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#102『山崎勇喜 それでも僕は歩いてゆく』
主人公 陸上・競歩選手/山崎勇喜(やまざき・ゆうき)
1984年1月16日生まれ(24歳)
富山県出身

富山商業高校時代に陸上部に入部し競歩を始める。高校2年で世界ジュニアに出場したのを皮切りに、国際舞台を次々と経験。順天堂大学へ進み、2004年のアテネオリンピックでは50キロ競歩で第16位、翌年の世界選手権では第8位に入る。2006年の日本選手権50km競歩で3時間43分38秒で日本記録を樹立、世界選手権A標準を突破した。2007年4月に行われた日本選手権で、4連覇。身長177センチ、体重65キロ。日本の競歩界の第一人者。大学卒業後、長谷川体育施設に所属。

※2007年7月8日 初回放送
※2008年4月20日 第1回再放送

第一章・四万六千歩

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 彼方に設えたゴールに、より速く到達した者こそが勝利者――そんな競技であれば、選手は全力で走ろうとするのが、ごく自然の行動である。しかし、陸上競技の中には、ゴールを目指して“走ってはいけない種目”が、ある。競歩である。

 50キロも先にあるゴールを目指して、スピードを競い合い、走り出してしまいたくなる衝動を抑えながら、ひたすらに歩かなければならない。しかし、トップウォーカーの歩くスピードは女子マラソン並で、時速15キロほども出ている。そんな競歩界で、世界を相手にメダルも狙えると、注目を集めている日本人選手がいる。――山崎勇喜。

 現在、日本選手権4連覇中。2006年には、それまでの記録を一気に4分以上も更新する新記録を樹立した、日本記録ホルダーである。2005年世界陸上ヘルシンキ大会では、日本勢としては8年ぶりとなる入賞を果たした。競歩の魅力を尋ねてみた。
「走るのと違ってちょっと格好悪いと思うけど、一番の魅力は達成感です」と山崎は答えた。

 競歩は、20キロや50キロといった長距離を、技量の必要な独特のフォームでスピーディーに歩き続けるという、忍耐力が試される競技である。レース終盤で足どりを崩し、進めなくなる選手も決して珍しくない。
 彼らを苦しめるのは、走ってはいけないという厳しい規定。”歩くこと”と“走ること”を分けているのは、二つのルールである。
 走っているとき、両足が地面から離れて、飛んでいる瞬間がある。競歩ではこれを禁じており、どちらかの足が必ず地面に着いていなければならない。
 普通に歩いているとき、人は前に振り出した足を軽く曲げている。しかし競歩では、接地した足を真っ直ぐに伸ばし、曲げてはいけないのがルールである。
 このルールが遵守されているか、コース上では複数の審判が目を光らせている。審判は“ヒューマンアイ”で監視し、違反があると判定すると、選手に『注意』の黄色い表示を示す。それでも改善されない場合は赤の『警告』。そして『警告』を3度受けると、その時点で選手は失格となる。レース後半、疲労で足どりのコントロールが効かなくなる頃に、失格となってしまう選手が多い。審判の目に、違反と映らないフォームを維持し“できるだけ速く歩く”。それが『競歩』なのである。

 日本が誇るエース、山崎勇喜は、スピードのある効率の良い歩き方と、審判にアウトと判定されにくい、巧みなフォームに定評がある。世界と戦う、そのテクニックを検証してみた。
 1秒間に1000コマ撮影できる超高速度カメラの映像で見ると、両足が一瞬、地面から浮いている! しかし判定は、審判の“ヒューマンアイ”で行われるため、飛んでいるように見えなければよく、それも重要なテクニックなのである! そして、この映像の中に山崎の“速さの秘密”が捉えられていた! 比較のため、競歩日本代表候補の藤澤勇選手にご協力を願った。

 二人の違い……実は、二人の身体の傾きに、大きな差が出ている。藤澤選手が前屈み気味で歩いているのに対して、山崎は、地面にほぼ垂直な姿勢を保っている。棒のような姿勢で、地面を垂直に踏むことが、歩くスピードを上げていたのである。
 足を真下に踏み降ろしたとき、山崎は全体重を掛けて、地面を強く押している。すると“反作用”が生じて、地面は同じ力で押し返してくる。この地面からの力を、反対側の足を前方に振り出すことで――前へと進む推進力に変換しているのである。しかし、身体が前傾していると、力が逃げて、足で地面を押す力が弱まってしまう。弱い力に対しては、弱い反作用しか返って来ないため、推進力も、弱いものしか生じさせることができず、スピードが上がらない。山崎のように、真っ直ぐな姿勢で垂直に地面を押すことで、効率よく地面から力を得て、スピーディーに前進することができるのである。それが、山崎のスピードの秘密――。

 山崎の“歩き”を、正面から見てみる。これは藤澤選手の“歩き”。頭の位置に注目すると、山崎の頭は、ほとんど揺れていない。
 目安となる垂直な線を載せてみると、藤澤選手に比べて山崎は、足のつま先と、ヘソ辺り、そして頭の位置をほとんどブレさせずに前進している。さらに、頭の位置に注目しながら、横から見ると、山崎は、頭の高さがほぼ一定で、ほとんど上下に動くことがない。山崎は、どのような感覚で歩いているのか? 
 山崎は「足で歩くのではなくて腰で歩く。腰が動いているというイメージで歩くと自然と体重は乗るし、脱力もするんです」と言う。確かに、山崎の骨盤は、ヘソの下辺りの一点を中心にして、立体的な8の字を描くように動いている。

 日本陸連競歩担当のスタッフである法元康二(ほうが こうじ)さんは、山崎の骨盤の動きを「一般的な歩きは足が扇状になるように足を中心として動くので一旦足が着くと股関節が上がります。山崎選手は一旦足を着けて横に股関節を逃がすので腰の高さが上がらず、重心を引き上げなくて済むので上下動が少ない」と解説する。
 通常の歩き方だと、前に出した足の上に重心を移動させるとき、股関節が上に持ちあがり、従って上半身も一歩毎にいちいち持ち上がるので、それだけでも相当なエネルギーを消費してしまう。しかし山崎は、骨盤を回すように動かして、重心移動の時に生じる上下動を巧みに吸収してしまうので、エネルギーをロスすることがない。しかも、骨盤を回している中心点は、ちょうど身体の“重心”のある位置なのである!
 上下動をせず、垂直に立って左右にもブレない山崎は、陸上競技選手にとって理想的と言える、スムーズな重心移動を行っていた! そして“足のさばき方”にも、山崎の高い技術が見える!

 前に振り出した足が、接地する瞬間に注目して欲しい。藤澤選手の場合、シューズのかかとが、グニャリとつぶれている。接地するとき、かかとが突っ支い棒のように、一瞬ブレーキを掛けてしまっているのである。一方、山崎の場合はどうか? 足の裏をフィールドにスルリと降ろし、スムーズに重心を移動させているので、ブレーキを掛けることなく前進している。山崎のシューズを見せてもらった。かかとからつま先に流れるラインが、まんべんなくすり減っている。どこか一部分に力が集中することなく、スムーズに体重が移動している証拠だ。
 50キロレースの場合、トップ選手たちは、およそ4万6千歩も歩く。一歩毎の、わずかな力のロスは、塵のように積もって、レース後半に大きなダメージとなって現れてくるのである。しかし山崎には、競歩選手としてこの上なく有利な特徴が備わっていた!

 50キロ競歩の日本記録ホルダーにして、世界大会でのメダルに最も近いと言われている男―山崎勇喜。競歩で勝つためには、ただ速く歩くだけでは不十分である。長い道のりを行く間中、ルール違反を採られない安定したフォームを維持しつづけなければならない。
 どちらかの足が必ず地面に着いていなければならない『ロス‐オブ‐コンタクト』、接地した足を真っ直ぐに伸ばしていなければならない『ベント‐ニー』、世界トップクラスの選手でさえも、レース後半には疲労でフォームを崩し、審判に『警告』や『失格』を言い渡される場面が少なくない。しかし山崎は、警告を受けにくいフォームを維持しつづけられるのだという。

 その秘密は、彼の身体に備わっていた。山崎は、陸上選手としてはとても足が細い――そのメリットを「細いものは太いものより振り回しやすい。足が細いというのは一旦蹴って足を後ろから前に振り出してくるときに小さいチカラで前に振り出せる。ピッチを上げてスピードを上げるのに非常に有利」と法元さんは話す。

 山崎は、細い足をムチのようにしなやかに振り出しながら進むので、審判の目には、膝が真っ直ぐに伸びている印象を与え、『ベント‐ニー』を採られにくい。しかも、足は細いが、太ももの外側の筋肉はとても発達しており、これが競歩のフォームに有利に働いているのだという。
 どちらかの足が必ず地面に着いていなければならない『ロス‐オブ‐コンタクト』を採られないためには、できるだけ足を上に上げず、地面スレスレに移動させて歩くフォームが望ましい。法元さんにそのスーパースロー映像を見てもらった。
「後ろ足を抜いて前に足を抜いて来るときの靴同士が擦れるくらいですから、ロスオブコンタクトという点においては安心して見ていられる。ちょうど両足がこすれる位置で足が前に出ています」と法元氏は話す。

 このフォームを50キロ、およそ3時間半の間、維持し精密にコントロールしつづけるには、発達した大きな筋力が必要になる。山崎の太ももの筋肉は、彼の細い足を制御するには充分なのである。さらに山崎は、念を入れて、ある工夫もしているという。それを「膝を高く上げないことと、アスファルトすれすれに歩く靴の音、擂れている足を審判に聞かせるくらいです。そのことにすごく集中しています」と山崎。

 審判は“ヒューマンアイ”で判定を下しているため、これらの心理的な作戦も、充分な効果を上げるのである! そしてさらに。山崎は、長距離を戦うのにはうってつけの、筋肉の特質を持っているのだという。山崎を受け持つ、大坪トレーナーはこう語る。
「この足は今日、50キロ練習した足ではないですよね。柔らかいです。普通はがちがちに硬くなります。硬ければ筋肉が動く範囲が限られてしまうのでそれだけ負担がかかる。山崎君の場合は50キロ歩くのに非常に適した筋肉を持っていると言えますね」と大坪トレーナーは山崎の足をマッサージしながら話す。

 地面からの反発を効果的に推進力に変えて、スピードを維持する歩きの技術――。身体を上下にも左右にも揺らさず、軸を真っ直ぐに保つことで、スムーズな重心移動を実現している安定したフォーム。さらに、恵まれた身体能力をフルに活用して、警告を受けにくいフォームを完成させた山崎勇喜は、競歩界期待の星。

第二章・一念

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 8月に控えた、世界陸上・大阪大会に出場を予定している、競歩日本代表選手たちが、この日、身体測定のために集まっていた。山崎の測定値は、どれも一般の女子のレベル。競歩選手としてレベルを聞いてみると今村監督は「低いほうです」とピシャリと言い切る。
 おもてに出て懸垂。気を取り直してもう一度……。出来たのはたったの1回。しかし山崎は日本記録ホルダーのアスリート。そんなとき、「競歩取ったら自分に何も残らないし、競歩しかないけど、自分の原動力は皆の応援で支えられている」と山崎は語った。

 声援には、誠実に応えようとする男だ。山崎勇喜は、1984年、3人兄弟の末っ子に生まれた。田んぼに囲まれた静かな町で、健やかに、のんびりと育った。
「かけっこは遅かった。小さい頃から持久力はあったので、鬼ごっこの鬼になればいつまでも走って追いかけていられる程です」と子供時代を振り返る山崎。

 いつまでも走っていられる才能を生かすのは、サッカーだと思ったが、中学時代は3年間、不動の2軍。これと云って目立つこともなく、平凡な日々を過ごしていた山崎が、突如、陸上競技に目覚めてしまったのは、運動会の時、1500メートル競走に出場し、クラスの声援を受けて、2番をとったのがキッカケだった。
「初めて皆に期待されて応援されて嬉しかった。自分がヒーローになれた気分になれたし」と山崎は嬉しそうに当事の思い出を話す。

 声援を浴びたあの瞬間が忘れられなくなった。山崎は、陸上競技では県内トップの高校へ進学しようと決める。しかし、名門陸上部に入る生徒たちは、スポーツ推薦で集ってくるエリートばかり。一般入試で入学した山崎が、ふらりと行って歓迎してもらえるような所ではなかった。
「陸上の練習を物陰から見るように現われて陸上部に入りたい、陸上頑張りたいと言ってきたのだけど続きそうにないなと思って1,2度入部を断って3度目も断りました」と山本先生は当時を振り返る。ところが山崎は全然あきらめない。最後は先生の方が根負けして、入部は叶った。しかしやはり、県内外から集ったエリートたちの練習は、段違いにレベルが違う。仕方がないので山崎は、女子の練習に加わったが、それにさえもついて行くことができなかった……持て余した指導の先生は、山崎を呼び、引導を渡すつもりでこう言った。
「競歩かマネージャーをしろと言われて。それがイヤだったら辞めろといわれました。競歩は地味だしマイナーだし格好悪いし、嫌なイメージしかなかった」とその時のことを山崎は語った。

 それでも、競歩をやるなら陸上競技部に残れるのかと、先生の言葉を素直に受け取った山崎は、種目の転向を受入れた。競歩選手だった兄の姿を見ていたので、歩いてみるとすぐに恰好になった。そんな山崎の姿を見て、指導の先生たちが驚いた。
「非常に上手に歩くんですよね。即競歩のフォームになりましたから始めさせました」と山本先生。
「こりゃぁもしかして、素質があるのかも知れないぞ!」
 山崎にはさっそく、専属のコーチがついて、本格的な競歩の練習が始まった。熱心に取り組んだ山崎は、日に日に上達した。そして、競歩を始めてわずか1ヶ月半後、県大会に出場した山崎は、あっさりと優勝。その才能をみせつけた。
「やっているうちにどんどん強くなれるし、皆が応援してくれるし、喜んでくれるし、期待してくれるし嬉しい」山崎はそう語る。

 突如、目の前に広がったこの『競歩』の世界こそ、自分の進む道だと心に決めた山崎は、練習の虫となった。不器用なので、人の何倍も努力しないと身につかない、と言いながら、毎日遅くまで、黙々と練習を続けた。努力は開花した。長い手足を生かしたダイナミックなフォームで、スピードのある歩きをみせ、たくさんの声援に応えながら、高校記録を次々に塗り替えてゆく。そして、競歩をはじめてわずか5年。山崎は、日本代表選手として、オリンピック出場を果たした。そしてオリンピックに於ける、日本人の史上最高順位である16位でゴール! その快挙に、日本陸上界が湧いた!

 しかしただ一人、山崎だけが、その成績に顔を顰めていた……「もっと行けるはずだってすごく思ったし、最後このまま行けば、16位よりももっと順位が上げられたと思うんですよ」と山崎は言う。山崎はレース後半、ラスト10キロに入ってから、2度、審判から『警告』を受けてしまった。もうあとがない。スピードが持ち味だった山崎は、そこからフォームに気をとられて減速し、結果16位になってしまった。

 国内の試合では通用していたフォームだが、判定の厳しい国際試合では、『警告』を受けてしまう隙がある山崎は、フォームの改造に取り組んだ。外国勢の、上手い選手のフォームを観察し、VTRに撮って、何度も繰り返し見ながら、研究を深めた。そして自分の持ち味を最大限に生かしながら、世界で通用するフォームを、コツコツと作り上げていった。
 完成には、1年を要した。2005年・世界陸上ヘルシンキ大会。山崎は新しいフォームで挑んだ。山崎は道中スピードを落とさず、完成したフォームは50キロのコース中、1度の警告も受けなかった。そして、早々にスタジアムに帰ってきた! 日本陸上界に、新しいヒーローが誕生した、瞬間だった。

第三章・十粁

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 2006年の日本選手権―このレースで山崎勇喜は、50キロ競歩のこれまでの記録を4分以上も更新する、3時間43分38秒という日本新記録を樹立。これは、アテネオリンピックの、銅メダルの記録に、あと4秒と迫っていた。世界大会でのメダルが、射程圏内に見えた!
「今は大阪で入賞して北京でメダルを取るのが自分の中の目標です。ラスト10キロを如何に粘るかが入賞のポイントだと思います」と山崎。

 メダルへの道の第一歩は、タイム目標を3時間40分以内と定めた。そのためには、ラスト10キロのレース展開を作り上げなければならない。外国の強豪たちは、疲労も限界を越えるラスト10キロ地点から、駆け引きを挑んでくる。ここで勝負をかけるためには、余力を充分に蓄えておかなければならない。これまでの山崎は、ラスト10キロを、ペースを落とさずに歩ききるのが精一杯だった。

 山崎は今年から、高地トレーニングに取組みはじめた。指導に当たるのは、高地トレーニングのスペシャリスト鈴木従道(つぐみち)監督。世界陸上で日本人初の金メダルを獲得した、女子マラソンの浅利純子選手を育てた、名伯楽である。酸素の薄い高地で心肺機能を高め、負荷の掛かる山道を駆け上ることで、筋力の増加とスタミナの強化をはかる。ここでの苦しさを乗り越えることができれば、本番の競歩のコースでは、余裕のレースができるはずだ。そして、この日。高地トレーニングの成果を見るために、ひたすら上る50キロのコースを歩き、タイムを計ってみることになった。この合宿で、山崎は、身体がどんどん強くなって行くのを実感していた。

 タイムを計り、実際にどの位の力がついているか、確かめてみる。山崎は、練習で決して泣き言を云わない。つらい練習を積極的に積み重ねて、心に巣くう漠とした不安を撃ち砕いているのである。そして山崎は、50キロを歩ききった。記録は4時間25分19。山道でこのタイムなら、本番のレースでは好記録が望める!
「男子マラソンよりも可能性があるんじゃないかな」と鈴木監督は山崎を評す。
「世界陸上の3ヶ月前の練習としては今は順調にきていると思うし、世界陸上でも行けるんじゃないかという手ごたえはあります」と山崎。これまでにない、かなりの手応えを得た。

 山崎勇喜は、日々刻々と大きさを増してゆくようだ。この男、やるかも知れない!

 
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