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ソフトボール選手/上野由岐子 (うえの・ゆきこ)
1982年7月22日生まれ (26歳)
福岡県出身
ソフトボール女子日本代表のエース。小学校3年でソフトボールを始め、ピッチャーとして活躍。中学3年の時に全国制覇、九州女子高時代ではエースとして国体で優勝を果たす。シドニー五輪では高校生の日本代表候補として期待されたが腰椎の骨折で代表入りはならず。高校卒業後は宇津木妙子監督率いる、実業団女子ソフトボール部に入部。以後、日本リーグなど数々の国内大会で優勝、個人タイトルを獲得。2001年日本代表に初選出。世界大会デビュー戦となった2002年世界選手権、アテネ五輪の出場がかかった中国戦で完全試合を達成! 2004年アテネ五輪では銅メダル獲得。2006年9月の女子世界選手権で、北京五輪出場を決めた。身長173センチ、右投右打。ソフトボール最後の五輪となる北京五輪で、悲願の金メダル獲得を目指す。
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BS-iでは 9月6日(土)15:00〜15:54に北京オリンピックで金メダルを獲得したソフトボール日本代表のエース上野由岐子選手が出演した「超・人〜virtuoso〜」を緊急再放送することを決定いたしました。
北京オリンピックで3試合連投の413球を投げ、強靭なパワーとその笑顔に隠された精神力で日本女子ソフトボールを金メダルへ導いた投手・上野由岐子。
「超・人〜virtuoso〜」では2008年4月、北京オリンピックに向け決意新たな上野選手を追いました。
《上野由岐子選手のコメント》
金メダルを獲得したことに関して多くの方から祝福の言葉を頂き、本当にありがとうございます。また「超・人」の私の回にリクエストが多く、再放送されることになったと聞いてとても嬉しく思います。
この番組では、自分自身の言葉ではなかなか伝えられなかった私のピッチングの感覚をスーパースロー映像を使ってとっても分かりやすく説明してくれていました。
自分でもピッチングに関して新しい発見があり、またオリンピックにむけての決意も自分の言葉にする事で改めて確認できました。
『北京では、絶対的なエースでやってやろうって、2連投だろうが3連投さろうが上野しかいないから頼むぞって言ってもらえるようになりたいです』と自分で語った通りになりました。
オリンピック復活を目指して私も仲間もまだまだ頑張ります。今後ともソフトボールの応援をよろしくお願いいたします。
※2008年4月27日 初回放送
※2008年8月3日 第1回再放送
第一章・直球
たとえそれが、最初は野球をイージーに楽しむために考案された「遊び」だったとしても、歴史を重ねるうちに、“申し子”のような天才が現われて、たちまち数段レベルの高い「スポーツ」へと、風景を変えてしまうのである……。日本の女子ソフトボールの風景を変えたのはこの人――、投手・上野由岐子。
17歳で、ジュニア日本代表のエースとして、チームを世界一へと導き――。20歳の時には、世界選手権で、完全試合を達成。2004年のアテネオリンピックでも、オリンピック史上初の完全試合という金字塔を打ち立てた! いま、世界からもっとも恐れられているピッチャーである。
上野は現在、日本ソフトボール女子1部リーグの実業団チームに所属している。監督は、オリンピックで日本中を湧かせた宇津木麗華(うつぎれいか)。総監督には、日本代表を率いた宇津木妙子(うつぎたえこ)という強力な布陣。
午前中、会社で仕事をした後、午後は、このホームグラウンドで練習をする毎日。ソフトボールに対しては、あるポリシーを持って臨んでいる。
「ただ勝つことにこだわっている、というよりも、楽しむことにこだわっています。マウンドで投げて滅茶苦茶楽しいって、気持ちいいって思えるかどうかですね」
と上野は言う。
上野の一番の武器は、世界最速を誇るストレート。球速はマックス119キロに達する! プロ野球の速球派投手が投げる、160キロというスピードに比べれば、見劣りするように感じてしまうが、さもあらず。ソフトボールは、ピッチャーズプレートからホームベースまでの距離が、野球に比べて5メートル以上も短く、ボールをリリースする瞬間から、バッターに届くまでの時間を比較すると、ほぼ同じである。つまり、119キロというスピードは、バッターの体感速度では、160キロを凌駕するのである。
そのボールを受けているキャッチャーの乾絵美さんは、上野の球を受ける瞬間をこう話す。
「砲丸を捕っているようで、バーンって捕った瞬間に、肘までビーンって来るときがあります」
鉛の砲丸のような速球を、上野はいったいどのように生み出しているのか――? そのメカニズムを紐解いてみよう。1秒間に1000コマ撮影できる超高速度カメラの映像で分析してみた。
ボールを爆発的に加速させるために、上野は、あらゆる局面で高度な技術を駆使していた……。
「ボールは脚で投げるんです。蹴り出しで、良いボールがいくかどうか決まる。蹴った勢いを如何にここ(ボール)に伝えるか、なんです」
と上野は言う。
屈んだ姿勢から、全身のバネを使って、前方に飛び出す。ここで生じる勢いを、上野は、すべてボールに伝えている。
上野と共に、現在のピッチングフォームを構築した、宇津木麗華監督に、その特徴を解説してもらった。
「全身の力を全部指の先に集中させるんです。前の足とも関係があります。昔のピッチャーはフォームで膝が曲がっていたので、スピードが出づらい。上野選手は、膝をまっすぐにした瞬間、ぐぅーんと踏むこんで、電流のように力を腕に伝え、勢いを出しているんです」
前屈みの姿勢から、全身をバネのように弾かせて伸すと同時に後方の地面を力一杯に蹴り出す。そして、棒のように伸した左足で、前方の地面を強く踏みしめると、その反作用で、地面から同じ力が跳ね返ってくるのである。上野はその反発を、対角線上にあるボールにすべて伝えている。これが、他のピッチャーと比べて格段に上手いのだという。
比較のため、同じチームの若手ピッチャー・山下 絢(あや) 選手に、ご協力を願った。まずは、踏み出す左足に注目してみる。着地の瞬間は、両者共、さほどの違いはない。そのあと上野は、ガッシリとその姿勢を維持して、地面の反発力を上半身に伝え、ボールに載せて、リリースする……。一方、山下選手は……、膝を微妙に曲げ伸しするため、腰が浮いて、地面からの反発力を分散させてしまい、せっかく作りだした力を、効率よくボールに伝えていないのである。そして、上野は、ボールをさらに加速させるフォームを完成させていた――!
腕を回してゆく局面――。ボールを真上に振り上げた瞬間、山下選手の上半身は、ほぼ正面を向いているのに対して、上野は真横を向いている。
山下選手は、その姿勢のまま着地し、右肩を支点に腕を回して、ボールをリリースする。一方、上野は、横を向いたまま着地し、大地の反発を上半身に伝えると、次の瞬間、体の左側を「軸」にして上半身を回転させながら、大回りに腕を回し、ボールをリリースするのである。上半身の回転により、腕の軌道が大きくなり、ボールを加速させる。ボールの軌道を追ってみると――。
上野のボールは、より大きな軌道を移動する。しかし、リリースの瞬間は山下選手と同じ。つまり、移動のスピードが速いのである。さらに上野は、腕を速く振ることを追求しているという。
「頭の上からの腕のフリが早いほど速いボールが投げられます。早く投げるには、腕の速度を上げればいい。でも指先に力が入るとボールの速度は遅くなります。今にも落ちそうな感じでボールを握って力を抜いて落とすように投げるとスピードが上がるんです」
と上野。
強い加速を生む腕の動きを、局面ごとに追ってみよう――。水平位置から真上へかけては、前へと踏み出す勢いを利用して腕を上げてゆき、トップに到達したところで脱力する。すると、腕は、遠心力で振り下ろされるムチのようにしなやかに、上半身の回転も加わってスピードを増してゆく。そして、マックスのスピードで振り抜かれるのである。
「トップからのボールは足を開いた状態から閉じればいいんです。足を閉めれば自然に手がついてくる。力を入れなくても速いボールが投げられる」
と上野は言う。
仕上げは、右肘が体の脇に当たってから、リリースするまでの0・03秒の間に行われている!
比較しながら見てゆこう。まずは画面左側・山下選手。そのリリースの瞬間に注目! 続いて、上野。同じく、リリースされる瞬間に注目! 肘が脇に当たってから、わずか0・03秒のうちに起こっている、この違いが判っただろうか……?
「上野選手は肘からボールを横向きに近い投げ方をする。山下選手はボールをまっすぐした向き。その角度の違いです」
と宇津木麗華監督。
ボールにスナップを利かせる瞬間の、手首の角度に違いがある!
「横のほうが力が入りやすく、スナップが利くんです」とも宇津木麗華監督は言う。
上野は、人間の腕の構造を考慮して、無理なく自然にボールに力を伝えられるフォームを完成させ、世界最速のストレートを実現させていたのである。
「スピードボールに対するこだわりとか、このピッチャーには負けたくないというこだわりは強いです」
と上野。
ピッチングフォームのすべての局面で、スピードを極限まで絞り出してゆく工夫が積み上げられていた! そして、上野は、生み出した驚異のスピードボールを駆使して、バッターを幻惑するピッチングを作り上げたのである!
日本女子ソフトボールを背負って立つ稀代のエースピッチャー=上野由岐子。世界最速のストレートで三振の山を築き、2007年、日本人初の「1000奪三振」を達成。歴史に残る大投手の道を歩んでいる。
「上野選手の凄さって、ストレート球は世界一ですが、それだけではなくて、コントロールも世界一だと思います」
と宇津木麗華監督は上野をそう評する。さらに上野は、バッターを攻略する独自のピッチング理論を持っている!
「自分がどういうボールを投げたいかというのを必ず目線で決めて、キャッチャーミットと自分の間に一本線を引いて、そこにボール通す。自分の決めた軌道にボールを通していくんです」
上野が、ピッチングの前に明快にイメージしているという、「一筋の線」は、一体どのように引かれているのだろうか? そして、バッターは何故、その「一筋の線」に乗った球が打てないのだろうか?その秘密に迫ってゆこう。
「バッターはストライクを打つ練習をしますが、ピッチャーは逆で、如何にボール球を振らせるか、ということを考えながら投げている。如何にバッターがストライクと思って打ちに行ったけど、ボールだったって思えるような(球を投げるんです)」と上野は言う。
オリンピック史上初の完全試合を決めた、対中国戦。バッターは確かに、完全な「ボール球」に手を出して、空振りさせられている。
上野は、ストライクゾーンからボールひとつ分外した上下或いは左右に投げて、配球を組み立てている。
上野は言う。
「バッターが、真ん中来たって思って打ちに行ったらボールだった、いい高さの目線のボールが来たからバットを振ったらボールだったとか、本当にストライクがなくても、バッターが振ってくれるんです」
バッターは、上野がボールをリリースするところから目でコースを追い、ストライクと読んで、バットを振りにかかる。しかし、手元へと近づいてくると、球筋はボール。慌ててスイングを修正しようとするが……、すでにバットの先端は回転し、空振りに終るのである。
上野は、はじめからストレートの「ボール球」を投げているのに、バットを振ってしまうのには、理由があった! バッターが、コースを見極め、スイングをはじめて、ボールを打つまでの所要時間は、およそ「0・3秒」といわれている。
上野が、ボールをリリースするポイントから、ホームベースまでの距離は10メートル40センチ。時速119キロで飛んでくるボールは、打者がコースを見極める0・3秒前、上野の手から、わずか50センチの位置にある! これが例えば、100キロのボールの場合だと、もう少しコースを見極める余裕があり、それが「ボール球」であれば、バッターはスイングをしない。しかし、119キロのボールは、0・3秒前、まだストライクの軌道上にある! そのためバッターは、振らざるを得ないのである!
世界最速の119キロのボールは、強打者を幻惑する「魔球」なのである! さらに。感覚が研ぎ澄まされた上野は、超能力を発揮する!
「バッターが構えたときにバットの軌道が見えるというか、バットが出てくる軌道が自然にフラッシュでパッと3箇所くらい見えるんですよ」
と上野。
バッターボックスに打者が立ち、構える姿を……。上野はよく見詰めている。バットの軌道を読んでいるのだという。そして、上野は、イメージの中で、そこを外したポイントと自らを結ぶ「一筋の線」を引く。その線の上にボールを載せるように投げるのである。するとバッターは、予測通りの軌道で空振りをする。驚異のスピードと制球力で、並み居る強打者を手玉に取っているのである。思い通りの投球を可能にしているのは、自らの肉体を使いこなす「センス」にあると、チームトレーナーは見ている。
トレーナーの古川雅貴さんは、
「イメージしたことが、身体で表現できる、ということが上野選手の凄さですね。悪コンディションでも、どこの筋肉を緩め、どこを最大限に力を入れるか、というのが総合的に使いこなせる能力があるところが、素晴らしい点だと思います」
と上野の身体能力を評する。
自分の微妙なコンディションも精密に把握し、打者には見分けられない再現性で、上野は、同じピッチングフォームを維持している。コースとスピードの異なるボールを投げてもらい、その時のピッチングフォームを比べてみた――。
スーパースロー映像で、この2つの投球を重ね合わせてみると――、ほとんど同じタイミング・同じフォームで、違うボールを投げ分けているのが判る。これが、驚異的な、上野の肉体コントロールの能力である。
「自分の中でも速いだけでは打たれる、というのが分かっているので、ただ速いボールを投げることにこだわるのではなく、如何に打たれないボールを投げていくか、というところに最終的にこだわっています。理想を言えば、ストレート1本で押さえられるピッチャーになるのが目標です」
と上野。
ピッチングフォームのあらゆる局面で、効率よくボールを加速し、絶妙な制球力でバッターを幻惑する……。上野由岐子というピッチャーはとても攻略できない!
第二章・開放
世界最速の直球を投げる日本代表のエース=上野由岐子のプライベート空間は、チームの寮の六畳一間。ソフトボール漬けの日々について尋ねると、
「飽きない、ですね。なんだかんだいってグラウンド行ってボールを投げるのが楽しい。好きじゃないと、こんなにやっていないですよ」
と笑って答える上野。
ソフトボールをはじめて17年。最初に熱中したものが、彼女の人生そのものとなった……。1982年福岡の生まれ。桁外れの運動神経を持った女の子だった。近所にソフトボールのクラブチームがあった。小学3年生の時、その監督にスカウトされ、男の子に混じってソフトボールをはじめた。
「毎日、遊びにソフトボールをしに行っていました。練習じゃなくて」
と上野は話す。
中学は、全国大会の常連校だったが、上野は、1年生の時からレギュラー入り。はじめから活躍していた。中学3年で、全国制覇。高校でも、すぐに日本一。17歳の時には、ジュニア日本代表で、世界チャンピオンになった。
2004年、オリンピックに初出場。そこで上野は、オリンピック史上初の完全試合を達成。日本は惜しくも銅メダルに終ったが、上野は、世界の頂点の大会で、高揚感に浸った。アテネから戻ると、どうしようもない虚無感が上野を襲った。ソフトボールが楽しくない。こんな感覚は、はじめてだった……。
「何でこんなにつまらないんだろうって、何でこんなにモチベーションが上がらないんだろうって。試合もしていたし、適当に投げても押さえられちゃうし、挑戦するものがなかったですね」
と上野は当時を振り返った。
周囲は、4年後の北京でリベンジだと騒ぐが、そんな先のことは考えられない。しかし、日本代表のエースとして、上野の双肩には、期待と責任がのし掛かってくる。心が燃え立たないのに、プレッシャーばかりがつのる……。その様子を見ていた宇津木麗華監督は、上野に、こう切り出した。
「一緒に、アメリカへ行こう」
当時のことを宇津木麗華監督はこう話す。
「私も中国から日本に来て、自分自身、2つの国から得た自信をすごく持っています。だから、上野選手にも、『あなたを日本で教えられる人はいません。だからあなたは日本一になりました。でも、世界一にはなっていません。そういう意味で、アメリカに行きましょう。』と(彼女に言いました)」
アメリカでは、2人のコーチがついて、ピッチングフォームのチェックや、新しい変化球を学んだ。しかし、上野にとって大きかったのは、技術論ではなかった……。
「アメリカのコーチと、メンタルな話が出来たことです。それがすごく大きくて」
練習を終えて食事をしているときのこと。コーチが上野に、ぽつりと言った。
「日本のエースとしてプレッシャーがかかるのは判るけど、あなたは一人でソフトボールをしているの?」「小学生のピッチャーだって明日の試合のためにプレッシャーを感じる。それと上野は、何が違うの?」
上野は、悲壮感を漂わせて重い責任に喘いでいる自分に、気づいた。
「小学生のピッチャーやバッターだって、いろんなプレッシャーを抱えながらプレーしているんだよって話をしてくれたんですよ。ただその当たり前の言葉が、その時の自分の中では、すごく大きくて」
と上野はその時のことをそう話す。
エースの自覚を持たなくてはいけないと、日本代表を、たったひとりで背負っている気になっていた……。コーチたちは、短い交流の中でそれに気づき、上野を開放してくれた。スポーツは、まず楽しまなきゃ! そう、背中を押してくれたのだった。上野は続けて言った。
「日本とアメリカって1、2位を争うライバル国じゃないですか。なのに、日本のエースって言われている自分に真剣に全てを伝えようとしてくれたアメリカのコーチに、本当にアメリカの大きさというか、でっかさを感じたと言うか……」
世界は広い。上には上がいる。まだまだ目指すべき頂点がある……。上野には、停滞しているヒマなどなかった。再び、心が燃え上がってくるのを感じた。アメリカ合宿から4ヶ月後。上野は、日本代表エースとして、対アメリカ戦に臨んだ。そこには、プレッシャーをむしろ愉しんでいる、ひと回り大きくなった、エースの姿があった。
第三章・器
北京オリンピック日本代表選手を選考する、日本女子ソフトボールの最終合宿――。心なしか、応援するファンの数がかつてより少ない……。2000年シドニーオリンピック。女子ソフトボール日本代表は、破竹の快進撃をみせ、決勝で惜敗はしたものの、堂々銀メダルを獲得。
リベンジを誓ったアテネオリンピックでは、順位を下げて銅メダルに終わり、ファンの関心は急激に薄れてしまった……。女子ソフトボールを背負ってきた宇津木麗華・宇津木妙子の二人は、次回の北京オリンピックでの成績が、競技の未来を左右すると痛感した。それだけに、不動のエース・上野由岐子にかける期待は大きい。
宇津木麗華監督は言う。
「自分が取れない分は上野に託すしか出来ないし、『金メダルとって私に楽をさせてよ。』、って上野選手に言っていますから」
宇津木妙子総監督も
「一番になりたい。今は世界一の選手を作りたい。それが夢ですね」
と上野に期待している。しかも、北京大会を最後に、ソフトボールはオリンピック競技から外される可能性が濃厚。金メダルを取るチャンスは、この、たった一度きりなのである。
そんな周辺の状況を上野はどう受け止めているのだろうか?
「最後になるか、なんだろうが関係ない。世界一を目指すだけです。北京オリンピックはアテネオリンピックのリベンジなので、リベンジしたい」
と上野は答える。
上野が言う「アテネのリベンジ」という言葉には、もう一つの意味があった。
アテネオリンピック・準決勝。0対0で拮抗してきた試合だったが、5回、先発の高山が打たれて、1アウト満塁のピンチ。試合の流れが決まる、緊迫した場面だった。控えていた上野は、当然、リリーフの指名を受けると思っていた。しかし、監督は、高山の続投を決定。上野に試合を託すことはしなかった。
上野は話す。
「やっぱり、大事な場面が来たときに、監督に、最後は上野しかいないからお前が行け、っていう信頼を得られていなかった自分、というのが一番悔しかった。だからこそ、北京では、絶対的なエースでやってやろうって、2連投だろうが3連投だろうが上野しかいないから頼むぞって言ってもらえるようになりたいです」
あれから4年。上野は力強く進化した。スピードはマックスで2キロも上がり、20以上の変化球もマスターした。いま、制球力も世界トップレベルである。上野に、ウィークポイントはない!
「まさかここまで、こんなに上野選手がすごくなるとは想像できなかった。本当に完璧で言うことがない。上野は金メダルの近くにいる」
と宇津木麗華監督。
日本代表合宿――。上野が投球練習をはじめると、急に人が集まってきた。上野は淡々と、ファンを率いてゆく。
「全然負担ではない。どちらかというと、どんどん自分を期待して欲しい。監督が“いやここは”、って言ってもファンの皆がここは上野しかいないでしょ、みたいな、そう言わせられるくらいに皆に期待して欲しいし、オリンピックが終わって影薄い存在にならないように、もっともっと楽しさというか、ソフトボールの素晴らしさを伝えていけたらといいなって思います」
と言う上野。
日本女子ソフトボールの未来を背負ってやろうと、彼女は決めた。
背中にファンの声が聞こえる。まかせたぞ!「神サマ 仏さま 上野様!」
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