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有機農家/金子美登(かねこ・よしのり)
1948年3月30日生まれ(60歳)
埼玉県小川町出身
日本の有機農業のさきがけであり、第一人者。1971年に農水省農業者大学校を1期生として卒業後、有機農業を始める。現在、NPO法人全国有機農業推進協議会の代表を務め、自らも埼玉県小川町に霧里農場を運営。消費者30世帯と提携し、約3ヘクタールの田畑で季節に合わせて常時20品目を栽培している。落ち葉や糞尿を利用した完熟堆肥や生ごみを活用したバイオガスプラントなど自然エネルギーを見事に循環させ、水田や畑のほかに、乳牛、や養鶏も行う。国内外からの研修も多く受け入れ、海外の農業者とも交流を活発に行っている。
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第一章・循る
形も寸法も規格には収まらない個性豊かな野菜―曲がり放題に曲がり、伸びたいように伸びて、溢れる生命力を誇示するように育っている。こんな生き生きとした、豊かで安全で幸福感に満ちた野菜を37年間、作り続けている男がいる。―有機農家・金子美登。
金子は言う。
「ことさら有機農業って言いますけど、本当は有機農業とは、当たり前のあるべき姿の農業。敢えて有機農業と言い出したのは、当時の有機的な農業を取り戻そうという動きからなんです」
埼玉県のほぼ中央、秩父の山々に囲まれた丘陵地帯に、その理想郷のような農場はある。水の豊かな里で、日照時間が長く、農業にはうってつけの土地柄。畑と田んぼ、合わせて3ヘクタールほどの農地に3頭の牛と、鶏が200羽。ごくごくありふれた、日本の農家である。しかし、金子の農場には、国内からはもとより、遠く海外からもひっきりなしに多くの研修生が訪れて、金子が実践する有機農法を学んでいく。
世界からも熱い注目を集める金子の有機農法には、いったいどんな秘密があるのだろうか。
現代の農業は、作物につく害虫や病気を農薬でコントロールし、化学肥料を与えて安定した生産を行う。あたり一面に同じ作物を植えるので、その作物特有の害虫が一斉に集まってくる。それを駆除するために、農薬の散布が不可欠なのである。しかし、金子は、そんな現代農業が進められた37年前から、『大自然の摂理』に則った農法を模索した。
「農業は生きた生産体系だから、同じ科のものを何年も作ると共通の病気や害虫が棲み付いちゃうんです。自然の仕組みが多様なように、畑の中で色々な種類の野菜をちりばめて作ることが、病気や害虫を少なくする一つの技術なんです」と金子は言う。
金子が育てている作物はおよそ80種類。それが、まるで野山に点在しているように植えられている。お手本は、自然の里山。金子は畑の中に、自然の風景を再現している。例えば、この温室の中、栽培されているのはイチゴ。イチゴは害虫に弱く、農薬を使わなければとても栽培できない、というのが農家の常識である。
「農薬を使わないイチゴ栽培はまだ国内でも珍しいのですが、その技術を私たちは編み出して実践しています」と金子。
イチゴを襲う害虫はアブラムシ、農薬で根絶やしにしなければ、あっという間に食い散らかされてしまう……。しかし金子は、農薬の代わりに<アブラムシの天敵>を畑に放った……。
「アブラムシが出てくる前に、ナナホシテントウムシを沢山捕まえてきて、いっぱい子供を生ませてアブラムシを食べて貰うのです」と金子は言う。
イチゴ畑にアブラムシが大発生すると、ナナホシテントウにとってはエサがふんだんにある環境となる! テントウムシはここぞとばかりに子供を産んで、アブラムシを食べつくしてくれるのである。さらに金子は、イチゴの周囲に大麦を植えて、その環境を強化した。
「ハウスの四隅に大麦をいれるんです。すると大麦に発生するムギクビレアブラムシを食べに天敵が入ってきて、その天敵がイチゴのアブラムシも食べてくれるんです」
天敵の存在があって、自然の中では命のバランスが保たれている。農薬で害虫を駆除すると、この天敵も一緒に殺してしまうのでバランスがゆがむ。
「色々科学の眼を開けると分かってくるんです。ですから、有機農業のほうが科学的だと分かってきました」と金子は話す。
自然界は、どんなバランスで成り立っているのか? そこから導き出されたのが、金子の有機農法である。稲穂の揺れる田んぼでも、金子の考えは色濃く表れている。
稲が育ちやすい環境を作り出している田んぼでは、雑草も育つ。雑草は稲のための養分を横取りし、病気や害虫の発生源にもなる。そのため、現代農業では、農薬を使ってこの雑草を抑制している。しかし金子は、農薬が発明される以前に行われていた、<稲作の智恵>を用いて、雑草対策をしている。それは、田んぼの水かさを深くする、という智恵である。
「深水管理ということで、最初から5、6センチ葉が出ていれば稲は枯れませんから、そうすればヒエが芽を出してもお日様を求めて、葉は育つけど、根が育たないから、浮力で浮いてしまって除草剤を使わなくても解決するんですよ」
土の中に含まれていた雑草の種は、深い水の底で芽を出しても、浮いてしまって育つことができない。そして、草を殺す除草剤が撒かれない田んぼでは、稲は健康に力強く育つのである。
生命力にあふれた金子の田んぼでは、さらに稲作にとって良い環境を作る工夫もされている。農薬と化学肥料を使った田んぼと、金子の田んぼを比較すると、その違いが分かるだろうか?
「今までの慣行の稲作ですと、平箱に相当数の種を厚く撒いて、本数も一株5本から7本くらい植えるんですが、私たちの場合は、一株、1本から3本くらいで植えています」と金子。
金子の田んぼの苗は、一株の本数が慣行の田んぼより半分以下と少なく、間隔も広い。
「普通の価値観だと淋しいんですが、稲作の後半は、群を抜いて、最終的にはお日様が十分入って風通しがいいので、グングン追い抜いて育ちます」と金子は言う。
風を受け、降り注ぐ太陽光を充分に浴びることが出来る稲は、丈夫で大きく育ち、たくさんの実をつける。何本も束ねた苗を密集させた田んぼに、勝るとも劣らない収穫高を上げるという。37年間、農薬も化学肥料も入れていない金子の田んぼは、生命の楽園……。自然の大地のパワーが、稲を力強く育て上げるのである……。さらに金子の稲作には、かわいい協力者がいる。田んぼを元気に泳ぎ回るアイガモ。
「アイガモは新芽と虫を食べて、糞をするから肥料散布になるし、水を濁すから雑草も生えにくくなるんです」と金子はアイガモ農法のメリットを話す。
アイガモが泳ぎ回る田の水は、かき回されて濁る。すると水の底に日の光が届かないので、雑草が芽を出さないのである。アイガモのいる田の水は、こんな具合……。そしてアイガモは、とても大事な仕事も担っている。
「株を揺するので、稲に刺激効果があって、丈夫な稲が出来るんです」と金子は言う。
アイガモに、始終 体当たりされる環境の中で、稲はより強く育つのである。ひと月後。田植えの直後にはスカスカに見えた稲も、元気に青々と茂っている――。アイガモがせっせと新芽を食べるので、雑草も生えず……。日を浴びて、大地の養分をたっぷりと吸い、健康的に伸びてゆく。
農薬や化学肥料を振りかざして、力尽くで命を組伏せるのではなく、自然の摂理を促して、害虫や病気に打ち克つような、生命力の強い植物を育てる――。それが、金子の実践する有機農業である。そしてこの有機農法で自然の理に適った健康な野菜を作るためには、家畜も、環の中に入ってもらわなければならない。
金子の農場で飼っている牛は3頭。一頭いる乳牛からは、1日10リットルのミルクがとれる。
「美味しいですよ、放し飼いだから牛のストレスがないですし」と自信を見せる金子。
自然の野草をたっぷり食べた牛の、濃厚なミルク……。これは金子の家族や、親しい人たちだけが味わうご馳走――。
「卵ちょうだい!」とスタッフが鶏小屋に入る。200羽のニワトリも、ゲージに閉じ込めたりせず、オスとメスを一緒に平飼いしている。タマゴは1日に70個ほど。有機農法で作った穀物や米ぬかのエサを食べているため、殻の固い、いいタマゴを生む。金子の農場は自給自足型。田んぼで収穫したお米と、季節ごとに20種類は採れる、旬の野菜を中心としたおかずが並ぶ。常に5〜6人はいる住込みの研修生と、丹精込めて作った豊かな作物を味わうのは、何よりの喜びだと、金子はいう。そして金子は、いつも次の一手をたくらんでいる男なのである……。
食事のあとには、洗い物が出る。これを合成洗剤で洗うのをやめて、昔から農村でやっていたように、米の磨ぎ汁で洗うことにしようと考えた……。動物性の油分が少ない献立なので、磨ぎ汁で洗うだけで汚れは落ちる。しかもこの磨ぎ汁は捨ててしまわないで、ほかの利用法も考えついた。庭のいっかくに作った、畳一枚分ほどの水槽に入れる……。実はこの小さな施設は、バイオ燃料を作るプラントなのである。3頭の牛が出す糞や生活から出る生ゴミを、このプラントの中に放り込んでゆく。すると、発酵槽の中で活動する微生物によってメタンガスが発生。これを燃料として台所で使用するのである。5人家族の1日分は、これで充分賄えるという。
金子は、燃料エネルギーまで自給してしまった! また、このプラントで出来る上澄みの液体は、肥料として有効なのだという。
「この液状堆肥は即効性があります」と液肥を見せる金子。水を撒く代わりに注げば、作物はみるみる生気に満ちてゆく。苗に含ませてから植えると、作物は土の中に根をしっかりと張って、力強く育つ。金子の農場では、必要なものはすべて自給されて、有効に使われている。金子は言う。
「化学肥料や農薬など、工業界のものに依存しないで、自然に身近にある資源を生かして自給すると決めていますので、あらゆる智恵がどんどん出てくるんです」
田畑と家畜と生活の中から出たものを、有機的に循環させてゆく。そこには無駄なものは何一つなく、あまねく自然の恵みを享受して、豊かに暮らすことが出来る。
「中学生、小学生は体験できますけど、興味あるみたいで、体験したあとに、『金子さんたちはぐるぐる回っている』と言われるんです。牛の糞からガスや肥料が出来る……というような循環の様子が見えるんですね。一つの21世紀のモデルになるかも知れないですね」と金子は話す。そして、金子の循環する有機農業は、人と人をつなぐ環(わ)も生み出していた!
農薬も化学肥料も一切使わず、自然の摂理に従って、自給・循環型の有機農業を実践している、金子美登。37年前、有機農業を志したとき、金子はまず、土作りからはじめた。モデルは、里山の豊かな山肌を覆う、ふかふかの土……。
「(この土には)生き物がいっぱいいる。小動物とか、微生物が……」と言う金子。続けて「(この土は)1グラムに1億ぐらいの微生物が棲んでいるんです」と話す。
命の《ゆりかご》のような生きた土が、生命力のある作物を育む……。知れば知るほど、偉大なシステムを有する自然から、彼はすべてを学んだ。敷地内で集めた落ち葉や雑草、野菜くず、そして家畜の糞などを積み上げて作った堆肥を、畑にたっぷりと蒔いて、トラクターで耕してゆく……。すると、微生物がたくさん生息する、ふかふかの土壌が出来上がる。生きた良い土は、田や畑に有機的な生態系を育み、害虫や病気にも強い、生命力豊かな作物がたわわに実るのである……。
「有機農業は里山を含めた循環。田んぼや畑が一つになって、有機的に循環するのが有機農業の理想」と言う金子。
自分たちが食べる分をはるかに超えた作物が収穫できるようになると、農作物の流通が始まり、産業が成立する。
金子は、作物を現代の流通システムには乗せず、長い時間付き合ってきた、30軒の世帯に直接届けている。料金設定はない。受け取った側から、お礼をもらうだけだ。
「共同体社会とは、トマトを分けると何かが返ってくるように、いいものを届けて謝礼を貰う。百姓として解放されたみたいで、心打ち抜いて取り込むことが出来きるようになりました」
どの季節でも、20種類ほどの野菜が採れる。日本は、実は何よりも農業に適した国なのだと、金子は主張している。提携している世帯のおよそ半数の人々は、金子の農場に自らやって来て、作物を受け取って帰るのを楽しみにしているという。伸び伸びと実って、色づく野菜の光景をひと目、見たいらしい。
生産者と消費者、品物と金銭のやりとり、という関係を越えた、豊かで幸福な、人と人との繋がりが、ここには息づいている。「昔、届けた小麦粉でパンを焼いてくれたりクッキーを焼いてくれたり……、お金だけじゃなくて有機的な人間関係が広まってきました」と金子は言う。
長年、作った野菜を届けて、お礼をもらうという事を繰り返しているうちに、心と心の交流が芽生えてくる。こちらのお宅、柏木さんとは、もう四半世紀の付き合いになるという。配達の折に、夫婦で招かれて、用意して待っていたというお茶菓子でおもてなしを受ける……。
金子はこの関係を「甘えのない親戚、次元の高い親戚関係みたいな感じですよね」と話す。
柏木さんも言う。「時間があれば畑を手伝いにいきたいです」
これも有機農業がもたらした、実りの一つ。科学の力で自然を支配するのではなく、自然の摂理に従って、田畑に小さな生態系を育み、循環する環の一角を担う――。それが金子が目指した有機農法の、しびれるような幸福感。
第二章・違える
自給・循環型の有機農業を、37年も前から営んでいる先駆者・金子美登。
古くからの知恵をたずねると、農地には何一つ無駄なものはない。夏の日差しの中で成長著しい雑草も、ちゃんと循環の環を担っている。雑草は、有機農業の大事なメンバーである牛のご馳走だ……。
「大きい牛は生草だと1日100キロ食べるので、1ヘクタール位の畑がないと。穀物価格が値上がりしても、自給できる家畜の頭数なら全く影響しないです」と金子は言う。
命を養うために、豊かに食べ物を自給する――。それが農業の本質と気づいたときから、金子の旅は始った。
1948年・昭和23年、地元で300年続く農家の長男として生まれた。農業高校では畜産を専攻。そのころ自宅で飼育していた牛が病気がちになった理由を知りたかった。
「当時、1.5ヘクタールに牛を35頭飼っていたので、自給の餌では間に合わず、購入したものを与えたら、牛が弱くなって……・」と当時を振り返って話す金子。
命を養うという次元を越え、富を得るという目標を掲げたとき、近代農業は本質とは違う道へと舵を切った。農園はまるで工場のように、効率的に命を管理して、生産性を追求した。幼い頃から牛の世話をし、生きもの同士としてぬくもりを感じながら育ってきた金子には、どうしても納得ができなかった。
1968年、当時の農林省が農業者大学校を設立すると、金子はその第1期生として入学。農園で疑問に感じていたことを、徹底して研究した
。「草をあまりくれないで、購入した餌を与えると、胃が酸性になって牛の胃にバクテリアが棲めなくなる。そういう牛が病気をしやすくなるのです……」と言う金子。
効率のみを重視して運営する近代的な酪農が、牛を痛めつけている……。さらに1970年になると、米の生産調整のために減反政策が実施され、日本の農業が大きな転換期を迎える。
「田んぼに草を生やしていても補助金が貰える農政では、農民がやる気をなくすし、大豆も麦も輸入する時代になってやがて米もそうなる時代がくるんじゃないかと思いました」
同じころ、社会問題化した公害病は、高度経済成長のために引き起こされた環境汚染が原因だったことが明らかになった。卒業を迎える頃、金子のはらは決まった。利益追求の現代農業はやめよう。命を養う、本質的な農業を目指そう……。
金子は当時を振り返って言う。
「生態学的農業をやろうと、覚悟を決めました」
しかし、そんな金子の思いとは裏腹に、日本の農業は、日々巧妙に進化する農薬と、化学肥料漬けの現代農業に向けて、圧倒的なうねりを見せていた――。
1971年、金子は自宅の農園で本格的な有機農業をスタート。農薬も化学肥料も一切使わず、自然の法則と先人の知恵に学んで、自給・循環型の野菜作りを模索した。しかし、彼の試みは全く受け入れてもらえなかった。
「国が薦めた農薬を止めて、あらゆる工夫をする農業は、変わっていると思われました。良いお米や野菜、出来たもので評価してもらうしかないと……」
孤立無援でも、手応えはあった。豊かな土を作り、作物が生き生きしているのを見れば、この道こそが正しいと信じられる。だが、周囲の反応は鈍かった。
「市場に出荷しましたけど、形が不ぞろいだと買い叩かれて、求められたのはプラスティックのような工業製品みたいな野菜でした。支えてくれる消費者を自分で見つけるしかなかったのです……」
流通の規格には乗らないが、自分の作った野菜は本当にうまかった。この野菜が欲しいという人は必ずいる。
金子は自らの足で理解してくれる世帯を探した。そして、昔の村社会の中にあった、物々交換もありの、お礼制を復活させた。以来30年。およそ30軒の世帯が、今も金子の3ヘクタールの農園を支えてくれている。自分と家族と親しき隣人のための自給農業――。
金子は、有機農業の理想的モデル――。人呼んで『カネコさん方式』を作り上げた。金子のような、安心で安全な有機農家が、提携という形で支えてくれる消費者と結びつき、それが全国各地にできたなら、いま日本が抱える問題――。食糧自給率や食の安全、環境問題は、一挙に解決してしまう……。
「今、欧米ではものすごい勢いで、日本の提携をモデルにして、消費者が農家を守る働きが広がっています」と金子。
金子は、これから私たちが向かうべき場所に、もう37年前から、ずっと立っていた……。
第三章・敷衍
自然そのものの匂いがして、おいしい野菜を、豊かな環境の中で自給する――。
金子美登の有機農業は、そんなふうにして38年目を迎えている。そして時代が、やっと金子に追いついてきた。2006年末、有機農業推進法が成立。有機農業を手掛けようとしている農家に、国や自治体が支援する道筋が付いた。
「異端児だったのが、真っ当になって、有機農業の第二ステージに入ったところ」と今を語る金子。
日本で自給率がわずか3パーセントの大豆。有機栽培が難しいといわれているこの大豆作りに、金子は8年前から取り組み、この地域で昔作られていたという品種の復活に成功した。強い甘みが特徴の、小川町の有機大豆……。復活させた地元産の、この大豆を使って、地場産業との提携ができないものかと、金子は考えた。
そのアイディアに賛同してくれたのは、地元の豆腐店。有機大豆の素材の味を生かした、小川町でしか手に入らない看板商品に仕上がった。玉県小川町で豆腐店を営む、「とうふ工房 わたなべ」の渡辺一美さんは言う。
「地元の農家に大豆を作ってもらって豆腐にして、ここで販売するやり方は、間違っていなかったと思います」
おいしい、名産品の豆腐は、町おこしに繋がった。わざわざ遠方から、この豆腐を買いに来るお客が増えたという。
「田舎の小さな豆腐屋が安全で美味しい豆腐屋に変わっていく、という、集落が手を繋ぐことで誇りと生産の喜びが生まれてくるのだと思います」と金子は言う。
金子の有機農業は、町おこしの循環をはじめた……。水どころのこの町で、歴史を刻む造酒屋。
原料の米は、金子が20年前から作っている。「晴雲酒造」の中山健太郎さんは言う。
「昔からお酒は地元に密接した関係。戦中・戦後くらいから地元の意識が少しずつ薄まって、原典に立ち止まって考えるきっかけをくれたのが、金子さんだと思っています」
有機農業と地場産業の有機的な提携――。有機農業には、そんな力もあると、金子は20年前から提唱している。
「うちの集落はほぼ有機農業の見通しがたったので、次は他の集落に広めていきたい……」と今後の展望を話す金子。
様々な形で有機的に拡大してゆく、金子の有機農業に憧れて、学びたいと門を叩く者は30年前から途切れたことがない。これまでに100人以上の門下生が巣立っていった。農家の出身ではない若者も多いという。
金子は最低でも1年間この農園にいて、季節すべての体験をするように勧めている。彼らはここで何を感じ取っているのだろうか?
「作業した後の風が気持ちよかったり、ご飯が美味しかったりするのが嬉しい」と言うのは立穴正和さん。続いて「生きる力は、食べ物を作る力や智恵をつけることだと思っていて、それを今身体で教わっていて良かったと思います」と高木繁さんも口を揃える。
日本国内はもとより、海外からも、金子の有機農業を知って、訪ねてくる人が少なくない。これまでに37カ国の人たちがここを訪れた。この日は、中米の国々からの視察団が訪問。
「田んぼをみると、一目で有機か化学肥料か分かるんです。皆さん分かりますか?」と金子が訪問した人々に質問すると、「色が薄いのが、有機じゃないもの……・?」と中米から研修に訪れた男性が答える。
一枚ずつ田んぼの持ち主が異なるため、稲の色の違いが際だって見える。有機栽培の稲は、暖かくなると有機物が分解されて、緑が濃くなるのが特徴である。国の環境は違っても、金子の積み上げてきた有機農業の思想と技術は、とても参考になると、各国の農業関係者は口を揃える。
「もう時代が、どんどん着いてくるようになって来ました。コツコツ積み重ねて、流れが大きくなって、仲間も増えて……。有機農業は国内も繋がるけど、世界中繋がるんですね」と金子は最後に感慨深くそう言った。
黙々と、1人で道を歩んでいた金子美登。彼がつけてくれた足跡を、私たちはこれから、たどってゆく……。
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