
 |
 |
佛像彩色師/長谷川智彩(はせがわ・ちさい)
1969年3月26日生まれ (38歳)
京都市出身
1969年、京都生まれ。1988年、京都市の銅駝美術工芸高校陶芸科在学中に佛師、松本明慶氏の工房でアルバイトをし、佛師の仕事の一つである佛像彩色に魅せられる。金箔を毛髪より細く切って貼り付ける、截金(きりかね)の技法を習得し、高校を卒業後、松本明慶氏の工房に入門。1994年、26歳で佛像彩色師として独立し、左京区に工房「智彩堂」を構える。主な代表作では、和歌山県和歌山市にある紀三井寺の観音様や、栃木県那須烏山市にある一乘院の大日如来像などの彩色がある。
|
第一章・顕
平安奠都(てんと)以来、千二百有余年の春秋を重ねて来た、古都――。この地には、折々の時代に、国を治め、祭事を司る、数多の神社仏閣が開かれ、そこに携わる様々な職種の人材が集まった。そして、文化財級の名品の数々が生み出されていった。
仏像を彫る『佛師』の伝統も悠久の時を超えて、連綿と受け継がれている。以前、番組で紹介した当世の大佛師・松本明慶(まつもとみょうけい)――。その手による仏像は、『一木(いちぼく)造り』と呼ばれ、一本の木片から、鑿(のみ)一丁で彫り上げられる。仏が身に纏う薄い衣が、今にも風に揺れ出しそうに、描写されている。そんな仏像に、“彩色”を施したものもある。抽象的だった蓮台や衣紋に、模様が現われ、より絵画的な質感を醸し出す。
これは、『佛像彩色師』という専門の職人が、色をのせたもの。日本画に使う岩絵具や顔料、そして金箔などを用いて、筆をふるう仕事である。
佛像に彩色を施すのには、どんな意味があるのだろうか? その意味を松本明慶はこう語る。
「より具現化したものが彩色したものだと思います。その刀はどんな色をしているんだろうって、その着物がどんな色をしているんだろう、ということがお客さんや施主の方が知りたいと思えば、これはこんな風に龍が描かれているんですよ、とか鳳凰があるんですよ、とか、地模様はこういうものがついているんですよ、というような形で表現するのが彩色だと思います」
大佛師・松本明慶の佛像彩色を一手に手掛けている、女性だけの工房がある。そこの主が、今回の主人公・長谷川智彩。
「仏像の彩色ですから、手を合わせていただく対象になりますし、綺麗にきらきらと光っているように……」と言う長谷川。佛師が入念に彫り上げた木肌もなめらかな仏像に長谷川智彩は色をのせ、模様を浮き上がらせて、実在感を引き出す。蓮の花弁は荘厳さを増し、衣は、それが鑿で彫り上げられたものであることを忘れてしまいそうな柔らかさを獲得する……。
この色遣いには、伝統の法則も決め事もない。彩色を託された長谷川智彩の感性に一任されているのである。その特徴は、上品な配色と、この緻密さ……。衣は、絹織物の風合いを醸し、金銀の刺繍が施されているような華やぎを感じさせる。
長谷川智彩の元に、一体の仏像が届いた――。どのような彩色を施すのだろうか。彼女はおもむろに、『盛り上げ』という技法で、纏った装束の部分に、錦繍(きんしゅう)の紋様を描きはじめた。一切の下描きもなく、まるでもとよりそこに刺繍されていたかのように、大小織り交ぜて描いた。
「そこの盛り上げているところには、金箔を貼るんですけれどちょっと横で盛り上がっている時の方が、光を角度で拾う割合が増えるのですごく上品にきらきらと光ってくれるので……」と長谷川は言う。
仕上がると、金を練り込んだ糸で、刺繍された柄のような質感となる。佛像彩色の伝統の技の中でも、もっとも重要な“荘厳技法”が、『截金(きりかね)』と呼ばれる装飾法である。
糸状の細い金箔を、錦の紋様のように張り付けてゆく……。色を載せてゆくのとは趣の違う、気高く、厳かな気配を感じさせる仕上がりとなる。多くは、とても細かな作業の連続。甚だしく根気のいる仕事である。
この『香合仏(こうごうぶつ)』は、お香を入れる器を模した、謂わば、携帯用の仏様。蓋には、身の丈わずか1センチほどの仏像が彫られているが、その一体一体に、截金で装飾がしてある。幅1ミリに満たない、糸状の金箔を、一本ずつ丹念に貼ってゆく。
接着剤には、膠(にかわ)と布海苔(ふのり)を練り合わせたものを使う。仏像の背中の部分、わずか2センチ四方ほどのエリアに施す作業……。息を詰めるようにして進めてゆく。長谷川智彩の、冴え渡る截金の技法で彩色された、観音菩薩像。
截金は、金箔の糸の細さにこそ極意があると、彼女は云う――。
「皮膚や皺ってちょっとずつ曲がっていきますよね、金というのは、光をものすごく拾うので、ベタッと太いのを貼るよりも細いのを何本も貼るほうが、少しずつの角度から光を全部拾っていくから、細く細かいほうが美しく、きらびやかに見えるんです。光を沢山仏様の衣装の中に入れることを追求していくと、髪の毛くらいの細さのものを使わないといけないんです」
糸状の金箔は、截金を施す彩色師が、自ら作っている。まず、良質の備長炭に、ほのかな火を起こしたものを灰の中に埋める。かぶせる灰の加減で、温度調節をするためである。厚さおよそ1万分の1ミリの金箔を、ここでは4枚重ね合わせた。それを、用意した備長炭の上で炙るのである。炙られた金箔は、微妙に縮む。
その時、かすかにシワが寄り、そのシワで、貼り合わせた金箔は密着する。合わせた金箔をきり分けるのには、竹の刀を使う。この竹刀も、彩色師が手作りする。
鋼の刃では、静電気が起きて、きり分けた細い金箔が貼り付いてしまうので適さないのである。そして、金箔を髪の毛ほどの細さにきり分けてゆく。
この技術においても長谷川智彩は、異彩を放っている。精密に同じ細さに截る。その幅は、0・5ミリのシャープペンシルの芯よりもなお細い! 小さな仏像に使うときには、更に細くきることもあるという!
彩色師になって7年の、若井茂登子(わかいもとこ)さんに、同じように出来るだけ細く截り分けてもらった。見比べると、長谷川智彩が截り分けた金箔は、一本一本が均一で、バラつきがない。この技術の確かさを、松本明慶は、こう評している。
「(この技術の高さは)今までの日本になかったものだと思いますね。僕らこうして見ていると理解出来るんですけど、一般の方だったら髪の毛みたいな細さで平たいものですよね、それがこっち向いているかあっち向いているか分からないじゃないですか、普通肉眼では確認できないです。それでも平行に金箔を切れるのはすごいことです」
下絵もデザイン画もなく作業は進む。そして次第に、長谷川智彩の意匠があらわれて来る。気の遠くなるような、細密な作業を繰り返しているが、その手元には、いささかの狂いもない。驚くべき正確さで、髪の毛ほどの金箔を交差させてゆく。そうして、およそ4時間後、この日の作業分が一段落する。数十本の金箔が、正確に一点で交わっている。そのことを松本明慶はこう説明する。
「10枚か20枚か貼りだしても同じ交差点になるから、その交差点だけぷくって膨れ上がりますよね。何十って金箔が交差するでしょう、そうするとそこだけがぷくって膨れ上がります。つまり1ミリの3分の1位のところが何回通しても同じところに柄が通るんですよ」
さらに……。糸の繋ぎ目部分が、長谷川智彩の仕事の緻密さを示している。通常、繋ぎ目は、微妙にダブらせる職人が多いという。しかし長谷川智彩は、金箔の端同士をピタリと合わせて決してダブらせないのである。完成すると、繋ぎ目を見極めることはできない。はじめからこのような柄の織物で仕立てられた着物そのものである。さらに、長谷川智彩の筆先は、仏像の奥に秘められていた魂を呼び覚ます!
悠久の時を経て、この地で息づいている伝統の技法……。佛像彩色師・長谷川智彩は、厳かな衣を身に纏った仏像を、現世に招じ入れる仕事をしている。
風の中に立つ地蔵菩薩――。錦の衣からは、衣擦れの音が聞こえてきそうである。これは『泥描(でいが)き』と呼ばれる技法。長谷川智彩は、この『泥描き』でも卓越した技術力を発揮する。
『泥描き』とは、金やプラチナの粉末を膠などで溶き、それを絵の具がわりに筆で紋様を描いてゆく技法。身の丈2センチほどの仏像にも、黄金色の糸で刺繍を施したような描写が出来る。下地に色を置かず、截金(きりかね)と泥描きのみを施した仏像。独特な重厚さがある。
この帯の辺りに泥描きで唐草模様を入れてゆく。使うのは、日本画の小筆。仕事を始めるときはまず仏像に挨拶してから取りかかる。
彫り上がってきたこの仏像と初めて対面したとき、長谷川智彩は、『截金』と『泥描き』で仕上げようと閃いた。仏から、そんな気配が立ち上ってきたのを感じたのだという。
唐草模様は、伝統の図案がいいと思った……。
「大体。唐草を描こうっていう今まで描いたことがある図案は思い浮かんでいますけど、どの辺りにどれを描いてっていうのは全く考えてないです。一番描きやすそうなところから筆を置き始めて、そこから唐草、鶴の模様を広げていく、感じです」と長谷川。そして、筆を置きながらこうも話してくれた。
「最初は全体像を見ながら描きはじめますけど、描いているうちに次はこっちの方がいいかもしれない、とか手と筆と絵の具が選んでいくみたいな感じで、“そこ、そこそこ”って感じで筆を置いていきます」
筆は、まるで何かに導かれてゆくように進む……。しかも唐草模様は、決して省略されることはなく、どこまでも細密に、正確に描かれてゆく。これが長谷川智彩の仕事の特徴である。
描写が写実的で、実在感に富んでいる。どこまでも精密に仕上げてゆくのには、長谷川智彩なりの理由がある。
「私たちが着ているものの小さく凝縮されたものがそこにあって、なだらかに綺麗に柔らかくこういう風に見えるように、大雑把にすると、違和感が生じるんです。ゴミがついている感じになる。その彫られている衣紋の中にちゃんとその衣紋の柔らかさが強調されているようにならないと意味がないんです」と長谷川。
その仏に導かれるように仕事を進め、出来上がると、仏像が微笑みかけてくれるような気がする、と長谷川智彩は云う。像の表面に模様を描いているのではなく、筆先で、元々ある模様を浮かび上がらせてゆく感覚なのである。
仏像が表わしている、仏典に説かれた教えの真髄を、色を施すことによって、より絵画的に表現する佛像彩色――。長谷川智彩は、仏像が内に秘めている、気高く厳かな魂を、卓越した筆先で、表に顕わす仕事をしているのである。
第二章・輝
一心不乱に仏像と向き合い、工房に籠もりがちな佛像彩色師・長谷川智彩が、時おり、訪れる場所がある。日本画の画材を商う店――。
長谷川智彩は、ここで扱っている日本画用の筆や絵の具を、仕事で愛用している。
「仕事というか、息抜き……(ここに来ることは)楽しみの一つです。ストレス発散になります。これまでよりも新しい良い筆を選べたり……」と笑みを浮かべながら長谷川は話す。
愉しみや息抜きが、仕事の道具を選ぶこと……。長谷川智彩の視界には、佛像彩色の仕事しか、映っていない……ずっとそんな人生を歩んでいる。
長谷川智彩こと長谷川幸子(さちこ)は、軒先から聞こえる槌打つ音を聴き、友禅の染料に染まる流れを見て育った。小さな頃から職人に憧れ、手仕事をして暮らしていきたいと思った。美術高校に進学して、陶芸科で学びはじめた。将来は、清水焼の陶工になるのもいい。そんなとき、彼女の将来を決める出逢いがあった――。
「1年先輩に、今の師匠さん(松本明慶)の息子さんが通っていて、2年になった春に松本工房を見学させてもらえる機会がありまして……」と長谷川。
興味津々で、佛師の工房を訪れると――。そこには、一心に鑿(のみ)をふるう、若い職人の情熱が溢れていた。長谷川は、親方の松本明慶が、魂を込めて彫り上げた仏像の美しさに打たれ――。そして彩色された荘厳な仏像に、心を鷲掴みにされてしまった――!
「ここが私の居場所! 私がやりたいのは、この仕事だ!」長谷川は当時をこう振り返る。
「女の子にも出来る、力が要らないけれど、佛像彩色とその中でも、一番難しい截金という技法があるということを教えていただきました」
長谷川は、佛像彩色と截金の技法について調べ、截金を教えてくれる教室を見つけると、熱心に通って、あっという間に技術を身に付けてしまった。佛像彩色について知れば知るほど、その魅力に魅かれてゆく――。長谷川は決心した。
長谷川はふたたび松本工房を訪ね、松本明慶に、自分の思いの丈を打ち明けて、入門の許しを得た。
「自分のやる気というものを、そこで使ってもらえると思ったから、そこの場所(松本工房)が良かったのです」と当時を振り返る長谷川。しかし、強い思いとやる気とは裏腹に、いざ仏像を前にすると、怖さが先に立って、筆をつけることが出来ない……。
その時の気持ちを長谷川はこう話してくれた。
「色を考えなくてよくて、空間に色を作っていくということであれば、楽しく出来たんですけど、そこに色を着けてください、となると思考が止まってしまって何もできなくなる」
ためらったまま筆を置いてしまった。すると、それを見た師の松本明慶は、声を荒げた。
「何もせん奴は帰れ!」
何もしない者には教えようがない、と。
「帰ろうかなって……。しょげて帰るのではなくて、何っ! と思って……、悩んでいるのにと思って……、帰ろうかと思ったんですけど、これは仕事なんだと思って、ここで帰ってしまったら何もなくなってしまうし」
その日から長谷川は、古今東西の仏像について、猛勉強をはじめた。自分があまりにも仏像について知らなかったことに愕然とした。足を伸ばせる限り伸して、仏像を見て歩いた。カラーコーディネートについても、徹底的に研究した。まさに、寝る間も惜しんで勉強し、仏像に色を載せて、失敗すると洗い流した。
師匠の松本明慶氏に、通勤の時間が惜しいので、住み込みにさせて欲しいと申し出た。すると師匠は、独立したらいいと云う。但し条件として弟子を取ること……。独りになると甘えが出る。しかし弟子がいると、そうはいかない。自分も若いうちに独立した松本明慶の、実感を伴ったアドバイスだった。
長谷川は、師匠に『智彩』と名乗ることを許されて、佛像彩色師として独立。仕事をしながら、仏像に彩色をすることの意義
について考えた。「塗らなかったら買ったのに、塗っているから要らない、というお客さんもいます。だけどそれでは困るので、やっぱり塗ったほうが価値も上がりますし、彩色の価値も上がる相互作用がなかったら意味がないのです」と松本明慶は話す。
師匠の仏像に色を載せることで、台無しにしてしまっては申し訳ない。価値の上がる彩色とは、何なのか? 長谷川智彩は、考え続けた。
「判らないときは仏様のそばで寝て、夜中でも、色がこういうふうに塗ろうと思ってパッと起き上がって塗ったりすることもありますし、ちょっとお手伝いさせて頂ける物にまで高めていかないと彩色させて貰えない、もう毎日毎日、試行錯誤していました」と長谷川は当時の自分について話す。
考えあぐねて、仏様に話しかけながら、その姿を見つめていた。すると、1つの考えが心に浮かんできた。色を付け加えるのではない。仏の内側で脈打っている魂に、お出ましいただけばいい……! そう悟ると、面白いように仏様は姿を見せてくれるようになった。
「何年か前くらいから、じゃあこれも塗ってみるか、と師匠から言って下さるようになりました」と長谷川。
師の明慶が、全幅の信頼をおいて、作品を預けてくれるようになった。すると長谷川智彩の名は、またたく間に、佛像彩色の世界で認知されることとなった。
「進化していったという感じです。そこに求められるものがあったから技術も向上して、そこに見合うようなものに進化していったんだと思います」と話す長谷川。
仏様にお出ましいただくために、長谷川智彩は筆先にすべての技術を込めて相対する。仕上がった仏様は、思わず手を合わせたくなるほど慈悲深い、荘厳な姿を、私たちにみせてくれる。長谷川智彩は、そんな仕事をする佛像彩色師になっていた。
第三章・昇
智彩堂の朝――。まず、仏の宇宙を描いたお経を読み、自分たちの目指す世界を確認する。
「いつも忘れてしまわれて困るのは、この仕事は筆を持って生かされていること。いつも必ず思って、毎日筆を持つことだから、私たちは筆を持って生かされていて、筆を持ってお手伝いさせてもらえているということを必ず、一日一回思い起こすようにしてほしいなと思います」と弟子達に長谷川は言う。
ここに『智彩堂』を構えて13年。現在、6人の弟子と共に彩色の仕事に向き合っている。親方として仕事の指示を与え、自分の持っている技術を弟子に伝えて、自分自身も、ますます精進を続けている。
無我夢中で走り続けたまま、10年が過ぎた。時おり長谷川智彩は、この美術館(松本明慶佛像彫刻美術館)にやってきて、これまでのことを考える。
「ここに来ると私の青春時代っていうか、今まで一生懸命してきたことが全部見られるそういう場所、空間です。反省することも、良かったことも全てここにあります」
そしてこの先、歩むべき道を考えながら、次のステージに進むために、長谷川智彩は、新しいことに取組みはじめた。
仏画の制作――。
「奥深さを氏って、自分の未熟さも分かりますし、勉強できる方向が全然違うんですよね」と言う長谷川。
もっともっと、自分の突き進んでいる、仏様のことが知りたい。長谷川は続けてこう話す。
「仏画は何もない真っ白な紙の上に、仏様の手を描かせて頂いて、お顔を描かせて頂いて、観音様だとかお不動様だとか、その違いを表現させていただいて、そういうものを求められ始めたときに、自分が何も描けないということに気付いて、私はそれを納得いくまで勉強したいと思います」
これまでは、すでに輪郭を持って、魂の宿った仏像に、彩色を施してきた。そこからさらに精進するためには、どんな修行をしたらいいか。その答えが、仏画の制作だったのである。
何もないところに、筆一本で、仏像を出現させることが出来るか? 長谷川智彩の取り組みに、師の松本明慶は言う。
「筆を動かす技術は、曲面のほうが上だが、平面には平面の難しさがある。だからどういう戦いになるか見ものですよね。でもそれは、(長谷川智彩には)テクニックがあるんだから。これからいい仏画を沢山見れば、また凄い技術を修得出来ると思いますね。だから本人にとっては、より発見で仏画も描き、こっちもしたいって……。でも頼もしいですね」
技巧はすでに頂点に届いている。しかし長谷川智彩は、さらに次なる階段を昇ってゆこうとしている……。
長谷川は言う。
「最後の最後に『ああやったな、』って思えるようになりたい。今だったらちょっと待って、もうちょっと勉強不足だからもうちょっと勉強させてくださいってお願いすると思いますけど、もうやりきったって思えるようになりたい」
長谷川智彩は、雲の上を歩んでいても、なお、さらなる高みを目指す――。
|