がいるだろう?と考えたら、荷風だよね。カフェにあれだけ出入りしていたのは……」以降、山本の作品の常連となる永井荷風が現れた。
 傘をステッキ代わりに携えて、東京の街をさすらいながら、数々の散策記を著した作家・永井荷風。消えゆく江戸情緒を偲んで、面影を追い求めて歩く姿勢に、山本はずっと傾倒していた。「カフェの文化の前には荷風がいて然るべきだし、その頃、江戸川乱歩がスランプになっていた頃だよね。横溝正史から原稿書けずに逃げ出す乱歩の人形を置いたら、なんかドラマが出てきたぞ、って。」次々とアイデアが湧き出す瞬間を山本は語った。
 別に誰に頼まれて創っている作品ではない。好きなだけ手間を掛けて、思いの向くまま気の向くまま、創作意欲を注ぎ込んだ。ドラマを背負った人々が街角に現れると、途端に街が活気づいてきた。
 そして気がつくと、主役に据えた路面電車が軽やかに走り抜ける、モダン都市・銀座の物語が完成していた。

 とうとう方法論を見つけた!街の似顔絵師の、誕生の瞬間だった。

第三章・夢想

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 急ピッチに都市開発が進む東京のウォーターフロント。未来を描いたマンガさながらの都市の姿に、山本は何を思うのか?
「なんかコンピュータ回路の基板みたいだよね、街が。その中に、人が色々動いていて、ピピピってパルス信号が走って仕事しているような感じ。昭和30年代の当時は街が未来志向でしたよね。僕は昭和39年生まれですけど、東京オリンピックもそうだし、新幹線の開通もそうだし、みんな未来へ未来へって、“テクノロジーと未来”という方向にみんな目が向いていた。その時の暮らしは貧しくて、侘しくて、汲み取り式便所という生活だった。確かに未来はその頃描いていたような形になりつつある。昔僕たちが見ていた“鉄腕アトム”のような。その時が来たとき『こんなもんだったの、俺たちの夢って?こんなところに住みたかったの?』って(きっと)思いますよ。」
 山本は更に続けた。「切り捨ててきたものが沢山あると思います。それが何か分からないけれど、不便なものかも知れないし、不潔なものかも知れないし、貧しいものなのかそれが何か今は分からない。だけどそういう匂わせるものが、エッセンスを持っているから拾い集めて作品に凝縮させるのが僕のやり方だと思う。」
 豊かさを夢見て、テクノロジーを過信して、がむしゃらに突進しつづけた日本人が置き忘れてきてしまったものは何か?それは大切なものではなかったのか?
 山本は、高度経済成長が巻き起こる以前の昭和の街の中に、その何かを見つめてみようとしている。

 普段、デザイン画など描かない山本が、ぼんやりと浮かんでくるイメージと対話するように、スケッチを描き起していた。新作は、妖しげな裏町になるらしい。
 それから、ふた月が過ぎた頃、完成した作品を見せてもらうために山本の作業部屋を訪ねた。「これになります。作品、デカくなっちゃいましたよ。電気を点けますね……。」と山本は作品を見せてくれた。

 駅裏に密集する場末の歓楽街。一軒のヌード劇場を中心にして、勝手に増殖していった夜の街である。「昭和の歓楽街ですよね。あの駅にあったような感じの……。子供の時にあった、あのおっかない、怪しい、でも魅力的だな、っていう気分を沢山込めました。」と山本。
 山本曰く、ここは街中、違法建築だらけ。でも誰も気にしちゃいない。弱虫で、だらしなくって、でも凄く人間臭くって、金はないけど憎めない連中が、夜ごと集まってくる……飲んだくれでも、やさしく包み込んでくれる街である。

 「ただ行ってみたいな、面白そうだな、居心地のいい、入り込みたいな、と思う空間を作りたいだけですね。」と最後に山本は言った。
 山本高樹が作り上げる25分の1の街の中に大切な何かを 探しに出掛けよう――。

 
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