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#117 『鈴木桂治 強くなるために』
主人公

柔道家/鈴木桂治(すずき・けいじ)
1980年6月3日生まれ (27歳)
茨城県出身

3歳から柔道を始め、同時期にはサッカーにも夢中になる。サッカーをした経験で、後に足腰が鍛錬され、左右の足を自在に操れる今の鈴木の柔道スタイルに影響した。国士舘大学時代、深夜にも及ぶ猛特訓を乗り越え、世界の足技を習得。2004年アテネ五輪では、100キロ超級に出場。ロシアのタメルラン・トメノフに小外刈りで1本勝ちし、金メダルを獲得。翌年2005年の世界選手権では、100キロ級で金メダルを獲得し、世界の舞台で無差別級、100キロ超級、100キロ級の重量3階級を制する史上初の快挙を達成した。今年の北京五輪で金メダル獲得を目指す。

※2008年2月27日 初回放送
※2008年7月27日 第1回再放送

第一章・刈る

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 戦国武士が戦で敵と組討ちするとき、その格闘法としてあみ出された『柔術』には、蹴りや突き技もあった。
 それが、道を極める『武道』として確立され、創始者・嘉納治五郎によって『柔道』と名付けられたのは、明治のはじめ。
 1964年の東京オリンピックで正式種目となってからは、国際的なスポーツとして発展を遂げた。それぞれの時代に、日本の期待を背負って輝くヒーローが登場した。この男も、まさにその一人。
 2004年アテネオリンピック100キロ超級金メダリスト・鈴木桂治。
「“柔能く剛を制す”と言って、大きい人が宙を舞うところとか、強くなろうと思えば、強くなれる競技が柔道だと思います」

 柔道は、50畳敷きの『場内』において、5分間の試合時間の中で、相手から一本をとる格闘技。決め技として、67種類の『投技(なげわざ)』と29種類の『固技(かためわざ)』が制定されている。なかでも、柔道の醍醐味といえるのが、華々しい『投げ技』。相手を揺さぶって姿勢を乱し、相手の自由を制しながら、技の体勢へと引き込み、宙に投げ飛ばす。一瞬の間に決まる華麗な技である。
 この投げ技は、基本となる3つの要素が正確に積み重なることで決まる。
「一番基本的なところで、“崩し”“作り”“掛け”というのがあって、まず崩す、相手を崩して技を作り、自分の形をつくる。そして技を掛ける。その一番最初の“崩し”の部分で足技は大事です」と鈴木は言う。
 まず相手と組み合い、間合いを計る。そして、相手の体勢を『崩し』、姿勢を『作り』、技を『掛ける』。この連なりで、投げ技は完成する。

 鈴木桂治は、オリンピックの決勝で、流れるような3つの動作を見せ、一本勝ちを収めている。両手で前襟(まええり)を取って『崩し』に入り。瞬時に姿勢を『作り』。技を『掛ける』。そして鈴木桂治は、この崩し・作り・掛けを、天才的な足技の連続で完成させてしまう。
「柔道には、足技から大技、という方程式はないです。足技からもう一度足技を使ってもいいわけですし、崩しで大技を使ってもいいわけですし、背負い投げをフェイントに小内刈りを使ったりとか……」と鈴木は言う。

 鈴木桂治の足技は、相手の動きを制して、強くスピーディーに、背中から畳に倒し、難なく、一本をもぎ取ってしまうのである。この一撃必中の足技は、世界中のライバルたちから、こう評されている。
 鈴木を学生時代から指導している山内直人監督は言う。

「鈴木桂治の足技を見ると、天性のものがあると思う。あの足技があることによって、オリンピック優勝、世界選手権優勝を成し遂げたのだと思います。本当に素晴らしい足技じゃないかと思います」

 その足技は、ますます磨きが掛けられ、今なお進化しつづけているという。
 鈴木は言う。
「人と変わっていることをやっているつもりはないですが、人よりも足技に対して考えていますし、工夫していますし……」

 世界を制する、鈴木桂治の足技を詳細に見てゆくことにしよう。まずは、標準的な『小内刈(こうちが)り』を見てみる。そして、鈴木桂治の『小内刈り』。その違いは、どこにあるのだろうか?
 1秒間に1000コマ撮影できる超高速度カメラの映像で、分析してみよう。

 スーパースロー映像は、標準的な村田選手の小内刈りと、鈴木桂治の小内刈りの決定的な差を捉えていた!
「鈴木選手は、刈ってそこからロックして刈り込んでいくというようなものが見えますよね。親指で踵にかけて手前に引いて持ってくる、それが上手いんです。それで足技で一本勝ちが出来るんですよ。天才的なものがあると思います」と山内監督。
 鈴木桂治の足は、相手選手の足に触れると。単に払うのではなく、ガッチリと捕まえてしまうのである!
 不意に足をすくわれ、バランスを崩すと、人は体勢を取り戻すため、足を突っ支い棒のように後方に突き出して、踏ん張る姿勢を取ろうとする。しかし、鈴木は、相手の足をロックしてしまうため、リカバリーする余地を与えない。親指の付け根を相手選手の足首辺りに引っかけて、刈り込むようにするので、相手は足の動きを封じられてしまうのである。
「足技を掛けられているとき、ロックされている感覚はあります。抜けないです。ロックされている、というか……」と鈴木の後輩の半田選手。

 標準的な小内刈りをする村田選手の払いと比べると、鈴木桂治の足は鎌のように曲がって足首を捉え、しっかりとロックしているのが判る。
「一瞬なんです。一瞬しか引っかからないですけど、その一瞬引っかかれば十分なので。僕のはここ(すねの下の内側)ですね。刈り倒すみたいな……。踵をロックする感じ。普通の足技は分からないけど、足を上げれば交せると思うんですけど」と鈴木。

 鈴木桂治の足技は、どんなに警戒したところで、ひとたび掛かってしまえば、たとえ一流選手をしても、逃れることは難しい。さらに、鈴木桂治は、逃れられない一瞬のタイミングを狙い撃ちにして、足技を掛けていたのである!
 スーパースロー映像は、まさに、その一瞬を捉えていた。
 山内監督は言う。
「これは本当に上手いと思います。つくかつかないかの瞬間で刈り込む。相手の足が歩いているときに畳につきそうなときに足が出てきて刈り込むというところが上手いと思います」
 間合いを取りながら横移動する足元。鈴木の移動に合わせて、相手が、右足を半歩移動させる瞬間、鈴木はその機を捉えて、『出足払い』を掛けた。歩くために出した右足を、着地させようとしたその一瞬、刈り込むように払われた相手は、一気にバランスを失って倒れてしまうのである。
「引き出したタイミングと、ここだ!というタイミングの感覚が確実に染み付いている」と山内監督は言う。

 こちらは、同じ『出足払い』を掛ける、村田選手のスーパースロー映像。村田選手は、対戦相手のまだ体重が乗っている軸足を払っている。相手の体重ごと払うため、村田選手の方も体勢を崩してしまうほど、力を込めて大きく動く必要が生じていた。
 一方、鈴木桂治は、相手が体重を移動させる瞬間を利用して払うため、力を入れずに倒すことが出来るのである。
「柔道と言うのは、ある程度動きがあって、例えば僕が右足を出したら相手は左手を下げるんですよ。相手が左足を出せば自分は右足を出すんです。この動きは僕が柔道を教わったときからそうなんですよ。この動きの中で、小内刈りを掛けたり、こういう重心だったり、触っているじゃないですか。接地部分で感じると、後はここにあるんだろうな、とかこの動きだったら足はこの辺りだろうな、っていうのは経験でしかないんじゃないですかね。あとは自分で相手を呼び込んでいる部分もあるので、相手の足を持ってこさせるように、自分が相手を動かしたり、というのもありますので、別に偶然でもなく、ちゃんと計算してやっています」と鈴木。

 人の行動の道理をふまえ、組み合った対戦相手の動きと呼吸を感じ取って、巧妙な計算の上で、鈴木桂治は足技を仕掛けてゆく。その感覚を磨き上げる、彼独自の練習方法があるという。この出足払いと、こちらの出足払い……、2つの違いが判っただろうか? 実は2回目の出足払いは、目をつぶった状態でやっていたのである。
 対戦相手を気配で感じながら、足技を掛ける練習。
「どこに足が来ているか、というのを感覚で掴んでいるのが鈴木桂治の特徴だと思います」と山内監督。

 今度は、目隠しをして同じ練習をしてもらった……。的確に出足払いを掛けた!
 鈴木は言う。
「相手に合わせるだけだと相手が変化してしまうと当たらないので、自分で技をかけられる形を作ることが大事ですよね。見えているものと、感じているものと2つあるので、それは相手の罠に引っかかりにくいと思いますし、見えている分相手のフェイントとかにも引っかかり辛いし、感覚がある分、相手の動きに合わせて技も出せるし……。目で追うと遅くなるので、感じないと駄目ですよね」

 感覚のすべてを使って、絶妙なタイミングで相手を倒す鈴木桂治の天才的な足技。その並外れた身体能力は、意外な経歴の中で、鍛え上げられていた! 世界中のライバルたちから恐れられた、天才的な足技を持つ男は、現在も母校の道場で、日々、練習をしている。

 柔道家・鈴木桂治。一流の選手でも容易に逃れることが出来ない彼の足技は、ミリ単位の正確さでコントロールできる足の使い方に秘密がある。イメージ通り、精密に足をさばき、相手の動きを制して一本を取るこの技術は、幼い頃に彼が熱中していたスポーツの中で育まれた。

 サッカーである。
 自由自在に動きながら、ボールを正確にコントロールする足の使い方を、子ども時代、鈴木桂治は徹底して身に付けたのである。早稲田大学大学院でスポーツ科学を研究している田上潔さんは、こう分析する。
「鈴木選手がサッカーをやっていた時期と取り組み方、この2つが違ったんだと思います。脳を含めた運動神経の発達というのは4歳くらいで、成人の80%くらいまで達する、と言われています」

 神経系統が急激に発達する4、5歳の時期、どんなスポーツの訓練を受けていたかで、運動神経は決まるという。この時期をゴールデンエイジと呼ぶ。田上氏は続ける。
「基本的な、パス、ドリブルというスキルの習得に時間を費やしているところだと思うんですけど、その時期に鈴木選手が真剣にサッカーをやっていた、ということで身体に技術が染み付いたのではないかと思います」

 機敏にピッチを移動しながら体のバランスを保ち、同時にボールを自在に操る動作が、鈴木桂治の柔道に大いに
生かされていた。 他のスポーツで培った熟練の技術を天性の器用さで柔道に転用し、対戦相手の足に絡みつくような絶妙な足さばきを、鈴木桂治はあみ出していた。
 特に、ゴールデンエイジと呼ばれる時期に、サッカーの練習によって習得した、この3つの能力は、柔道においても必要不可欠な能力だったのである。

 定位能力とは、対戦相手と自分の適切な間合いを取る能力のこと。柔道において『間合い』は、まさに勝負の勘所といえる……。
「割と離れるほうですね。その時によってですけど、自分の感覚というか……。その距離を保たないと、ちょっと手首を曲げたときの長さとかも、近づきすぎても掛からないので」と鈴木。そして、変換能力とは、田上氏はこう説明する。
「咄嗟の動きの中で、相手の動きに合わせたりとか、逆に相手の動きと反対のほうにいったりすることですね」
 状況に反応して、瞬時に、優位な行動に移る能力のこと。対戦相手を牽制しながら、一瞬の隙を突いて前襟を掴み、相手がそれを切ろうと体勢を崩した瞬間、足技で一本! さらに、バランス能力。
 足技を連続で繰り出しても、決して体勢を崩さない、この抜群の安定感。高難度のバランスボードの上に、どのくらい立っていられるか、テストを受けてもらった。
 まずは、比較のため、後輩の半田選手から。タイムはおよそ3秒! これが平均的なバランス感だという。続いて鈴木桂治。結果は半田選手の十倍の32秒。バランス能力は抜群の域である。世界の頂点に君臨する鈴木桂治は、子どもの頃からの訓練で、築き上げられてきたのである。

 世界のライバルたちが、「逃れられない」と恐れる、天才的な足技。五感のすべてで勝負に挑む、研ぎ澄まされた感覚。それが、強い男・鈴木桂治の柔道。

第二章・掴む

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 朝9時。合宿や遠征のないとき、鈴木桂治は母校の道場に通ってきて、練習に参加する。もの心ついたときから、ずっと柔道と向き合い、道場の畳の上で考え続けてきた。鈴木桂治は、生真面目な男。たゆまぬ努力が、この男の今を作り上げた。

 1980年、鈴木桂治は茨城県で生まれた。3つ上の兄のすることを何でも真似る弟だった。
「うちの兄貴が柔道をやっていて、近くに有名な柔道場があって少年柔道をしていました」
 体は華奢な方だったが、活発な桂治少年は、柔道とサッカーに、夢中だった。
「一応、フォワードで足も速かったので、地元のサッカークラブにも入っていましたし、サッカーも好きで、むしろ、当時は柔道のほうが嫌でしたね」と鈴木は子供の頃の自分を振り返る。

 ところが、「サッカーか柔道か一本に絞れ!」と云われ、彼は思わず柔道を選んだ。
「柔道の監督のほうが自分に熱心だった、ということですかね。お前は柔道をやれ! と半ば強引な感じでしたけど、それが良かったんだと思います」
 未来の金メダリストが、柔の道を歩むことに決めたのは、そんなキッカケだった。

 中学から故郷を出て、柔道の名門校へ進学。寮生活をして柔道に打ち込んだ。しかし、練習は峻烈(しゅんれつ)を極めた。さすがは名門校。半端ではなかった。
「着いていくのが精一杯でしたよね。日本一を狙うチームだったので、普通にポンポン投げられたり、という日々でした」と鈴木。
 連日の猛稽古に耐えた鈴木桂治の心に、頂点を目指す柔道家としての魂が宿る……。
「俺たちが一番じゃなきゃ駄目だ、そのためには、練習量もそうですし、生活態度とかそういうものも含めて1位優勝というのを意識するようになりましたね」

 高校へ進むと、鈴木桂治は、行く手に横たわる、新たな課題に取り組まなければならなかった。
「当時は、今みたいにがっちりした身体ではなくて、細い身体で一生懸命やっている、というところしか記憶がないです。しかし高校一年生で大学に出稽古で来ていたんですが、高校1年生なのに、強い人にしか掛からなかったです」と当時の鈴木を山内監督はそう振り返る。

 柔道家としては、体が細かった鈴木桂治は、体格に恵まれたライバルたちと渡り合うため、力でぶつかり合うことを避け、頭を使って、好成績を挙げた。
 大学時代、鈴木桂治は、国内では代表を争うような強い選手だった。しかし、国際試合となると今ひとつ勝てない……。
「自分もよく分からないですけど、何で勝てないのだろう、っていう時期は沢山ありました」

 稽古はひたむきにやっている。手を抜いたりはしていない。けれど、打開策が見つからない……。
「勝てないときは、ひたすら練習ですね」

 行き詰まっていた鈴木の前に、ゆくべき道を指し示してくれる人物が現われた。1988年ソウルオリンピックの金メダリスト・斉藤仁(現在、日本柔道連盟・男子監督)は、鈴木の素質を見抜いていた。
「足技をもっと生かせ、とか足技で一本取れると言ってもらえました」と鈴木は言う。

 子どもの頃、サッカーの練習で鍛え上げた足さばきのセンスを、斉藤コーチは高く評価していた。
「彼は中学校時代から知っていますから、足技のでるタイミングはピカイチでした」
 この足さばきのセンスが足技に生きてこないはずがない。磨けば、まだまだ強くなる! 
 斉藤氏は言う。
「当時の鈴木桂治の足技というのは、取れても技あり、あとは有効。だから、最後の決めっていう、掛けきる、という、掛けるだけの足払い、の足技なんです」

 鈴木桂治はそれから、夜まで通常の稽古に参加した後、深夜に斉藤コーチの特訓を受ける日々を送る。朝方近くまで猛特訓。そして早朝には、朝稽古に出た。
 斉藤氏はこうも言う。

「とにかく世界一の乱取りの数をやれ、と。鈴木選手は本当に自分も認める、世界一の乱取りの数をこなしてきました」
 そして、弱音一つ吐かず、厳しい稽古をやり遂げた鈴木桂治は、世界一の足技を身に付けていた。

 鈴木は当時をこう言う。
「海外の選手に負けるイメージが出来ないんですよ。自分が負けるとしたらどうやって負けるんだろうなって、こんな技かけてくる、こんな技かけてくるって色んな選手を思い出すんですけど、絶対自分は投げられないなって。そこで、負けるほうのイメージがピッと終わっちゃうんですよね。あの時(自分は)強かったですよね。全く負ける気配がゼロでした」
 磨き上げた武器と、大きな自信を手に、鈴木桂治は念願の国際大会で初優勝。それまで苦手としてきた外国人選手たちにも負けなくなった。それどころか、鈴木桂治の足技は逃れられない。と、恐れられるようになった。

 アテネオリンピック出場権をかけた、2004年全日本選手権。決勝に勝ち進んだ鈴木桂治の相手は、宿敵・井上康生。そして、柔道界最高峰の試合、オリンピックの檜舞台へ駒を進めた。
「オリンピックのほうが出場選手が少ないんですね。枠があるので。枠がない国は出ないですから、その分集中できますよね。対戦相手も、ある程度、このメンバーが来るって発表されるので、対策も練りやすいです」と鈴木。

考える柔道家は、冷静にその決戦の場に現われた。そして、順当に勝ち進む……。決勝は、ロシアの強豪・トメノフとの対戦。鈴木桂治は自然体で臨み、開始から1分20秒が経過したとき。見事! 華麗な足技で一本を決めて金メダルを獲得! 如何にも鈴木桂治らしく、月桂樹の冠を受けたのだった。

第三章・臨む

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 オリンピックイヤーがスタートした、今年1月。
 柔道・全日本強化選手たちは、沖縄で合宿に入っていた。熱の籠もった、激しい稽古。スタミナをつけるために、自らの肉体をいじめ抜く。当然、見定めた照準は、夏の北京オリンピックである。正式な日本代表選考は、4月の全日本選手権。まずはこれを制する。

 斉藤氏は言う。
「勝つための遊び、勝つための食事、勝つための稽古、勝つための生活、とにかく人生をかけろ、と。勝負に対してどれだけ貪欲に、すべてを犠牲に出来るか、にかかってくる」

 東京に戻ると、鈴木桂治はいつも決まって、食事をしにいくところがある。
 『うどん』と『おばんざい』の店。ここの大将が、鈴木桂治の食事の世話を、自ら買って出てくれている。
「食事には気を使いますね」と言う鈴木に、まるで専属のスタッフのように、鈴木桂治の健康を支えてくれている。

 合宿を終えても、練習は休まない……。一人で、筋力トレーニングに取り組む。
「柔道は引く力が強ければいい、と言われていますが、それだけじゃないと思うし。僕は柔道と言うより、見た目を作ろうかなと、男らしい体を……、が一番の目的、不純な動機です(笑)ボディビルダーみたいな筋肉は欲しくないけど、締まった身体、というか無駄な筋肉はいらないです。相手とまともにガチンコでぶつかり合うのもないので」

 鈴木桂治は専属のトレーナーをつけていない。周囲の人たちの意見に耳を傾け、自らの勘に従って、トレーニングメニューを組み立てている。そうして、世界と闘ってきた。

 今の、この『頑張り』は、すべて北京オリンピックのためなのか、と鈴木桂治に尋ねてみた。すると、彼の口からは、意外な答えが返ってきた。
「まだ北京の代表、というわけではないですが、今年で現役との生活を一区切りとみているので、練習も妥協はしないですよね、今。きついときに、今日みたいな練習は、もうないぞ、って思うんですよ。来年の今日は多分、練習していないですから。沖縄の合宿でもそうでしたけど、来年は沖縄合宿やってないなって思うと、頑張れたり……」

 今年の夏までが、柔道人生の一つの句切り。そこまでは、悔いがないよう準備を積み重ねて邁進してゆく。如何にも鈴木桂治らしく、生真面目な答えである。では、鈴木桂治の人生の目標は? と尋ねてみると……
「目標は強くなることです。今は柔道家として勝つことが絶対条件なので、強くならなければいけないし、現役を辞めてからは、今度は人間としてどんどん成長しなければならないし、時には男として強くなければいけないし、ですね」

 鈴木桂治は、天高く吹いてゆく、爽やかな風のような、現代の侍――。

 
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